03 違和感
執事たち使用人に宴の切り盛りを任せると、エヴァリスト夫妻は屋敷の中へと戻った。そして誰も書斎に入れるな、と言いおいてからばたんと扉を締め切った――何者にも邪魔をされないように。
カイルは窓辺に立ち、盛り上がる宴のようすを見下ろしていた。アンジュもそれに並んで眼下の景色を眺めた。
ヘルタート山脈に分け入った隊員たちも含めて各班が入り混じり、楽しそうに酒を酌み交わしている。先ほどアンジュ手ずから葡萄酒を配った者たちの姿を見つけて安堵の息をこぼした。楽しんでもらえているのならよかった。
「くく、アンジュは公爵夫人の才能があるみたいだね」
「あなたはまた適当なことを。どんな才能ですか……」
アンジュがほっとしたのを揶揄っているのだろうがいつになくカイルは上の空だった。何かを考え込み、思い詰めているような表情を見てじくりと胸が痛んだ。アンジュの視線に気づいたカイルは薄い笑みを浮かべて、重い口を開いた。
「ヘルタート山脈には悪獣の姿がほとんど見られなかった」
誰にも聞かせたくはない話、ということで覚悟はしていたが、アンジュは拍子抜けしてしまった。
「そこかしこに『いる』という気配は感じる――だが、姿を現したり襲ってきたりするものが少なかったんだ」
「あの、それは喜んでいいのでは……?」
凶暴な悪獣が少ないという話だけ聞けばそれは良いことのように思えるのだが――カイルの横顔は強張ったままだった。
「ねえアンジュ、王都エリッセではあれほど活性化していたのに。おかしいと思わないか?」
「……それは、確かにそうですが」
アンジュがカイルと共に悪獣に遭遇したのはダンスパーティーの夜、セレモニーの日だ。その二回しか悪獣を見たことはないのだが――どちらもいきなり現れて、王都を激しく荒らしていった。ふだんは王都に悪獣など現れないから奇妙だ、と誰もが首を傾げていた。
「活動の沈静化も活発化も、悪獣がなにかに反応しているせいではないか……と俺は思うわけだよ」
アンジュは「なにか」が指すモノを数拍考え、きゅっと唇を引き結んだ。
「悪獣を
カイルは何も答えなかった。それが正解だから、とアンジュは判断した。
「もしや私を疑っておいでですか」
「君じゃない、と証明することは出来るのか?」
心臓を直に掴まれたような感覚にアンジュは顔をしかめた。その反応を面白がっているかのようにカイルはじっとアンジュの瞳を見つめた。しばらくにらみ合った後に、なんてね、とカイルは笑うように息を吐きだした。
「アンジュは違うよ。俺の
「じゃあいまの間はなんです?」
「君の反応を見たかっただけ――俺に疑われていると思って、君が傷つくのか知りたかったんだよ」
「……最低なひとですね、あなたは」
「うん。そうだよ、俺は君が思っている以上に意地が悪い。欲しいものを手に入れるためならどこまでも非道にだってなれる、そう思ってたんだけどね」
アンジュの頬の輪郭をカイルの指が優しくなぞるように触れた。
「君があまりにも可愛いから、ただただ甘やかしてあげたくなってしまう。おかしいだろ」
「カイル……」
名残惜しそうにカイルの手が離れていったとき――俯いてしまったアンジュ自身もそのまま触れていてほしいと願ってしまったことなど、カイルは知らないだろう。
窓を開けると闇と共に夜のにおいがふわりと室内に入って来た。濃密で深く、湿度を伴うそれは心地好くアンジュの肌を毛布のように包んだ。
「目星はついている――犯人はエリュシア嬢だろう」
ぼそりと呟いたカイルの一言に、アンジュは言葉を失った。
頭の中でそんなはずない、違うと否定しようとしているのに即座に激しく打ち砕かれる。自らの中にもその答えがあったことを否応なしに意識してアンジュは茫然とした。
カイルはアンジュの肩を掴み、戸惑いに揺れたままの翠眼を覗き込んだ。
「考えてもみるんだ、いままで王都に悪獣が現れたときそばにはいつもエリュシア嬢がそばにいた。無意識の内なのかもしれないが、彼女が悪獣を操ることが出来るのではないかと推測が立つ」
「そんなことが」
「彼女がそばにいるからこそ、ヘルタート山脈の悪獣たちはおとなしくしているのだとしたら?」
「っ……!」
途端、残酷な想像が胸を駆け巡った。
「あなたはいつから」
「……アンジュ?」
「いつから彼女を疑っていたのですか」
もしかすると見せつけるように、アンジュを褒めたたえたり、身体的接触をしたのも彼女を煽り、怒りのまま悪獣を呼ばせるためだったとしたら。いいようにアンジュは利用されたのだということにもなる。
アンジュに語った愛の言葉もすべて偽りで――それに舞い上がるアンジュの姿をエリュシアに見せつけようとしていたのかもしれない。
「考えすぎだ――君は冷静さを欠いているように見える。今日はもう休むといい」
「……ええ、そうさせていただきます」
冷ややかな一瞥を残し、アンジュが退室した書斎の中で「くそ!」と口汚く自らを罵るカイルの声が響いていた。
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