第8話 餞、もしくは都市の宿業

「これ、お返しします。

ありがとうございました。」


アマリリスがローテーブルの上に差し出した数枚の紙幣と硬貨を、クリプトメリアは不思議そうに眺めた。


「何だったかな?」


アマリリスは赤くなって答えた。


「マグノリアに来る旅費に、って博士がくれたんです。

すみません、半分ぐらい使っちゃったんですけど。。

早く仕事見つけて、必ずお返しします。」


クリプトメリアは苦笑いを噛み殺し、くたびれた紙幣と、かしこまった表情のアマリリスとを見比べた。

世界は自分を中心に回っていると言わんばかりの傍若無人ぶりの一方で、この娘は他人からの物質的な施しに対しては妙に律儀なところがある。


――それはそうと、だ。


「またずいぶんと勇ましい装束で御出座おでましになったものだね。

最初見た時は、どちらの女性兵士のお越しかと思ったよ。」


編み上げの黒い軍用ブーツに、正確には軍服ではないが、工兵が整備工場で履いていそうなカーゴパンツ。

マグノリア、暑い!と言って脱いだ軍用ルパシカの下はスウェットシャツ一枚なものだから、

胸のふくらみがいやが上にも強調され、人目を気にすることを永らく忘れているために(あるいはもともとの性格か、)

襟のボタンを無造作に、鎖骨の下まで開けているのは眼福・・・じゃなかった、目の毒だ。


臨海実験所の倉庫にあった軍需品を持ち出してきたのだろう。

トワトワトで着ていた服は、持ってこなかったのだろうか。


クリプトメリアの視線に気づいたせいではなかったろうが、

アマリリスは悄然とうなだれて言った。


「――最近、こういうファッションに目覚めた、、んです。」


余計なことを言ったらしい自分に心中で舌打ちしたクリプトメリアは、

テーブルの上に置かれた雑多な金種を財布に仕舞い、かわりに100ビフロスト札を7、8枚引き抜いた。


「これは私から、はなむけだ。

知っているかね?

新しい一歩を踏み出す者に、応援の気持ちを込めて金品を贈る、ラフレシアのしきたりだよ。」


「そんなっ、頂けません、これまでにも」


「いいから、しきたりなんだから取っておきなさい。

働くにせよ何にせよ、身の回りの物を整えたり、何かと入り用だろう。

足らなくなったら、遠慮なく言いなさい。」


「でも、、」


「今後のためにも、教えてあげよう。

貨幣というのは都市の最大の宿業の一つでね。

多く持ちすぎてもロクなことはないが、全く持っていないと、新しく手に入れることも出来ない仕組みになっている。


さっき、仕事を見つけたいようなことを言っていたが、手っ取り早く見つかれば何でもいいと思っておろう?

それじゃ、ダメなのだよ。

働くこと自体に反対はせんが、それならそれ、よく考えて、人生の一歩を踏み出さなければな。


職業に貴賤はないが、何であれ、職業に対する初めの関わりが、彼ないし彼女のその後の働きを、貴くもせば賤しくもする。

そして一度碑賤に身をやつしたら、その後高貴に生まれ替わることはなかなか難しく、

生きるために働くのか、金のために生きているのか分からんようになってしまう。」


「そういえばあたし、都会に住むのって、初めてだ。。」


こんな話を聞くと、トワトワトの方が彼女の故郷にまだしも近しい場所に思えた。


「真の豊かさとは、ありあまる富の足枷ではなく、何も持たずとも生きてゆける自由にある。

そういう意味で都市とは、惨めなほどの貧困にあえぐ、殺伐とした息苦しい世界だ。

君はこれから、その不毛の地に、勇敢にも飛び込もうというわけだ。

こういう時の為にこそ、餞なぞという、卑俗なしきたりがあるのだよ。」

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