07 出立のセレモニー

 カイル達、悪獣討伐遠征部隊が王都エリッセを発つ直前に大規模な出立のセレモニーが開かれた。


 聖女フレイヤによる悪獣討伐遠征部隊への加護を授ける儀式も同時に行われ、王都のサン・ルイーズ広場には大勢の人々が一目見ようと詰め掛けた。

 深紅の薔薇を思わせる華やかな衣装を身に纏ったフレイヤが広場の中央に据えられた円形の舞台の上に立つと、観客たちはほうっと息を呑んだ。彼女のすぐ後ろには養女であるエリュシアが控えている。


「出立する部隊の皆さまに祝福と加護を」


 カイルをはじめとする連隊長がずらりと並び、代表してフレイヤから加護を受けるという演出である。フレイヤの両手からほとばしる眩い光を目にした人々はあっと息を呑み感激のあまり涙を流していた。


 そのようすをアンジュは集まった人々に紛れ見守っていた。

 すぐそばにはルースもいるし護衛もいるから不安はない。それなのになんだかひどく落ち着かないのだった。そしてそれはフレイヤが加護を与えているのを目にした時から加速していった。

 確かに――自分が持っている聖力とは異なる種類の力であるようだ。

 掌を握ったり開いたりしながらアンジュは考えていた。だがカイルに役立つのならなんだっていい。カイルが怪我無く無事に討伐を終えられさえすれば、それで。


 そのとき、ぶぶぶぶぶと空を切り裂く異音が広場に轟いた。


 どこかで見たような黒い煙を視界の端に捕らえたかと思えば、それらが勢いよく滑空する。まるで大きな群れを成すようにしてその煙が広場へと舞い降りようとしていた。


「悪獣だ!」


 誰かの一言で、集まっていた人々は散り散りに逃げ惑った。


 巨大な蟲のようなものが、背中を向けて走り出した一団に向かって飛んでいき、鋭い翅で彼らを切り裂いた。迸る血しぶきに半狂乱になり、泣きわめきながら人々は屋内に逃げ込もうとする。


「第一連隊と第二連隊、これらを討伐せよ! 第三から第六連隊は市民の避難を」


 茫然とした連隊長たちの中で唯一、先日も悪獣との戦闘を経験したばかりのカイルのみが冷静だった。ほとんどの人間が王都に悪獣が現れるなどという異常時を経験していない。


「奥様、私達も避難を……アンジュ様! どちらへ行かれるのですか」


 ルースの手を振り払い、アンジュは人々が逃げる方向とは真逆――舞台の方へと走り出した。ひとにぶつかりよろけ、転びそうになりながらも一直線にカイルのもとへとひた走った。


「カイル!」


 悲鳴の中でアンジュの声が聞こえたのか、カイルが「来るな」と叫んだ。お構いなしに彼の方へと向かう最中、走って逃げてきた者に勢い良く突き飛ばされて転んだ。

 起き上がろうとした瞬間に、耳障りな羽音がすぐ頭の上から聞こえた。


 はっとして見上げれば蟲の巨大な眼が自分を捉えているのがわかった。アンジュ。カイルが自分を呼ぶ声が遠くから聞こえる。


 大きく振りかぶった鎌のような翅がアンジュに触れようとした瞬間――かっ、とオレンジの光が勢いよくアンジュから迸った。


 ひどい耳鳴りが響いている。


 思わず瞑っていた目をこわごわ開くと、広場には倒れ伏す人々しか見えず――黒い煙も巨大な蟲も跡形もなく消え去っていた。


「アンジュ!」


 まるで薄膜を通したかのように、駆け寄って助け起こしてくれたカイルの声がぼやけていた。ようやく目が合うとカイルの表情に安堵の色が浮かぶ。

 立てるか、と声をかけられ立ち上がろうとしたが脚がふにゃりとなって崩れ落ちてしまいそうになる。情けないことにカイルにすがりついていないと立っていられなかった。


「それならこうするしかないな」


 なんのことだかわからなかった――が、すぐに判明した。ひょいとアンジュの襞裏に左腕を通し、右腕で背中を支えると軽々抱えてしまったのである。


「カイル!」

「いいだろう、非常時なんだし俺たちに誰も注目していないよ」


 だとしても落ち着かないにもほどがある。抱えたままカイルは舞台の方へと歩いて行った。そこには呆けたように広場を見つけている連隊長たちが立っていた。それと逃げ遅れたらしいフレイヤとエリュシアがいた。


「なんだったんだいまのは」

「悪獣がどこかに消えてしまった……?」

「何が起きたっていうんだ」


 ようやく正気に戻ったのか、しきりに話しあっていた連隊長に「どうやら聖女様が悪獣を払ってくれたらしいですね」とカイルが言うと彼らは勢いよく聖女フレイヤを振り返った。


「なんていうことだ」

「さすが聖女様……たくさんいた蟲の悪獣をあんな一瞬で!」

「えっ、ええまあ……ほほ、少々手間取ってしまいまして申し訳ございません」


 カイルはにやにやしている。腕に抱かれながら、何か夫は良からぬことを考えているのだろうなとアンジュは察した。そしてその予想は見事的中した。


「どうでしょう、この力を聖女様に揮っていただければ我々の討伐も間違いなく成功するでしょう」

「な……っ!」

「おお、それはいい考えだ。ぜひ聖女様にもエヴァリスト領までご同行いただきましょう。さすれば加護の効果も長く持続するでしょうし」


 カイルの見込み通りなのだろうが、フレイヤは顔色を変え気まずそうに目を伏せている。先ほどの件は自分でも実感がないくらいだがアンジュの聖力によるものだろうが、この場にいる誰もが(カイルを除いて)フレイヤがやったものだと信じている。

 フレイヤは内心焦っていることだろう。悪獣討伐の最前線に向かえば当然のように危険が伴う。いままではなんだかんだ理由をつけて王都に留まって来たのだろうが、さて――アンジュがひそかに注目していると「仕方がありません」と頷いた。


「ですがわたくしは王都の皆さまを――陛下を守るという大切な義務があります。代わりにエリュシアを行かせましょう」

「お義母様――⁉」

「ご心配なく、この子は私の後継者として聖力を高めるための修行をしております。皆さまに加護を与えることぐらいは出来ますのでお役に立てるでしょう」

「ほう……フレイヤ様にお越しいただけないのは残念ですが、それは心強い。どうかエリュシア様我々にお力をお貸しください」


 連隊長に取り囲まれ、エリュシアは眉を下げ助けを求めるようにフレイヤを見たが素知らぬ顔をしていた。

 アンジュは小声で「これでよかったんですか」とカイルに尋ねたのだが――「ああ」と頷き、アンジュの頭にキスを落としただけだった。

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