09 行程

 王都からエヴァリスト領までは舗装された道を、八日間ほどかけて移動する。適宜休憩を挟みながらではあるが長い道のりではあった。

 悪獣討伐遠征部隊は騎馬での移動であり、そのほか物資や女性陣――アンジュとエリュシア嬢は馬車での行程である。二頭立て馬車で二人きりになったエリュシアとのあいだには沈黙が満ちていた。

 社交下手にもほどがあるアンジュは年頃の女性同士が話すべき内容をまるで知らないし、エリュシアはあまりアンジュにはいい感情を持っていないようであった。


「……エリュシア様、ご覧ください。あちらに鳥の群れが! 可愛いですねえ」

「……………」


 なけなしの気遣いをしてみたところで反応はなく、馬車の中には気まずい沈黙が満ちた。幸いにも二人きりというわけではなく使用人もいたので、時折事務的な会話だけは果たされたためほっとアンジュは胸を撫で下ろした。


 行程の中で男性陣は野営、女性陣は宿屋にという局面があったがやはりアンジュとエリュシアは部屋を都合する関係で二人で一部屋になることが多かった。

 何度か話しかけても無視されてばかりだったのでよほど嫌われているらしいことは承知していたが、残り半分近くある道のりをこの重苦しい沈黙と共に過ごすのは正直御免だった。それに連隊がヘルタート山脈へ悪獣討伐に出向いている間、アンジュはエヴァリスト公爵邸で彼女と過ごすことになる。わだかまりをすこしでも解消しておくに越したことはない。


 ひとりでいることは苦ではないし、会話がないこともさほど困らないと思っていただけに――己の感覚が実際には他者と関わることを望んでいたと気づいて、アンジュは少し意外に思った。


「――何か、私に至らない点がございましたでしょうか」


 アンジュは就寝前、思い切ってエリュシアに尋ねてみることにした。エリュシアは話しかけられたことにハッとしたようすを見せ、口を開閉させたがすぐにアンジュの視線を避けるように俯いてしまった。


「気に障るようなことをしてしまったのであれば直しますから……」

「すべてですわ」


 エリュシアは顔を上げるときつくアンジュを睨んだ。


「黒竜公を私、お慕いしていたんですのよ? それなのにあなたと楽しくお話しできると思って?」

「っ……それは」

「いいわよねえ。あなたは美人だもの、見た目がよければすぐにあの方は手をお出しになるでしょう? 私はずっと待っていたのに、目にも留まらなかったわ。それもすべて、こんな地味な容姿のせい――私がおかあさまみたいだったら、きっと黒竜公だって」


 言うだけ言ってエリュシアはベッドに入るとふとんを被ってアンジュから顔を背けてしまった。すすり泣くような声が聞こえたがこれ以上、アンジュは彼女にかける言葉を見つけられなかった。


 そっと音を立てないように部屋を出ると、アンジュは宿屋の外に出た。

 欠け始めた月が夜空には浮かび、星明りで金色の道が大地に出来ていた。平原の野営地についた明かりをぼんやりと眺めながら、カイルを想った。


 エリュシアは涙を流すほどに彼に恋焦がれているのだ。他にもおなじように想っていた女性がたくさんいることだろう。何故、アンジュなんかが――無能の聖女の、娘などがと。


 カイルが欲しいのは、アンジュではなくてアンジュの聖力でしかない。

 結婚は契約の代わりなのだ――カイルに安寧と安らぎを与えるために求められたにすぎない。そこに「愛」など存在しない、はずだ。


 それにアンジュが聖女の力を使い続けるには、カイルとの間に子を成すことは出来ない。アンジュを母であるラヴィエラが身ごもったことで力を失くしたように、アンジュもおそらくそうなるのだろう。


 だから他の女性との間に子を作ればいい、そんなふうにカイルに言ったことをアンジュは今更ながら後悔した。

 彼の手が、彼の唇が他の女性に触れることを考えると――胸が燃え落ちてしまいそうなほどに激しく疼く。

 エリュシアもひょっとすると同じ気持ちなのかもしれない。そう思うと、目の奥がじわりと熱く濡れた。


「お嬢さん、夜歩きは危ないですよ」


 とんとんと肩を叩かれ振り返った瞬間、すぐ後ろにいた相手はアンジュの目尻から散ったひかりを見逃さなかった。


「……っ、カイル! どうして」

「『どうして』は、こっちのセリフなんだけどね……⁉ アンジュ、何かあった? えっ、もしかして俺? 俺、なんかしちゃった?」


 カイルがいつになく動揺している。それが可笑しくてで思わず笑ってしまった。


「えっえっなんで笑ってるの? 笑ってるの可愛いけどなんで……? さっきまで泣いてたのに」

「いえ――ちょうどあなたの顔が見たいと、思っていたところで来たから、ふふ」

「それだけ……⁉」


 カイルには何も言えない。

 芽生え始めたこの痛みの正体に気付いていながらも、いざ口にしてしまえば……穏やかな日々で築き上げたこの微妙なバランスが崩れてしまうような、そんな気がした。


 アンジュには出来なかった。

 カイルが「愛しているよ」と軽く口にするようには、とても。

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