03 黒竜公の訪問

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「閣下……あの」

「カイルで構わないよ。なにしろ俺たちは、将来を誓い合った仲じゃないか」


 数日後、ロージェル伯爵家はカイル・エヴァリストの訪問を受けた。ロージェル伯爵家が拒否できるはずもない――なにしろ相手は黒竜公、エヴァリスト公爵なのだから。


 黒竜公という大仰な名の由来を紐解けば、何代か前のエヴァリスト公爵家が成した悪獣討伐遠征でのとある出来事までさかのぼる。


 そもそも悪獣というのは、聖道教会が命名した「ひとに仇名す獣」を意味する言葉である。種こそ様々だが共通するのは人間に深い恨みを抱き――小さな町ひとつであれば一頭で滅ぼせるほどの力を持っているという点であった。


 現在は棲み処とするヘルタート山脈とのあいだに高い壁を築いて侵入を防いでいるものの、以前は頻繁に悪獣が帝国内の各地――特にエヴァリスト公爵領に出現しては甚大な被害を及ぼしていた。

 悪獣の侵攻に対応するために実施するようになったのが悪獣討伐遠征だった。剣士や魔術師などの徒党パーティーを組んでヘルタート山脈へと這入り、悪獣を狩るのである。


 当時のエヴァリスト公爵は優秀な剣士であり、恐れられていた悪竜レーヴァテインと邂逅した。公爵は果敢にもレーヴァテインに挑み、瀕死の重傷を負いながらも討伐することに成功した。

 そのことからエヴァリスト公爵家の当主は代々黒竜公と呼ばれるようになり、人々の尊敬を集めるようになった。


 現在の当主はカイル・エヴァリスト――まだ26歳ながらに悪獣への遠征にも参加し、成果を収めている。領主としての手腕も如才なく、社交界での評判も上々という非の打ちどころがないかのように思われる青年――それが世間の表向きの評価である。そして妙齢の淑女たちからの評価は若干異なっていた。


『黒竜公は……なんというかお盛んよね』

『同じ女性を連れて夜会に参加されたのを見たことがないもの』

『取り巻きの女性たちもなんというか派手だし』


 そんな軟派男扱いされている当代の黒竜公、カイルが眼前に立っている。それどころか腕を組んで伯爵家自慢の花園を共に歩いているのだった。


「黒竜公、どうして私などに求婚されるのです」

「ふむ……君は頑固だね。それはそれで面白い、周りにいなかったタイプだよ」


 カイルの周囲にいる女性というのは、なんというか派手でちゃらちゃらしていて――まさにカイルとよく似たタイプの女性なのだから、その対極に位置しているアンジュとは真逆である。

 アンジュは見目こそ端正に整っているのだが、人といることをあまり好まず夜会などの派手な場所はひどく苦手だった。

 注目されたくない。会話も得意ではない。騒がしい場に出て行くよりはひとりで静かに読書をしたり刺繍をしたり、庭で草木の手入れをしたりしているのが好きなのだ。お互い性格など合うはずもない。

 もちろん、貴族と貴族の婚姻など家同士の結びつきを強めるなどの政略結婚でしかありえないのだから性格の不一致など当然なのだろうが……。


「君は俺の恩人だからね」


 カイルは声を低め、数歩後ろからついてきているメイドのルースには聞こえないように言った。


「……何のことだかわかりかねます」

「へえ、しらを切るんだ。まあいいさ――いまの内は許してあげる」


 春の花園には可憐なチューリップが花開いていた。この花は組み合わせ方によって変わった色味の花弁が出来たりする。そういえば孤児院でもシスターが金儲け――否、寄付金を得るための手段として黒や茶、まだらなどのめずらしい色味の球根を得ようと栽培していた。


「メイド、下がらせてくれないかな」


 お願いではなく明らかに命令だった。覚悟を決めてアンジュは振り返った。


「……わかりました。ルース」


 声を掛けるとめずらしくルースが「いくらお嬢様の頼みといえどそれは」と渋った。


「大丈夫よ」

「お嬢様!」

「安心してくれていい。無体なことはしないから、いまはね?」


 まったく安心できなさそうなことを言うものだからルースの表情が強張った。まったく余計なことを――少しでも安心させようとアンジュがぎこちなく笑みを浮かべるとルースは渋々引き下がった。


「ようやく二人きりになれたね?」


 甘い砂糖菓子のような声音で語り掛けてくるが、その手の口撃はアンジュには通用しない。しらっとした視線を向けていると、カイルが片眉を上げた。


「その反応は予想外だな。よほど君は俺に興味がないらしい」

「ええ、そのとおりですわ」


 どの程度はっきり言えば伝わるのかわからないが、とにかくはやくこの時間が終われとアンジュは願った。なにがおかしいのかさっぱりだがくすくすと楽しそうに笑われているのが非常に不愉快だった。


「興味深いひとだな――君のその能力を差し引いても、ね」

「……私のようなつまらない娘に求婚するなど正気の沙汰とは思えません」

「そう自分を卑下するものじゃないよ。君は美しく可憐だ」


 鮮やかな赤のチューリップを眺めながらカイルは言った。


「聖女ラヴィエラの娘、アンジュ・ロージェル嬢――改めて君に求婚しようじゃないか、なお拒否することは許されない。それも敏い君なら理解しているね」

「っ……!」


 がらりと態度を変えたカイルを前にぞくっと寒気をおぼえた。

 冗談で言っているとは思えなかったが、冗談で済ませてしまえたらどれほど楽だろうか。ぎゅっと両手を組んだまま俯いたアンジュは、避けられない運命が眼前に迫っていることをついに受け入れることになった。

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