幕間 聖なる乙女を手折る者

01 新月の乙女

 カイル・エヴァリストが公爵位を継いだのは22歳のときに父親を病で亡くしてすぐのことだった。息子に負けず劣らず女遊びが派手だった先代黒竜公を看取ってすぐに、母のマルグリットは湖近くの別荘で隠居暮らしを始め、広大なエヴァリスト領の邸宅にひとりカイルが残された。


 領地経営自体は父が飲んだくれた挙句、病臥したころにはすべて自分で取り仕切っていたからこれといって不便もない。唯一欠けているものがあるとすれば共に、エヴァリストの地を守り育んでくれる配偶者の存在だったが――。


「ねえ、カイル様ぁ。あたしはどうですか? カイル様の子供をたくさん産みたぁい」

「不貞を疑われて二度も婚約破棄されたあばずれがよく言うわよ。ねえ、カイル……付き合いが長い私の方が貴方のことをよく理解していてよ」

「いやいや、ウチの妹を紹介するって。おまえらみたいな下品な奴は及びじゃないんだよ。そうそう、今度オーガストの家でカードをするからおまえも来いよ」

「あは、みんなありがとう。俺は幸せ者だなあ」


 両手に花、どころか手足の数じゃ足りないほどに群がる男女。目的はみな同じで黒竜公カイル・エヴァリストと親密な関係を築くこと……ご苦労様なことだ。


 カイル・エヴァリストは退屈していた。

 社交シーズンを迎えて領地を信頼できる部下に任せて王都にやってきたものの、顔見知りの遊び友達から賭けに誘われ、女友達からは逆求婚されるといういつもどおりの堕落した日常への誘いが待っていた。


 そもそも今日参加した夜会というのが、昨年の悪獣討伐遠征が無事に成功したことを王国全体が祝うものであってこういう連中とばかりつるんでいるわけにもいかないのが本音なのだが。

 ただ彼らは彼らでわかりやすく、一緒にいてそれなりに楽しい。駒としては使い途があるため付き合いは保持するべきだろう。そんなふうに冷静に計算しながら、カイルは会場となったカペラ宮殿のホールを見回していたときだった。


「黒竜公、ごきげんよう」

「おや、聖女様。お目通りが叶って嬉しく存じます」


 にこやかに応じるとフレイヤ・グリーデは微笑んで「フレイヤ」で構わなくてよ、と返してきた。現在、この王国で聖女と呼ばれる女性はたったひとり、王都エリッセのグリーテ侯爵家のフレイヤのみだ。彼女がありとあらゆる儀式において祝福を授け、悪獣討伐遠征軍に対しても無事の帰還を願う聖力付与を行った。

 だが――カイルには思うところがあったので、少々距離を置きたい相手でもあった。彼女の満面の笑みに否応もなくきな臭さをおぼえてしまう。とりあえず馬鹿の振りで警戒を解くのが得策だろう。


「麗しい聖女フレイヤ、貴女の美しさには月も恥じらって隠れてしまうのでしょうね。いかがです、俺と一夜の恋に興じてはいただけませんか?」

「ごめんなさい、わたくしはそういったことは」

「おっと、失礼しました」


 おどけて頭を下げると、まあ、とフレイヤは声を上げて笑った。

 フレイヤは実年齢としては30代後半のはずなのだが生娘のような恥じらいがよく似合う。身も心も清らかであれ、とは過去の聖女が身ごもったことにより聖力を喪失したことから聖女が守るべき規範となってはいるが――フレイヤがであるとは信じていなかった。


「わたくしの代わりに素敵な女性を紹介しますわ、エリュシア!」


 すると少し離れた場所から着飾った娘がカイルの前に引き出された。暗めの赤のドレスはまるで頭から血を浴びたかのように見えて一瞬ぎょっとしたのだが、鳶色の髪によく映えた。


「初めまして、カイル・エヴァリストです――いったいどこのどなたでしょうか、こちらの美女は! まるで天から舞い降りてきた天使のようじゃありませんか」

「エリュシア・グリーデでございます、閣下」


 はにかみながらエリュシアは答え、その小鳥の囀りのような声を耳にしながら、ああこれがとカイルは納得していた。


 エリュシアはグリーデ侯爵家の当主の娘ではあるが、正式に手続きを踏んでフレイヤの養女になったと聞いている。聖女の後継者と言われている娘であるが――その能力如何については秘められたままだった。


