02 聖女の娘

「ご結婚おめでとうございます」

「ありがとうございます、聖女フレイヤから祝っていただけたとあらば俺たちの結婚も幸せが約束されたものでしょうね」


 アンジュそっちのけで会話を楽しんでいるようすのフレイヤのすぐ後ろに、鳶色の髪の少女がぼうっと立っているのが目に入った。鮮やかな新緑の色のドレスの彼女とぱっと目が合って、気付いた。


 先ほどダンスをしているときに睨まれていると思ったのはこの眼差しである、と。


 アンジュの目線の先にいる人物に気付いたカイルが「こんばんは、エリュシア」と少女の名を呼んだ。仕方なく、といったようすで前に出た少女――エリュシアは「こんばんは、黒竜公」と沈んだ声で応じた。


「ふふ、エリュシアったら黒竜公と結婚するのは私だ、ってずっと言っていたから気恥ずかしいのでしょう」

「っ、お義母さまやめて!」


 悲鳴のような叫びがダンスホールに響く。ぴた、とざわめきが止んだかのような静寂がその場に満ちてエリュシアの頬はかあっと赤くなった。


「申し訳ございません、私、体調がすぐれないので……」

「そうね部屋に戻っていなさい」


 冷たく言い放ったフレイヤに頷いて、エリュシアはダンスホールをそっと出て行った。ふふ、とごまかすように聖女は口元に形ばかりの笑みを刻む。


「ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございません」

「いえ……エリュシア嬢は」


 アンジュの声を遮るようにしてフレイヤは言った。


「兄の娘だったのですが、あの子には聖女としての素質があると思って養女にしたんですの。いまは聖力の扱いについてわたくしの指導のもと特訓をしているところですのよ」

「どのような特訓をなさるのですか?」


 アンジュがすかさず尋ねると微かにフレイヤはたじろいだように見えた――が、すぐに聖女らしい笑みを湛えて返した。


「水盆に手をかざし、そこに聖なる光を注ぎ込むのです」

「すると効果はどういったものが得られるのでしょう」

「……っ、適正に聖力を注げていれば水の色が変わるのですわ。よろしければ御覧に入れましょうか?」

「ええ、機会があれば」


 アンジュ、と小声でカイルに呼ばれたためそれ以上の質問を重ねることをやめた。強張っていた表情筋をほぐし、ぎこちなく微笑んで挨拶をするとその場を離れることにした。


「どうしたの?」

「みっ、耳元で囁かないでください、ぞくぞくするので……!」


 腰を抱かれ引き寄せられた状態で、カイルの低い声が耳朶を打った。熱った頬の熱を冷まそうと、持っていた扇でぱたぱたと顔の前を仰ぐ。


「注目されているから仕方がないだろう? それに、このホールは内緒話には向かないみたいだ」


 ちら、と会場内を一瞥してからカイルはアンジュの手を引いて、庭へと誘った。

 パーティー会場のホールの大きな窓から庭へと出られるようになっているらしく、ちらほらと人目を避ける恋人たちの姿があった。

 夜風が冷たい、と感じる間もなく肩にジャケットが掛けられる。


「ありがとうございます……」

「どーいたしまして。君に風邪を引かせたくはないからね」


 ぱちりと片目を瞑る仕草にどぎまぎした。カイルは不必要なほどに距離が近いし愛想が良いが、結局のところ自分たちは政略結婚、否、契約結婚のようなものなのだ。レーヴァテインの傷跡を治癒するためにアンジュが必要だから望まれただけで――アンジュには家格のうえでも拒否権はなかった。

 ただそれだけの関係であるはずなのに――。


「何かな」


 いつだってすぐにカイルはアンジュの視線に気づく。背中に目があるのかと思ってしまうほどだ。噴水に縁に手を掛けながら、カイルは振り返った。


「アンジュ。さっき、聖女フレイヤの言葉で何が気になったんだ?」

「……やはり気付いていらしたのですね」


 自分でもむきになってしまったと反省はしていた。だがあの場で指摘することがかなわないことも理解していたのに、どうして反発してしまったのだろう。

 凍り付いたように冷えきったフレイヤの双眸を思い出して背筋がぞくっとした。おそらくあれ以上踏み込んでいては彼女の怒りを買っていたのは間違いない。


「止めてくださってありがとうございます」

「ああ見えて、あの方は怖い人だからね。心優しい聖女フレイヤと呼ばれてはいるがその実は、こんな大規模なパーティーを頻繁に開くほどに派手好きだし浪費家だ。見たかい、胸元でひかる大粒のダイヤ……一体いくらしたんだろうね」


 周りに人がいないことを確かめながらカイルは言った。それにしても明け透けな言い方ではあったが、彼も彼女のことをあまりよく思ってはいないのだろう。


「俺は君の味方だ。なにしろ夫だからね」


 心強いだろう、とにんまりと笑みを孕んだ声音でいうものだからつられてアンジュも笑ってしまった。

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