10 到着

 エヴァリスト領に着いたのは王都を発って八日目の朝だった。


 馬車を降りてすぐ正面にあった山肌が紅く染まり、まるで一枚の絵画のような幻想的な風景を描いている。色とりどりの絵の具で彩色したキャンバスは見渡す限りの広がりを見せ、息を呑むような美しさだった。


 朝のしんと痺れるようなひんやりとした空気を胸いっぱいに吸い込んでゆっくりと吐き出した。一緒に来ていたルースも「風光明媚な土地ですのね」と感心している。

 同乗者であるエリュシアも嬉しそうに色づいた山々とすぐそばの湖畔を眺めていたのでアンジュは安堵の息を吐いた。これからしばらくは生活を共にすることになる相手と、少しは上手くやっていきたいという気持ちがある。


 それに、アンジュはエリュシアと親しくなれるかもしれないと思ったのだ。カイルが好きだということは前向きにとらえれば趣味が似ていなくもないわけで。ようやく共通項が見つかったような心持でいた。

 少々の休憩の後、アンジュたちはエヴァリストの屋敷へと案内された。

 悪獣討伐遠征部隊の者たちは庭にテントを張り、応接室を会議室にして連隊長たちは今後の討伐予定について話を詰めていた。


「はい」


 ノックの音に応じると、意外なことに立っていたのはエリュシアだった。気まずそうに目を逸らしながら「先日の夜は申し訳ございませんでした」と殊勝に謝罪する。


「そんな、お気になさらないでください……私が無神経でした」

「いえ私が過敏だったのです、あなたはなにも悪くないのに」

「私こそ」

「いいえ私が」


 堂々巡りの謝罪の応酬が数拍続き、次の瞬間顔を見合わせて笑った。


「お庭、見て来ませんか? こう、長細い紫の花が咲いていたのが見えて」

「きっとセージですわね。こう花の部分が柔らかくて、触るとこう気持ちがいいのです」


 房が、もふっとするのだと力説したエリュシアの頬は真っ赤に上気していた。賢明に関係を修復しようとしてくれているのだとすぐにわかった。共に荷ほどきも放り出してアンジュはエリュシアと共に屋敷の前庭へと駆けて行く。

 そこらじゅうで設営をしている隊員たちに挨拶しながら、庭を散策した。アメジストのような鮮やかな紫のセージの穂に優しく触れてはきゃっきゃと喜ぶふたりの姿を見た使用人――特にルースは不思議そうに首を傾げていた。



*.˚‧º‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧º·˚.*



「エリュシアと仲良くなったんだって?」


 寝室にやって来たカイルは怪訝そうに目を眇めながら言った。


「君たちが険悪そうだ、とルースからも聞いていたのだけれど、俺の勘違いだったかな」

「険悪……というか主に原因はあなたですけれど」

「俺――ああ、ごめんね。俺が愛想を誰かれ構わず振りまく性質タチなだけに」

「……ご自覚があったとは」

「あるよ。肝心の相手にはいつだって相手にしてもらえないけれど、他は大体うまく行くんだ。不思議だね」


 思わせぶりなことを言ってカイルはアンジュを腕の中に抱き込んだ。

 離れようと胸を押したが「移動中は君に触れられなくて困ったよ」と切なそうに言うものだから腕に力が入らず、ただカイルの胸に手を置くだけになってしまった。


「今日はようやく一緒に眠れる――君を抱きしめて眠りたいな」

「抱きしめる、だけですよ」

「うん」

「それ以外のことをしたら怒ります」

「キスは?」

「…………ダメです」

「あ、いまもしかしていま想像した?」

「やっぱり一緒に眠るのもなしです」


 そんな、と大げさに騒ぎ立てるカイルを見つめているとき、きゅう、と切なく疼く胸の痛みにアンジュは気づかない振りをした。

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