第57話 第二の宇宙
「自分の口から出た言葉でありながら、その解釈に戸惑う。
成程、それもまた都市に生活する者の宿命かも知れませんね。」
「ホントあたしってば、どうして考えもなしに
あ、別に後悔してるって意味じゃないですよ?」
「ええ勿論、わかっていますよ。」
ブルカニロはそう言って穏やかに頷く。
その灰色の瞳をしばらく眺め、アマリリスは自分が、ルピナスとのことを洗いざらい彼に話してしまっていることに気づいた。
意中の人・気になる異性のことを第三者と話題にする、
いわゆる恋バナは、図書館女子の大好物、なんなら魂の栄養であるように、
否が応にも、話し手・聞き手の心を揺さぶらずには置かないところがある。
アマリリスが、あまり積極的には他人の恋路に首を突っ込もうとしない、自分の事情を話そうとしないのは、
そういう、心を揺さぶられる感覚が億劫で、次第に疲弊してくることも理由のひとつだった。
しかし、ブルカニロとの会話ではそういう感じにならない。
それは、ルピナスさんへのあたしの興味がまだ「恋」とは言えないものだからなのか。
それにしても、こんなプライベートなことを話しているのに、なんて言うか、
先日の”都市の境界はどこに”の話題みたいな、ふわっとした感覚。
つくづく不思議な人だ。
歳の離れた男の人、っていったって、たとえばお父さんに、カレシ[候補]のことをべらべら喋るなんてゼッタイしない・・・よね?
そういえば知り合って最初の頃、あろうことかブルカニロのことも恋愛対象[候補?]として見ていたのだった。
それは錯覚だったのか、あるいはルピナスに興味が移って鎮静化したってことか、それとも最初から別の――?
自分のことなのに、ここでもあたしは自分の心がわからない。
「ルピナス青年に、司書試験に関する相談を持ちかけた時点のあなたは、
その用件に乗じて彼に接近したいという目論見、語弊を怖れずに言えば、下心があったことでしょう。
しかしその後の会話の流れで、彼の誕生日が近いことを知り、それならばお祝いをしたいと申し出た。
それ自体は同僚との会話の自然な帰結であって、なんら
恋人候補としての彼の歓心を買おうとか、彼を吟味しようという打算から出た言葉ではない。
そう感じておられるわけですね。」
「そう!
そうなんですよ。」
あれが目論見とか打算とかいうものから出た言葉だったら、
そしてあたしがそんな、会話の隅々にまで神経を張り巡らせるようなデキる女だったなら、
こんなことつらつら考えたりはしない。
「一方で後になってから、自分は”どうして”、考えもなしにそんなことを言ったのかと疑問に感じ、
その言葉を具体的にどのような行動に反映したものか、考えあぐねている。
人間の心は第二の宇宙と言われるように広大で奥底が知れず、
第一の宇宙以上に、分かっていることよりも、未知のこと、未解明のことが多いのです。
その構造やメカニズム、成立についても実に多種多様な解釈や仮説があり、
私の同僚にも、人間のありとあらゆる言動、”考えもなしに”言った言葉、”何気なく”取った行動に、
当人の覚知しない奥深い思想が反映されていると主張し、その解釈に没頭している者も多くいます。
興味深く、深い示唆を与えてくれる場面も多くあるのですが。
私にはどうも、主義と解釈の専横に思えるところがあります。
言うなれば、自然界の生物のあらゆる形質や行動には合目的的な意義があり、
生体旋律の一
と主張するのと同じくらい、極端ないし非現実的なアプローチに思えるのです。」
自然界の生物、生体旋律の比喩は、異界をさんざん歩き回って得たアマリリスの知見とぴたりと一致するもので、
前後の、人間の心理についてのブルカニロの言葉もすんなりと受け入れることが出来た。
こういうところ、本当に話がうまい。
さすがは心理学者だからなのか、あたしにとって、この人の言葉が特別なのか。
「ですから、あなたの疑問について”どうして”の部分については、
――恋に・ないしこれは恋なりやとわずらう乙女の心理に対して、無粋な表明であることは承知の上で――
追究したところで、目新しい発見はあまり期待できないように思います。
注目すべきは、ともあれあなたがルピナス青年に誕生日祝いを申し出たこと、
そして実現方法を考えあぐねている、この事実です。
これらはあなたの内面ではなく外面、彼との関係性を映しているように思われるのです。」
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