第59話 それにしてもこの己が

マグノリア初級師範学校。


教育機関としては中等教育校に位置づけられ、3年の修業年限で初等学校の教諭を育成している。

名前はよく知られた学校なのだが、マグノリア要塞外堀沿いを走る細い道に面してひっそりと建ち、敷地もこじんまりとしたもので、

長年マグノリアに住むクリプトメリアも、実際に訪れるまではその所在を知らなかった。


ファーベルがここに通いはじめて1年あまり。

その間、学業であれ、交友であれ、学校での様子について、父子で話をしたことはほとんど――もとい、全く記憶にない。

それはひとえに、しっかり者のファーベルのこととて何ら心配は無用であろうという、信頼の表れであった。

ファーベルもまた、自分のことをあえて他者に話そうとはしない、主義というよりはそういう発想のない子だった。


だからクリプトメリアが学校に出向くのも、入学手続きの時以来、

今日は学校から、保護者面談とのことで呼び出しを受けたためで、それがなければ彼女の卒業まで足を向けずじまいだったかも知れぬ。

それにしてもこのおれが保護者面談とは。

やれやれ、世も末じゃわい。


苦笑を噛みつぶしつつ、素朴な木造の校舎を見上げたクリプトメリアだったが、

ここに立たなければ知ることのなかったであろう感慨をも感じていた。

トワトワトに5年あまり、それ以前は、マグノリア大学教育学部が運営する、保育所の延長のようなところで過ごしていたファーベルが、

今はここで、同年代の学友と机を並べて授業を受けているのだ。


一方で、感慨と共に彼に下りてきた奇妙な憂愁、胸が苦しく思えるような錯覚は、

信頼に姿を借りた無関心を、彼の娘に対して、意識の底では自覚していたが故のことだった。



そのような、よくある男親と、畢竟、教育というサービスの供給者たる教師の面談など、所詮は茶番。

決まりきったことを聞かされ、言わされ、退屈に耐える半時間を過ごすのであろう――

そう思っていたから、クリプトメリアは面談相手の口から飛び出した言葉に耳を疑った。


「まだ、何も確定しているわけではありません。

ただ、今後の御本人のコンディション次第では、そのほうが望ましい選択となることも考えうる、

という可能性の段階です。」


色黒で、目やら眉やら顔のパーツの一つ一つが大きく、

落ち着いた振る舞いながら、妙な熱量を感じさせる教諭は、明瞭な口調で説明した。


原級留置、いわゆる留年。

ファーベルが??

ショックというよりは、呆気にとられた感だった。


クリプトメリアが学生だった頃のマグノリア大学は、現在以上に学生生活にルーズな雰囲気が強く、

自身が2年の浪人と、学部・大学院の通算で3年の留年を経て博士号を手にしたクリプトメリアとしては、留年というイベント自体に、何の危機感も否定的な考えも持ってはいない。


しかしそれは、留年した年数を自慢し合うような無頼者同士の話であって、

優等生を絵に描いたようなファーベルに似つかわしい勲章ではないはずだが。


「左様、

学科、実技とも優秀で、非の打ち所がありません。

課題への取り組みも熱心ですし、大変に努力家です。


私どもが懸念しているのは、精神的な資質と申しますか。

ファーベルさんは、自らが教育者たらんと欲し、真摯にその目標に邁進する一方、

おそらくご本人が気づいていないと思われますが、どうもそれを忌避、ないしは恐れておられるフシがあるようなのです。


一時いっときの事かもしれませんし、

ファーベルさんの個性に起因する事なのかも知れません。

しかしファーベルさんがいずれ、ご自身で生徒を指導する立場になった時にもその引け目が継続していると、

職務を遂行するうえで、いささか厄介な桎梏しっこくになるのではと懸念しておる次第です。」


――妙なことを言うヤツだわい。


個性だの引け目だの、そういうものが見たければ、マグノリア大に来てみるがいい。

大学関係者なんぞどいつもこいつも、どこかしら人格に破綻をきたしているような連中ばっかりだ。

完璧な人間などいないと言われるように、

多かれ少なかれ鬱屈したものを抱え、それでものうのうと、あるいは行きつ戻りつして生きて行くのが人というものだろう。


外的な能力の不足ならともかく、精神的な資質とやらを持ち出して、本人が希望する進路への適性を云々する相手への反感もあり、

クリプトメリアは結局当初の予感通り、以降の話はいい加減に聞き流すことになった。

熱心な教諭が、冒頭に語ったことの意味を真剣に考えてみるということもしなかった。


それにしても、だ。


相手の言葉に適当に相づちを打ちながら考えていた。


この教諭をはじめ、教育者育成の専門家が結託し、

自身もまだ児童の域を出ない生徒を教師に仕立て上げて世に送り出していく。

師範学校とはなんとも業の深い機関であることよ。

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