06 夢うつつ

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 そこはひどく暗い場所だった。


 ねっとりとした濃密な闇の中で女性がひとり両手を組み合わせて祈っていた。窓は板で封じられ、外の景色は見えないようになっている。彼女を閉じ込めているこの部屋は塔の最上階で、外界と完全に遮断されていた。


「可愛い、私の■■■■」


 ふくらんだお腹をさすりながら愛おしげに彼女は宿った命につけた名を呼んだ。最初からこの名前しかない、と決めていた。否、告げられていたのだ。


 いずれおまえは子を宿すだろう、そしてその子の名前は■■■■だ。


 夢の中で、まだ平らだった腹部に眩い光が降り注ぎ、かたはハッキリとおっしゃられた。そしてその子こそ、この王国に愛と希望をもたらす奇跡の子になりうるのだ、と。


 愛しい相手に出会い、子供を身ごもった時――彼女が最も心配したのはこの奇跡の子が聖都ラウムのはしためとして生涯、授かったこの強大な力を聖職者たちの利権のため……やがて壊れてしまうまで酷使され続けることだった。

 

 まるで自分のように。


 神から授かりし聖なる力は自らを削る術でもある。自分の精神や肉体がひたすらに摩耗し続け、削るものがついになくなると命の炎までも消費し始める。


 彼女はただひたすらに祈った。

 自らに残るすべての力を用いて、腹の中の子の幸いを――神の御使いとして正しきことに力を使うことが出来るように祈り続けた。願いが叶い、■■■■の力が封じられるまで。


 そしてその赤子が産声を上げたのを聞いた瞬間に、彼女は天に召された。たったひとりで塔の中で死んだ彼女の名は蔑みと共に呼ばれている。


 無能の聖女、ラヴィエラと。


 力を使い果たし、寄付金を持って聖都を訪れた貴人のために祈るのをやめたおかげで「聖女」と聖都ラウムの評判は地に落ち、聖職者たちは怒り狂った。

 世間の目も冷たく、もう力が仕えなかったラヴィエラを無能と断じ、新たに誕生した美しく若い令嬢の持つ「聖力」に心を奪われた。


 そうして生まれた新しい聖女は、王都で彼女を信奉する多くの者のために加護を与え続けた。その場しのぎの治癒魔術だったとしても、有難がり素晴らしい「加護」だと喜ぶひとがいる限り聖女は喜んで十数年にわたって力を使い続けた。


 だが――そんな彼女の栄光にも陰りが見え始めていた。

 それならば、新たに聖女を作ればいいのだ。

 天啓のようなひらめきによって、新たに少女が選びだされた。見目は当然ながら麗しくなければならない。それに取り繕えるほどの魔術の才も。

 そうして絞り込んでいけば、ただひとりしか残らなかった。


 鳶色の髪をもつ、その少女は――「聖女」となるべく育てられることになる。



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 はっと、真夜中にアンジュは目が醒めた。心臓が早鐘のように打っている。背中にはじっとりと汗を掻いていた。

 今晩はカイルがいない。急遽、王に呼ばれて王城へと向かったので大きな夫婦ふたり用のベッドを悠々と使えることになった。最初こそ快適だと思ったのに、妙に落ち着かなかった。

 そのせいだろうか、妙な夢をみた。

 起きた瞬間に記憶が薄れていくのでいまはもうおぼろげにしか頭の中に残っていないが、誰かに名前を呼ばれていたような気がした。暗闇の中で揺りかごのようにゆらゆら揺れながら愛を注がれる。

 そんな経験は一度たりともしたことがないはずなのに不思議だった。


 もう一度眠ろうと思ったのにいつまで経っても睡魔が訪れてくれない。その理由は、あるべきものがそこにないからだとアンジュは嫌々ながらも認めざるを得なかった。

 床に放り投げられたカイルの寝間着を拾い上げて、丁寧にしわを伸ばすとベッドの上に広げた。するとかすかに香る清涼感のある香水と体臭がまじったにおいにどきりとした。

 するとようやく落ち着いたような気がして身体から徐々に力が抜けていくのを感じた。


「カイル……」

「うん」


 なあに、と甘い声が返って来る。これは夢なのだろう、だから大丈夫だと変に自分を誤魔化して仔猫のように擦り寄った。耳朶をくすぐるように笑い声が降って来る。


「さみしかった?」

「そう、ね……さみしかった」


 むにゃむにゃと誘導されるままに本音がぽろりと口からこぼれ出た。さみしかったのだ、私は――ようやくそのとき認められたような気がした。


 カイルの役に立ちたい。

 カイルに必要とされたい。

 カイルのそばにいたい。


 そして叶うことならば――。


「……カイル」

「ん?」

「カイル……⁉」


 がば、と跳ね起きようとしたが大きな腕に阻まれていた。身動きが取れないまま押さえ込まれている。


「い、いいいいつの間にお帰りになられたのですか!」

「いまさっきだよ。ただいま」

「お、おかえりなさいませ……ではなく! では先ほどのは?」


 くく、とカイルはおかしそうに喉を鳴らした。


「君がさみしいだなんて言うから、可愛がりたくなってしまうじゃないか」

「それはあなたが誘導したんじゃありませんかっ、私はその、別に……」

「さみしくなかった?」

「〰〰〰〰そういうわけではございませんけれど!」


 からかわれていることはわかっているのだが、どうしても反撃する糸口が見つからなかった。むっとした調子で言い返すのがやっとだった。


「ふふ……いや、帰って来てみれば君が俺の寝間着を抱きしめて眠っていたからつい」


 ごめんね、とは言われたものの「抱きしめたなんかいません!」と、アンジュはいささか自信がない返事をすることがやっとだった。

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