第51話 架空の権威#1

中央食堂1階、午後6時半。


食堂は夜8時まで営業し、研究生活に追われる学生や研究者に夕食と束の間の休息を提供している。

今日もフロアの過半では、白衣姿の疲弊しきった連中が、もそもそと食事を口に運んでいた。


しかしフロアの南側、ガラス張りのアトリウムのような一角は、

彼ら学究の下僕が、時折眩しそうな視線を送る異質な空間であって、

まだ学生生活を謳歌する余裕のある時期の男女が、肩を並べて歓談する、カフェテリアの趣があった。


男子に比べて依然数は少ないが、マグノリア大学にも女子学生はいる。

男女ある限りいつの時代にも恋はあり、ここでもその例に漏れなかった。


彼と彼女の前にはたいてい、講義資料やノートが広げられている。

学業に没頭する彼らは恋に疎く、もっと潤いのある話題で睦み合うことを知らないのであろうか?

それも一面の真実ではあるが、全てではない。

これには彼らの関係の奥行きが関係している。

つまり、この場にいるのは、付き合いたて・乃至ないし付き合うか付き合わずか微妙、という時期のカップルが殆どなのだ。


何憚るところのない男女交際の関係に発展すれば、彼らも資料やノートは仕舞って、享楽滾る街へと繰り出してゆくだろう。

それに到るまでには、言葉の選びかたひとつ、相手に見せる表情や仕草のひとつで、ときめきもすれば揺らぎもするような、

もどかしく・しゃらくさく・不安定な、一番楽しいとも言える時期を経なければならない。


そんな彼と彼女にとって、学友としての関係に根ざした資料やノートというコンテンツは、無難かつ盤石なものであり、

潤いのあるなしは、言葉を交わすこと自体が楽しければそれでいいのだから問題ではなかった。


実際のところ、今はこうして楽しそうに歓談し、教科書をなぞる指が触れ合うことにどぎまぎしているようでも、

それ以上の関係には発展せず、乾いた砂山が崩れ去るように消滅してゆくカップルも少なくない。

中央食堂カフェテリアはそんな男女の通過点であり、栄枯盛衰を数多く見てきた。

マグノリア大学生活協同組合、食堂の運営主体もなかなか粋なはからいを見せたものである。


そして、ここにもまたそんな一組が。

それにしても、異空間カフェテリアにあってなお異質な2人であった。


女の方は、見るからにマグノリア大の学生ではないし、何よりその美しさで異彩を放っている。

対置する男は、そこらに幾らでもいる部類の爽やか青年だが、スーツ姿であるところからして、こちらも学生ではあり得ない。

これは、医学部あたりのよほど権威ある教授の秘書と、出入りする製薬会社の営業マンか何かの逢い引きの場面であろうか?

だとすれば、当の教授がこれを知った日には、非常に厄介なことになりそうだが・・・


架空の権威に対する、周囲からの心配をよそに、

アマリリスとルピナスは自分たちの問題、

アマリリスが持ち込んだ、同僚としての関係に根ざしたコンテンツに没頭していた。

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