第70話 ロペジア・クロニクル#1

アマリリスの目下の懸想となった、ルピナス・ロペジアの来歴について、

彼がアマリリスに語ったこと・語らなかったことを含めてここで紹介しておくのも、あながち無意味な試みではないだろう。


彼の出自は、マグノリアの遥か西方、ラフレシアのボレアシア領域に位置する街、工業都市として知られるイソトマ市にあった。

ボレアシア・ラフレシアとはいっても東のはずれ、

タマリスクのデモルフォセカ海峡、カラカシスの大山脈と並んでボレアシアとその領外の境界をなす、シェフレラ山脈の西麓に位置しており、

此度の戦争でも、直接の戦禍を被ることはなかった。

かわりに、工業都市としての能力を最大限に発揮し、軍需物資の生産拠点としての役割を担うことが期待され、

今なお一方的に届く父母からの便りによれば、市内は空前の活況を呈しているらしい。


軍靴の足音はまだ聞かれない時代に生まれたルピナスは、

上級官吏の父の長男として、両親の期待を背負い、すくすくと、おおむね真っ当に育った。


ともに子への愛情にみなぎり、その幸福を一心に願う良き両親、と言うこともできるのだが、

とかく干渉が過ぎ、当人の子には独善的、専横とも映る関与にほとほと辟易していたルピナス少年は、

天文学への志向と並んで、故郷からなるべく遠く離れることを最大の基準に将来を設計し、シェフレラ山脈を越え、極東も極東のマグノリアへと逃れてきたのだった。


マグノリア大学在学中のルピナスのあらましについては、既に語られた通りである。


大学を卒業し、その時点で彼の人生のおよそ4分の3を占めていた学生の身分から離れたルピナスは、

入学当時の彼に渦巻いていたような、人生を嘱望した希望もなく、さりとて郷里に帰るつもりは毛頭なく、

成り行き任せに流れついたのは、国内有数の軍事コングロマリットの勤め口だった。


現在世界各地を覆う戦争は、当時すでに水面下ではその予兆が広がりつつあり、その会社の業容も緩やかながら着実な伸張を見せていた。

そのため人材獲得意欲は旺盛であり、マグノリア大学からも毎年大勢の卒業生を受け入れていたのである。


軍需企業ということで、兵器工場にでも回されるのだろうと思っていたが、

実際に彼が配属されたのは、マグノリア臨海部の工業地帯に立地し、企業グループの中では中程度の規模にあたる、製罐を専業とする会社だった。


製罐・・・って、あの、缶詰とかの缶??


入社して早々、そんな粗製荒物をこさえる子会社に出向的な扱いというのは、実は会社は既に俺の能力を査定し終えていて、

活躍の余地なしと判断し、このような処遇となったのだろうかと、不安にも焦燥にも感じたものだったが、実のところ全くそんなことはない。


金属製の缶は、液体混じりの内容物を何年間も劣化させずに保存する性能が示すとおりに、堅牢性、密閉性、軽量性に極めて優れた容器だ。

戦場では弾薬を筆頭に、慎重な取り扱いを必要とする実に多くの物資が、専用に設計・製造された缶に格納された状態で運搬される。

多くの戦線で、銃器の性能よりも兵站の優劣のほうがよほど戦局を支配することがあるように、

品質の良い缶を迅速に大量に生産することは、銃弾の生産に優るとも劣らぬ重要事業なのである。


ルピナスの配属先が、数あった候補の中から最終的にこの会社に決まったのは、

極東州最高学府で金属の特性を究めたという学歴を考慮したことが理由のひとつ、

また、入社して数年間は、こういったより末端に近い企業で現場の実状に触れ、徐々に、そして加速度的に「中央」に吸い寄せられるとともに昇進してゆくというのが、この巨大企業における幹部育成の定石だった。


かくして、ルピナス自身の内心には秘かな不穏の一幕がありつつ、彼の職業人としてのキャリアがスタートした。

実状に触れることにおいてこれ以上の現場なしということで、最初に彼に任されたのは、工場の生産現場で、職工たちの作業を管理監督する仕事だった。


大学での専攻を考慮しての配属、といっても、実世界ではおよそあり得ない極端な条件下で、還元論的に単純化した実験体を用いた研究を行っていたルピナスに対し、

職工たちは、仰々しい数式など持ち出すまでもなく自身の感覚で、靭性、展延性といった素材の性質を知り尽くし、

熟練の技を用いて、瞬く間に製品に仕上げていく。


利用側にすれば、中身を取り出したあとは一顧もなく打ち捨てるだけの缶が、こうも複雑で多くの工程を経て製作されていることに、ルピナスは素朴な驚きを覚えた。

最初のうちは現場監督も名ばかり、大鋏と裁断機で金属板から部材を切り出し、プレス機で成形し、接合してゆく技術と連携の鮮やかさに、見惚れるばかりだった。

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