第71話 ロペジア・クロニクル#2
ルピナスと同様に「幹部」候補生として採用された、大学卒の入社組には、
現場=末端部門での通常3~4年の勤務は、古典的な下積み期間、ないしは通過儀礼と割り切り、
職工たちの技に目を奪われることもなく、粛々と名ばかり・お飾り現場監督を勤め上げる者も多い。
というよりもむしろ多数派である。
その中ではルピナスは例外だった。
それまでの人生を、天文学への憧憬のような一時の情熱の花火はあれど、
概して漫然とそつなくこなしてきた青年は、この職場で彼自身思いもかけなかった開花を見せる。
それは、こうやって流されるがままに生涯を過し続けることが、本当に自分に相応しいのだろうかという、
無意識の――否、ずっと直視を避けてきた明瞭な自意識との、初の対決であったのかも知れない。
名ばかりであれど現場監督本来の責務に、ルピナスは果敢に取り組んだ。
分を
まずは被監督者である職工たちの仕事を知ろうとした。
そもそも、各工程で彼らは何をしているのか?各工程はどのように連携するのか?
それを知った後には、その作業の難点や注意点、生産性や品質の足枷となっているものを聞き出そうとした。
彼が話しかけると、作業の手を止め、丁寧にひとつひとつの作業を教えてくれる職工がいた。
いかつい顔立ちの寡黙な熟練工が、実は取り留めもないほどおしゃべりで、ルピナスの質問に先回りして、この仕事の難しさや、やりがい、誰にも真似できない自分の特技といったことを話してくれた。
作業中に話しかけると、露骨な苛立ちを見せて邪険に彼を追い払った職工が、あとから、手が空いたからと言って向こうからやってきて、無愛想ながら辛抱強く、ルピナスの要領を得ない聞き取りに応じてくれたこともあった。
徹頭徹尾関係を閉ざし、対話に応じてくれない職工ももちろんいたが、当初のルピナスの予測よりはずっと少なかった。
彼らもまた、自分の仕事について、その苦労を、誇りを、誰かに話したかったのだ。
本社から出向してくるような”旦那”に、職工の仕事そのものに興味を持つような者はこれまでにいなかった。
ルピナスは、おもむろに・いよいよ、職工たちの仕事に関与し、生産性や品質、何よりも職工たち自身の満足を増進する試みに乗り出した。
それは、本来の”管理監督”業に期待されてはいない働きであったかもしれない。
しかし、作業場は現状で、自分などいなくても支障がない程度にはうまく回っている。
であれば、働き手がより良く、快適に働けるように整えることもまた監督の責務だろう、そう解釈した。
同時にこれは、極めて慎重に進めるべき試みだった。
熟練工であるほど、自分の仕事に介入されることを、それがどんな理由であれ極端に嫌う。
それは誰に教わらずとも、ルピナスは理解していたことだった。
工場では、数枚の金属板が一個の缶に仕上がるまで、裁断、曲げ、接合といったいくつもの工程があり、
各工程を受け持つ職工の間をコンベアーに乗った仕掛品が運ばれて行くうちに完成品に仕上がるという、流れ作業の形を取っている。
個々の工程は、担当する職工各々のやり方で、極限までに洗練されている、
仮に改良の余地があったとしても、素人のお仕着せ監督が口出しして良い結果が出るはずがない。
ルピナスが注目したのは、流れ作業の連結点、前工程の職工から後工程への職工へと、作業が移る部分だった。
前工程から受け取った仕掛品を、後続の職工が、手直し、ないし追加の加工を施してから自担当の作業に取り掛かるという状況が散見された。
それは大きな手間ではないものが大半だったが、前工程の職工の作業の範疇に収めることが合理的と思われるものだった。
そういう、個々には小さな淀みが、作業場を流れてゆく工程全体を俯瞰したとき、侮りがたい非効率となって蓄積されていることが推察された。
そして個々の職工は自分の仕事にのみ忠実で、よほどの品質不良と言いうるものでない限り、これまで他者の仕事に口出ししようとはしなかった。
ルピナスは慎重に言葉を選び、あくまで慇懃に、それでいて明瞭に、という難度の高い局面に冷や汗をかきながら、
前工程にあたる作業を担当する職工に、説明し、懇願した。
これこれの理由で、この状態まで仕上げてくれたほうが後工程がぐっと楽になる、ついてはご対応頂けないだろうか、と。
予想された通り、要望を突きつけられた職工の最初の反応は、防衛的で反感の
しかし、それは対立を内包した対話の序盤にはつきものの、乗り越えうる障壁だった。
反対意見が出るなら真摯に傾聴し、議論を尽くし再考もした上で、自分の主張に理がありと判断すればルピナスは粘った。
ルピナスの言い方が悪かった所もあるが、要望を自分の仕事ぶりへの非難のように受け取り、臍を曲げて食って掛かってきた若い職工がいた。
そうなるとどうしていいかわからず、しどろもどろになったルピナスを見て、年配の職工が説得に協力してくれた。
これには正直驚いた、加勢が現れるならてっきり相手側だろうと思っていたからだ。
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