04 再度の遠征

「エリュシア嬢、ご協力感謝します」


 にこやかにカイルが笑みを向けると、エリュシアははにかんだように差し出されたカイルの手を取った。

 彼女を馬に乗せ、その後ろに乗ったカイルが手綱を握る。

 ヘルタート山脈へと進み始めた討伐部隊の後ろ姿をアンジュはじっと見守っていた。騎馬で行けるのは山の途中までだが、それまでは体力温存のために馬を使うつもりのようだ。


 帰還から三日後、ふたたびヘルタート山脈に部隊が出発することになった。異例のことではあるのだが同行者として聖女代理であるエリュシアを連れて行くことに決めたとカイルが発表した。危険地帯への同行を嫌がらず同意したということに多くの者が訝しんだ。


「カイル隊長のことだ――愛人を連れて行っていいところを見せたいんじゃないか?」

「もしくは出陣中に発散する相手を連れて行きたかったのかもしれないし」


 がはは、と下品な笑い声を上げる隊員を横目にアンジュは公爵夫人としての務めを果たし続けた。

 エヴァリストの予算を使って支援物資を仕入れ、供給班に配達を依頼する。領民の安全と安寧を確保するためにも出来ることをと考えて動き続けていた。


「奥様はこういった作業に慣れておられるのですね」


 てきぱきと行動するアンジュを見ながら執事が感心したように言った。


「子供の頃――私は孤児院にいて、そこの年少の子たちに次はあれをやるのよ、と教えてばかりいたものですから」


 そうですか、と執事は表情筋をぴくりとも動かさず押し黙った。どうやらエヴァリスト領の人々にアンジュのことは知れ渡ってはいないようだった。余計なことを言ってしまっただろうか、と後悔していると執事が「アンジュ様」と再び口を開いた。


「貴女のような方が坊ちゃんの……いえ、旦那様の奥方になられてよかったと心から思っています」

「それは、どういう意味でしょうか」

「――これは私が話すようなことではないでしょうが、旦那様はご自身で決して言わないでしょうから」


 アンジュの問いかけに執事は躊躇いながらも告白した。


「カイル様は前の旦那様からも奥様からも、興味を持たれていませんでした。旦那様は賭博に熱心で、奥様は着飾ることに夢中で――カイル様のお世話は我々使用人に任せきりでした」

「それは……ご両親から、愛されていなかったと」


 執事は目を伏せ、軽く頷いた。


「その分、周囲から多くの愛を求めていたように思います。そのために勉学に励み、武術の訓練を怠らず――そうすれば誰からも褒めてもらえることをわかっていたのです。それは大人になっても変わりませんでした……その女性関係が派手だった、のはそういうわけでして」

「私に気を遣わなくても構いませんよ。社交界での旦那様の評判は私も存じています」


 顔も良くて家柄も良いけれど、あの軽薄なところがいただけない。長いことひとり身だったのは彼の浮気性のせいだと専らの噂だ。

 周囲から「薄っぺらな貴公子」だなんだと言われ続けていたことぐらい最初から知っていてアンジュは結婚したのだ。

 王都の屋敷で過ごしていたときも帰りが遅くなったときが数回あって、もしかすると別の女性のもとへ行っていたのかもなと考える夜もあった。


 カイルは聖女アンジュの持つ力を得るために結婚したのだから――アンジュの母ラヴィエラのように、身ごもることで聖力が失われるリスクを思えば子を成すことは出来ない。


 いつかほかの女性との間でカイルが子供を作って連れてくるかもしれない――頭ではわかってはいても、覚悟はまだ出来てはいなかった。

 最初は覚悟なんて要らなかった、それが当然だと思っていたのに……。

 エリュシアと連れ立ってヘルタート山へ向かう姿を見てアンジュの胸には芽生えたのは紛れもない嫉妬だった。勿論、アンジュはカイルの意図は知っていたがそのためには彼女を傷つけるだろうことを知ってもいた。いわば共犯者のようなものである。すべては一つの目的のために――。


「奥様……」

「いいの」


 思い詰めたような表情で、ヘルタート山脈を見上げたアンジュを見て執事は意を決したように言った。


「奥様、これだけは知っておいていただきたいのです。旦那様は奥様を裏切るようなことはなさりません」

「……っ」

「どうか、どうか――信じてさしあげてください」


 深々と頭を下げた執事の姿を前にアンジュは小さく「そうね」と頷いた。

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