第58話 自己領限の特性
内面ではなく外面、
ブルカニロが言わんとすることは、とりわけ目新しさがあったわけではなかった。
しかし彼との会話を通して、アマリリスは、
漠然と思い描くことと、言葉にして整理することは別物なのだと知った。
「関係性――ま、そうですよね。」
「あなたは、ご自分とルピナス青年との関係を、どのように捉えておられますか?」
「うーん、ひとことで言えば、
同僚以上・恋人未満、ですかね。」
「”以上”ですから、語義に従えば
「――はい。」
これもまた、相手が違えば苛々するであろう言葉尻とも言えるのだが、
今は必要な確認なのだと、アマリリスは得心していた。
「そして”未満”ですから、少なくとも現時点では恋人ではない。
座標の一点に”同僚”があり、別のもう一点に”恋人”があるとしましょう。
一方から他方に到る経路は、いかほどの距離があるのか、その経路は滑らかな線分であるのか、離散的なものか。
静的なエウクレイデス空間の幾何学であればすぐにわかることですが、人と人の関係性では容易にはいきません。
それらは、関連する両者の個性、自己領限の特性によって決定されるものだからです。」
””自己領限の特性””?
「内向的か社交的か、
これはほんの一例ですが、人が他者と接するにあたって、その振る舞いに影響を与えるあらゆる因子の総称です。
つまるところは、”その人自身”ということになりますね。
そして、相対する2者それぞれの自己領限の特性が、両者の関係性とその変化に影響を与えるであろうことは、直感的にもご理解いただけるでしょう。」
「ええ。
気難しい人とは仲良くなりづらい、みたいなことですよね?」
「そういうことです。
あなたとルピナス青年の事情に関して、先ほどの”同僚から恋人”に到る経路は、
お2人の自己領限の交叉する交線に
”誕生日祝い”はこの場合、それらを計測するための
実空間の物差しや測量器も正しい使い方をしなければ精確な結果が出ないように、自己領限の物差しも、使い方は自明に一意ではありません。
あなたはこの点に困惑されているのだと、私は思量いたします。」
「なるほどーー?」
そうか、あたしは物差しの置き方に困っていたのね。
それが知れたところで、ルピナスの誕生日祝いをどうするか、結論が出るわけではない。
しかし、視界が明瞭なのとそうでないのとでは、問題に取り組む意欲が大きく違ってくるものだ。
「ありがとうございますっ!
なんだかすごくスッキリしました。」
「礼には及びません。
得心されたとすれば、答えは最初からあなたの中にあったのですよ。」
「でも何でしたっけ、自己・・・領域?」
「”自己領限の特性”です。」
「それそれ。
他の人との接し方が、”その人自身”って、、
なんか不思議な感じがするけど、でも、しっくりくるなって。」
「そうですね。
”人間はひとりでは生きられない”という言い回しは、反例によって容易に否定される類の比喩ではありますが、
以前にもお話しした通り、人間はありとあらゆる他者との連関の中にあって、
相互の影響によって形成されるものが各人の自己であり、個性ということなのでしょう。
余談ですが、いわゆる心の病、精神疾患の少なからずが、自己領限の特性の変調に由来すると言われています。
類型は多岐に渡りますが、例えば極端に他者の影響を受けやすい、脆弱な特性を持つ方は、
自己の統率を失って、自分でも意図しない言動を取るなどの疾患に陥りやすい。
一方で、より深刻な症状を見せるのが、強固で硬直した自己領限の特性を持つタイプです。
このタイプは、次第に他者からの働きかけを拒絶するようになり、治療が難しくなってしまう。
以前ですと、虐待などの経験がそのような特性を形成するのだろうと考えられてきましたが、
近年の流行を見るに、そういった因果関係の見られない症例が多数を占めているようです。」
「えーー、人間関係から病気になっちゃうって、、コワイですねぇ。」
「アマリリスさんは大丈夫そうですね。
専門家として断言できます。」
「あ、なんかヒドい。
でも、あたしもそんな気がしますww」
ブルカニロの研究室を出ると、外はすっかり暗くなっていた。
年の瀬の街角にはヨルカの樹が立てられ、ジェド・マロースとスネグルシュカの等身大の像が飾られ、
その足元には、道行く人が備えたロウソクやお菓子がみっしりと並べられている。
雪の白と氷の青のオーバーという、定番のコスチュームでありながら、
昨年、トワトワトの冬の夜の幻想に立ち現れたスネグルシュカ、ジェド・マロースとは、全体としてまるで違うフォルムをしている。
同じテンプレに載っかっていても、人によって思い描くかたちは様々ということだ。
「同僚と、恋人。。。
あたしと、ルピナスさんの距離。。。」
都会の夜空にわずかに数えられる星を見上げながら、アマリリスはブルカニロとの会話を思い返していた。
ひとりひとり違う、自己領限の特性が交わるところ、変化していく距離感。
これが魔族相手であれば、感じられる距離感には1種類しかなかった。
つまり、この相手と理解し合えることはない、分かち合う心など持っていないのだという、断絶の感覚。
けれど、それは逆に言えば、
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