08 エヴァリスト領へ

 王都のセレモニーに悪獣が乱入した事件は当然ながら新聞各紙に書き立てられていた。避難誘導などを含めた討伐遠征連隊の活躍、そしてそこに悪獣を一瞬で追い払った聖女フレイヤを賞賛する言葉が連ねてある。


「ふふ、みんなどうしてこう簡単に騙されるかな」

「……カイルは何を企んでいるのですか」


 新聞を畳みながらカイルは「企んでいるなんて心外だな」と笑んだ。すっとソファから立ち上がり、鏡の前で身だしなみを軽く整えた。

 本日エヴァリスト領へ向けて発つため、カイルは遠征用に漆黒の軍服姿である。ちなみに一度も伝えたことはないが、アンジュはカイルのこの服装が好きだった。ふだんよりさらに凛々しく、幾分か真面目にも見えるので。


「いつだって言い訳してフレイヤはエヴァリストへの遠征について来ない――今回もおなじではあったのだけれど、いつもとは違う点もある」

「エリュシア嬢が同行するということですか」


 悪獣が飛び交う広場で、聖女の背に隠れてぶるぶる震えていた少女の姿をアンジュは思い出した。そんな彼女を危険な遠征の同行者として差し出したフレイヤにはなんというか嫌悪感めいたものをおぼえてしまう。

 アンジュの方へ振り返るとカイルは、ぽん、と黒の皮手袋を嵌めた掌で妻の頭を撫でた。


「それもそうだけど――俺には君が……俺の聖女様がいるからね。それにしても此間の活躍は目を瞠るものだった」

「……自分でも何が何だかわかりません。私、もういちどあれをやれと言われても――」


 出来る気がしない、そう言おうとした唇にカイルの指が触れてその先を続けるのを止めた。


「そんなことは気にしなくていい。君にはエヴァリストの屋敷でおとなしく俺の帰りを待っていてほしいんだ……絶対に、ついてきちゃ駄目だからね」

「どうしても、ですか」


 カイルの傍にいればこないだのように何かお手伝いが出来るのかもしれない。そんなふうに考える気持ちは日に日に膨らんでいった。役に立ちたいのだ。視線で言いたいことは伝わったのか、甘やかな声音で「だめ」と再びカイルは念を押した。


「アンジュは自分自身で力を制御できないだろう? もし上手く発動できなかったら……君は悪獣の餌食になるかもしれない。そんなことには絶対させないけれど、俺が気が気でなくなってしまう」

「……かえってご迷惑になるということですか?」

「まあ、何も取り繕わずに言えばそうなる。俺が優先したくなってしまう順位が変わってくるから」


 自分の順位が何番目であるのか、少し気になったが尋ねるのはやめた。その代わりに、カイルのネクタイに手を伸ばし一度緩めてもういちど締め直した。


「いいね、それ。毎回やってもらおうかな」

「お望みでしたら、ええ。喜んで」


 頬を撫でる手袋の感触にどぎまぎしながら指使いと眼差しに促されるようにしてアンジュは目を閉じた。

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