第72話 ロペジア・クロニクル#3
この時の経験を踏まえてルピナスは、作業レーンの組み立て、つまり、製罐の流れ作業を構成する一連の工程に要員をあてがう際には、
後工程に行くほど、なるべく作業場で立場が強い者を配置するように計らった。
その上で、この手の改善の余地があれば積極的に提案してくれるよう、職工たちに頭を下げて依願した。
職工とて人の子、若手が、熟練工の仕事に物を申すよりはその逆のほうが言いやすかろうという目論見だった。
はじめは遠慮がちにぽつぽつと、ではあったが、じきに意外なほど多くの改善提案が上がるようになった。
提案を採用する・しないに関わらず、ルピナスは提案を上げてくれたことに丁重に礼を述べ、
毎日の朝礼など、全員の耳に入る場でそれを披露した。
そして、提案に関係する工程の担当者と、参加を希望する者を交えた会議で提案を吟味し、採否を話し合った。
その会議の場で、提案に被せて更なる改善の提案が出されることも少なくなかった。
この地味な取り組みは、目覚ましい変質というものではないけれども、相応の生産性の向上となって現れ、
それ以上に職工一人ひとりの作業の負担を軽くし、何より対話に富んだ建設的な空気を作業場に醸成した。
今では、職工自らが進んで工程の非効率を見つけ出し、それを払拭する活動が自然に定着していた。
同僚からの意見や注文を歓迎し、自分の作業に反映することがなんの心理的抵抗もなく行われるようになった。
ルピナスが受け持つ作業場では常時5~6の作業レーンが稼働しているが、
その構成は不動ではなく、新製品の投入や需給の事情などに合わせて、概ね数週間ごとに組み替えられる。
単純な円筒缶から、複雑な形状のもの、特殊な加工を要するものまで、各レーンに配置すべき職工の人数や熟練度は様々だ。
組み替えの際のレーンの設計は、現場監督の勘と経験で――当然、その道何十年の熟達と、ルピナスのような素人同然ではその精度に大きな開きがある――行われるのが通例だった。
しかし、自分の能力を信用していないルピナスは、あえて1,2時間作業の手を止めさせてでも、三十数名いる職工を一同に集め、レーンの設計について彼らの協力、意見と知識の提供を請うた。
この”集会”もまた、当初はどちらかと言えば倦厭とした空気の漂うものだった。
職工にしてみれば、それ(レーンの設計)はお前の仕事だろう、と思っているのだから無理もなかった。
面白がって、あれこれとアイデアを出してくれる職工もいれば、腕組みをして押し黙っている者もいた。
そういう手合にも、ルピナスは意見を求め、会議の場でなるべく全員が一度は発言するように気を配った。
配置に関する希望があれば、なるべくそれを尊重するようにした。
経験のない作業なので、技術を磨くためにやらせて欲しい、というような申し出こそ最優先で採択した。
たとえ彼の技術に不安があったとしても、今度はその作業に長じた熟練工が手ほどきを申し出てくれた。
結果的に組み上がったレーンは、ルピナスの一存で采配した場合にはそうはならなかったであろう、というもので、
そこには職工たち自身の意向が濃く反映されていた。
その事実は彼らに自負と責任の認識を与えるものであり、その認識はすぐに、レーン設計に費やした時間の何倍もの成果となって現れてきた。
2回めのレーン組み替え以降は会議も洗練されたものになり、最初は2時間近くかかっていたものが、ものの30分程度で終了するようになった。
これらのこと、作業改善にまつわる担当職工間の調整から、レーン組み替え会議の議長役までのあらゆる仕事を、
ルピナスは未知の経験に常に戸惑い翻弄され、目が回るような感覚を味わいつつ、次から次へとこなしていった。
製罐工場の現場監督として要求されるそれらの仕事のほとんどが、誰に教えられなくてもこなせるものだった。
まるで仕事のほうが彼を駆り立てて、進むべき方向へと引っ張っていく、そんな感覚だった。
それは彼にとって初めての不思議な感覚、逆説的ですらあるが、
これまでのようにただ流されるままにではなく、意志に従って自らを方向づけている実感であり、
大仰な表現をすれば、生まれていま初めて、自分自身の人生を生きていると思った。
職工たちをこき使うだけでなく、販売管理部門から無茶な納期を押し付けられた時には、直談判に行って譲歩を取り付けてきたこともあった。
そのような対立を伴う折衝は、本来ルピナスが最も苦手とするところだった。
それでも、作業場の円滑な運営のために、そうせずにはいられなかった。
仕事への衝動に突き動かされるまま、ルピナスは、学生時代にはそんな知識領域があるとは考えてもみなかった、
生産管理、組織運営論といった分野の専門書を読み漁ることまでした。
自分の口下手をよく知っているルピナスは、不注意な発言や言葉が足らないことによって、
せっかく築き上げた職工たちとの良好な関係に、修復不可能な亀裂が生じることを何よりも恐れた。
なので自分がいかに彼らの働きぶりに感謝しているか、その技術を高く見ているかということを、
言葉を尽くして言い表し続けることに心血を注ぎ、精神をすり減らすまでになっていた。
しかしある時、ひとりの職工の何気ない一言で、それが無用の心労であったことに気づいた。
彼らが求めるものは追従でも、感謝ですらない。
期待された仕事を達成すること、他者からの評価や感謝の為ではなく、自ら成し遂げたと認める成果そのものが彼らの矜持なのだ。
それはまた、ルピナスも同じだった。
立場や、業務の内容は違えど、職業人の根幹をなす資質は何ら変わらないのだと気づいた。
誠実さ、プライド、職業倫理、数々の言葉で言い表されつつ、なお言い尽くされないただ一つのもの、
この時のルピナスは確かに、それを協業者たちと共有していた。
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