09 聖女

「……っ、うぅあっ!」


 そのときアンジュの身体の内側から眩い白光が迸った。


 黒一色だった深い闇を塗り替える輝きが周囲を明るく照らしていく。いままでこんこんと胸の中から満ち溢れるようだったものが、一気に放出された。

 すると徐々に腕の中に会った焔がなにかのかたちを取り始めた。たくましい肩、長い腕――胴に、足。そして頭がちょうどすっぽりと腕の中に収まった。


 この力がすべて消えてしまったとしても構わない。

 どうか――このひとをもう一度元の姿に戻してください。

 カイルを返してください。


 修道院付き孤児院にいたからといって敬虔な信者というわけではなかった。ほかの者には与えられなかった寵愛を受け、授かられた聖力は母を苦しめただけだろうから。それでもアンジュは祈らずにはいられなかった。


 この身体がすべて燃え尽きてしまっても構わない、そう思いながらも願ったのだ。


 助けて――「おかあさんラヴィエラ」。


 途端、アンジュの胸から白いリボンのようなものがしゅるしゅると飛び出てきた。思わずアンジュが手を放すと、それは黒い闇に染まったカイルの肉体に絡みつき、ぐるぐる巻きにした。

 それがほどけた瞬間、中からぼろぼろの軍服に身を包んだ黒髪の青年が現れた。


「カイル!」


 アンジュは夫の名を呼び、ふたたび強く抱きしめた。何度も彼の名を呼び、腕にぎゅっと力を入れているうちに「アンジュ」とくぐもった声が聞こえた。おそるおそる腕を解いて覗き込めば、カイルの双眸はアンジュを確かに映していた。


「アンジュ――俺の聖女様。君が俺をレーヴァテインから救ってくれたんだね」

「ほんとにカイルなのですね……!」


 よかった――。

 安堵の息を吐き、アンジュは震える唇を彼のかさついた唇に重ね合わせた。それはちょんと触れただけの弱々しい口づけだった。


「……愛しています」

「アンジュ……?」

「あなたを愛しているのです――あなたが私をどう思っていようが構いません、あなたに私は恋を、しているみたいなのです」


 それはアンジュにとって、一世一代の重大な告白だったのだが――カイルはきょとんとした後、大笑いをし始めてしまった。


「ど、どうして笑うのですか……!」

「いや――こんなに嬉しいことはないから。噛みしめていたんだよ」


 アンジュの顎をすくいあげるようにして持ち上げると、今度はカイルからくちづけをした。甘い余韻を楽しむように長い間、唇を重ね合わせたまま離れようとはしなかったのでアンジュは途中で酸欠になりかけた。


「俺も愛している。心から、君だけを愛しているよ俺のアンジュ」


 そういって恋人たち――夫婦は強く絆を確かめながら、深い谷底で抱き合ったのだった。

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