「エリュシア嬢、お名前も麗しいとお姿までそのとおりになるのですね」

「まあお上手ですこと……」


 頬を染めたのは演技だろうか、それとも本当にカイルに気があるのか。まだこの段階ではどちらとも言えない。もう少し探りたいところだが――ぅあ。


 どっと背中に冷や汗があふれ出た。まずい、こんなに早くなんて想定外だ。まだ日が暮れたばかりだというのに――カイルは愛想笑いを浮かべ、適当に挨拶を終えるとすぐさまホールの端まで早歩きで移動した。

 出来る限り目立たないように、そんな配慮さえもしている余裕さえなく手近なバルコニーへと出ると――誰も入ってこられないようにばたんと窓を閉めた。


 そこに先客がいるとも知らずに。


 ぐらりと身体が傾いで、何かの上に倒れた。

 カイルの身体の下で可愛らしい悲鳴が聞こえた。どうやらどこかのご令嬢を下敷きにしてしまったようだがどうにも身体が動きそうにない。じわじわと胸の傷が疼き、あふれ出る強大な力を抑えきれずにいた。


 悪獣レーヴァテイン。悪竜とも呼ばれる巨大な竜種を三代前のエヴァリスト家当主、つまりはカイルの曽祖父が討伐した。どうやらそのとき、エヴァリストの一族は悪獣から相当な恨みを買ってしまったらしい。


 結果としてエヴァリスト家は呪われた。

 嫡子となる男子はひとりしか生まれない。そしてその子には、生まれながらにして胸に大きな傷跡が刻まれるのだ。

 そしてこのブリューテ王国を守る聖なる結界が弱まる新月の晩に、その傷跡から倒されたはずのレーヴァテインの意識が滲み出るようにしてよみがえり――宿主であるエヴァリストを苛むのである。

 

「か、は――」


 吐きそうなほどに脳髄を揺らされ、頭が内側から槌で殴られているかのように痛んだ。そして湧き上がってくる、このすべてを破壊してしまいたいという衝動――。レーヴァテインに意識を侵食され、乗っ取られそうになるのを身体が全力で抗っているのだ、と父から聞いた。

 父はこの呪いがカイルに継承されたことにより、呪縛から解き放たれその反動のように酒と女と博打に溺れた。本当にクソだ。ああ、まじでクソすぎる男だったよ、父さん。


「……ん」


 あ、なんか楽になった。胸の傷に何かが触れている。柔らかくてあたたかな感触に目を細めた。なんかすげー気持ちいい。


 その「手」が離れていく寸前に、カイルはそれを掴んでいた。


「もうやめちゃうの? 気持ちいいのに……」


 そのとき、カイルは自分が圧し潰していた娘の姿を初めてしっかりと見た。


「……天使……?」

「あの――……?」


 至近距離で見た彼女は可憐な少女だった。星明りをあびて輝く金髪。かすかに灰色がかった翠の双眸はガラス細工のように脆そうなのに、芯の強そうな光を帯びていた。


 申し訳ない、とか、苦しそうだったので釦を外した、とか言い訳を繰り返してはいたがそんな内容はほとんど頭に入らず適当にいつもどおりの自分で流してはいた。え、この子誰。やっぱり天からの御遣いかな――と真剣に考えていたとき「アンジュ」と誰かを探すような声がすぐ近くで響いた。


 すると、あからさまに少女がびくっと肩を揺らした。どうやら知り合いがそばに来たらしい。妙齢の男女がこのような場所でふたりきり――さらにはあられもない恰好をしているカイルといるところを見られたら、醜聞になりかねないだろう。


 やれやれ、と思いながら少女を抱き込んでホールからは姿が見えないように隠してやった。

 バルコニーは窓を閉めておいたから確認はしなかったようだが、ひとりの紳士がホールの隅を歩き去ったのが見えた。

 そうか、あの男には見覚えがある。


「……いまのはロージェル伯爵か。聖都近くを領地としていたはず」


 ということは彼女は――ぼんやり考えているうちに彼女は背中に翼でもあるかのようにぴょん、と飛び立っていってしまった。


「ふふ、面白い子見ーつけた」


 最低最悪な夜のはずが最高の出会いを得たことに、カイルは神に感謝したのだった。

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