第63話 イイズナくんの宣言
「イイズナくん、この議事録清書して、企画調整課まで。」「はい!」
「イイズナくん、例の給付の件、稟議書つくって課長のハンコもらっといて。」「はい!」
「イイズナくん、この資料の複写30部、11:30までね。」「はい!ってマヂすか今11:15っすよ!?」
イイズナくん、ことヘリアンサス・ウェルウィチアの1日はこうして、極東州庁府の中を駆けずり回ることに明け暮れる。
課長が呼びはじめたあだ名の「イイズナ」とは、山野に住むイタチの親類のことだ。
マヂかよ動物扱いかよ(社畜ならぬ所畜ってか)と最初は憤慨したが、
非常に敏捷な動作と勇猛果敢な気性に
駆けずり回る脚にも、ムチャ振り(彼に与えられる仕事の殆どを占める)を受けるときの応答にも力がこもろうというものだ。
実際、いっぱしに不平不満をこぼしつつも実によく働くので、
イイズナくんは上役をはじめ諸先輩方に可愛がられ、仕事をこなせばこなした分だけ
何やら、世の不条理を戯画化したような構図を呈していた。
必然的に仕事は
新しい年を迎えたこの日、役所も公式には半休扱いで、午前中で業務終了ということになっている。
しかし年中多忙を極めるヘリアンサスの部局に、定時通りに仕事を切り上げようとする空気はまるでない――と思いきや。
正午のチャイムが鳴ると同時に、バタンとカバンを閉じて立ち上がったヘリアンサスを、同僚たちは何事かと振り仰いだ。
え?という空気の中を見回し、イイズナくんは高らかに宣言する。
「今日は帰らせてもらいます!」
呆気にとられる一同の中、課長はにやにやして尋ねた。
「なんだ、女かい。」
ヘリアンサスは首を傾げ、
「・・・まぁ、女っちゃ女っすかね。」
ヴヌートリ=クルーガの官庁街からは歩いても行ける距離であるが、時間がないので市電に乗り、
セレブリャノエ=サズベジェのランドマークでもある、時計台を備えたデパートに着いたのは約束の5分前。
意外にも、相手はもう来ていて、デパートの柱の台座に凭れて手持ち無沙汰にしていた。
『あれごめん、待たせた?』
『んーん、さっき来たとこ。
いつ来ても人が多いねぇ、
『新年だしね、多分いつもより多いんじゃない。』
『・・・・・』
『?
どうかした?』
『ううん。
お腹すいたね、とりま、お昼食べよっか。』
アマリリスの勤務する図書館は休日、ヘリアンサスは職場の規程に従いつつも慣習に反しての半休の午後。
ヘリアンサスが言い出して、姉弟はマグノリアを代表する繁華街にショッピングに来たのだった。
『でもどうしたん、”欲しいもの買ってあげる”、って。
嬉しいけど、なんて言うかあとが怖いんですけど。』
2人の意見がピタリと一致して入ったレストラン。
アマリリスはパスタをフォークで絡め取りながら尋ね、
ヘリアンサスはオムライスを頬張りながら、やや仏頂面で答えた。
『・・・誕生日祝い。』
『誕生日ってw
7月だよ、あたし?』
『いいじゃん、去年の分だよ。
悪い??』
『ふふっ、悪くないよ。
まったくヘンな弟だねぇ。』
”なんか羽織物とか買ってよ、高給取りのお役人さん❤”
”・・・いいよ。
こんど給料入ったらね。”
まだ残暑の季節だった頃に交わしたやり取りを、ヘリアンサスは約束として受け取り、
その次の給料日以降、いつでも求められれば遂行するつもりでいた。
しかしアマリリスからは一向に言い出してこない。
この姉には実によくあることだが、自分で言ったことをすっかり忘れているのだと気づき、
それでも一度交わした約束を、相手がどうあれ反故にするのは寝覚めが悪く、
さりとて自分だけが律儀に覚えていたことを説明するのもなんだか癪で、こんな趣旨のショッピングとなったのだった。
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