06 神聖なる誓い
「私、カイル・エヴァリストは神の名のもとに誓います――我が妻、アンジュへ変わることのない愛を捧ぐと」
はあ、としっとり濡れたため息が聖道教会の中に響き渡った。
うっとりするほどに甘い声音が高い天井に吸い込まれていく。
ブリューテ王国の至宝とも言われていた未婚男性――黒竜公カイル・エヴァリストによって紡がれる愛の誓いに、式に参列した淑女たちは聞き惚れていた。唯一、花婿の隣にいるアンジュばかりがこの長台詞が早く終わらないかな、と思っていたわけであるが……唯一神だってそんなことには気づいてはいないだろう。
式は滞りなく概ね順調に進んでいた。
段取りどおりに儀式は行われ、結果としてこの砂糖の蜂蜜掛けのような誓いを聞く羽目になっている。うんざりという表情をしないように頬に力を入れながらすまし顔でいたアンジュが、彼の者よりは幾分か端的に「愛」の誓いを口にしたことによって、これにて終了、というわけである。
残すところと言えば、口づけぐらいだが所詮儀式である。唇を近づけ、した振りでいいだろうと事前に話していたぐらいだったのだが――。
「んぅ――⁉」
ぬるりとした感触が唇の中に割り込んで来て、それが舌であることにアンジュは遅れて気づいた。吐息が混じり合い熱を帯びて頭の芯をぐらりと揺らす。
静まり返った教会の中に、くちゅりとアンジュの内側のみで鳴らされる音が響いた。思わず胸を圧して突き飛ばそうとしたが、頭の下から抱え込まれたせいでより繋がりは深くなった。
花婿が満足するまでそれは続き、ようやく唇が離れたときには花嫁は息絶え絶えの状態だった。そして参列者たちのどよめきのなか、夫となったカイルの頬を思いっきりアンジュが張ったバシっという音が響き渡ったのだった。
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「ねえ、アンジュ。まだ怒っている?」
「……いいえ」
「えっ、じゃあ……!」
「怒っているという言葉では足りません。すごく、すごく怒っています」
もう怒りが解けたと思ったのだとしたら楽観的すぎる。
生涯恨む勢いでアンジュは怒り狂っていた。結婚式という今生で一番目立つような機会にあんな真似をされて、怒らない女性がいるだろうか――いや、いない。
アンジュは結婚式などというものに夢をみているタイプではなかったが、何をされても腹を立てないというわけではないのだ。
大体、式が終わってすぐ夫婦の寝室で交わされる会話がこれでは先が思いやられると言ったところだった。神の御前で「変わることのない愛」とやらを捧げられたばかりで、この喧嘩。
アンジュの心持としては離婚が許されるなら今日限りで縁を切ってやりたいところである。
すったもんだの結婚式の末、アンジュはエヴァリスト公爵家に公爵夫人という立場で迎え入れられた。使用人たちに挨拶を済ませ、ひととおりの身支度を終えて送り込まれた寝室で旦那様を待っていたわけであるが――新妻の機嫌がすこぶる悪いことに夫が賢明にも気づいたおかげで、この話し合いがベッドのふちに腰かけた状態で持たれたわけであった。
いくら甘く優しく宥められようと怒りはそう簡単には冷めてくれない。そのことをさすがにカイルも気づいたようだ。
はあ、と深く溜息を吐きながらカイルは言った。
「何か印象に残ることをしようと思っただけなんだ」
「恥知らず、ということで参列者の記憶には刻まれましたね。確かに」
「俺のアンジュへの愛の深さをキスで表現したかったんだよ」
何を頭のおかしなことを平然と言っているんだこの男は。
「閣下」
「名前で呼んでほしいな――俺たちは晴れて夫婦になったんだから」
「……はあ、では言い直します。カイル様」
「何かな」
寝台の上でふたり腰かけて話をしているというのに色気はなく、あまりそれらしい雰囲気は出てこない。場所さえ違えばただの、さほど親しいわけでもない他人同士の会話である。
「私達は、愛ゆえに結婚したわけではありませんよね」
「君は――さみしいことを言うんだね。愛なんていくらでもあふれ出るものだと思うけれど。親愛、情愛、友愛……どれも立派な『愛』だと思うんだよ、俺は」
屁理屈を言うな、と旦那様相手に怒りをぶつけそうになったが――感情の制御はアンジュの得意とするところだった。何も考えるな、余計なことを連想するな……念じているうちに怒りもほどけていくはずである。
それなのに――カイルの腑抜けた笑顔を見ていると怒りがいっそう募っていくのだった。仕方がないので、むに、と自分の頬を引っ張って無理に笑みを作ってみる。
「アンジュ……?」
「私のことはお気になさらず――」
むにむにと凝り固まった表情筋をほぐしているのをじっと見ていたかと思えばカイルは大きな声で笑いだした。
「な、なんですか」
「いや……ふふ、俺の妻は愛らしいな、と思って。ただそれだけだよ」
「馬鹿にされているような気しかしませんが」
「愛でていると言ってほしいな」
カイルはアンジュを仰のかせると、今度こそ唇に触れるだけのキスをした。けれど、妙にむず痒い――疼きのようなものを口元におぼえて変な感じだった。
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