14 特訓

 秘密にしろ、と言われたがいざという時のためにこの不思議な能力を自在に扱うことが出来るようになっておいたほうが望ましい。そう判断したアンジュは片っ端から治癒の力を試してみることにした。


 部屋に飾られ、萎れる寸前の花をルースが取り換える前にそのまま頂戴と引き取った。花飾りでも作るのだろう、と微笑ましいものを見るまなざしを向けられたが残念ながら違う。


 花瓶の花が新しいものに替えられたのを眺めながら、弱った花に気を注ぎ込む。指先に集まった淡い光がじょじょに切り花の方へとふわふわと移動していく。

 すると、いま切り取ったばかりのように花弁は瑞々しい輝きを放ち、甘い芳香さえ漂わせ始めた。


 成功した――ならば次だ。


 意図的に何かを傷つけるのは自分の身体以外は抵抗がある。だが、広大なロージェル伯爵邸の庭を散歩しつつ探しているうちに実験対象はすぐに見つかった。

 みいみい、とか弱く鳴いている声のもとに近づくと痩せこけ、傷だらけの仔猫が木の影に蹲っていた。アンジュが近づいて行っても逃げる気力もないらしい。群がっていた鳥を追い払うと、仔猫のもとに屈んだ。


 手をかざすとぴり、と痺れるような衝撃があった。どうやら傷の程度が酷ければ酷いほどに反発があるらしい――新しい発見だった。自分を実験対象にするにしても、治療できるかわからない大怪我を負わせるのは危険なようだ。試す前に気付いてよかった。


 じわじわと熱がかざした掌に集まって来る。光の粒が仔猫のほうへと移動するのが見てとれた。


 すると、みゃ、と甘えたような声で仔猫がアンジュの手にすり寄って来た。ぴょこぴょこと跳ねまわっては額を掌に擦り付けてくる。


「私が治したってわかるのかしら」


 子猫を抱き上げ、ロージェル邸に駆け込むとばったりトビアスに出くわした。


「猫だ!」

「そうよ」

「猫……」


 そわそわと手を動かしているのを見ながら、脇をすり抜けようとするとトビアスがとととっと後ろをついてきた。


「ねえねえ」

「ダメよ」

「まだ何も言ってないじゃないか!」


 抱っこさせて、と言わないでもその視線でわかる。


「あのね、トビアス――この猫はまだ赤ちゃんだし、ひとにもあまり慣れていないから」

「じゃあなんでアンジュは抱っこしてるの? ずるいっ」


 トビアスはアンジュに飛び掛かって、強引に猫を奪い取ろうとした。そのとき、ばりっと猫の爪がトビアスの手の甲を引っ掻いた。


「いだっ」

「トビー! 見せて」


 猫を床に放し、トビアスの手を掴んだ。いまにも泣きわめきそうなトビーに「大丈夫よ」と語りかけた。


「大丈夫なもんか! 痛くて死んじゃう」

「……あのね、トビー。いまから私がすることは誰にも内緒よ」


 すう、と息を吸い込んで吐き出す。

 痛いの痛いの飛んでいけ。繰り返しつぶやきながらトビーの手に自らの手をかざした。ふわりと淡い光が手元に集まって来る。

 痛いの痛いの飛んでいけ。二回、三回と呟いているあいだにトビアスの手から赤いひっかき傷は消えていた。


「……なにこれ」

「っ、ごめん……気持ち悪い、わよね」


 茫然とした表情のトビアスを見て、ぱっと手を放した。ただでさえあまりよく思われていないだろうに、こんなことをしてみせたらきっと――気味悪がるだろう。ロージェル夫妻もアンジュのこの能力を知って困惑しているようだった。実際、アンジュ自体、特訓を初めてはみたものの持て余してはいるのだから。


「……すごいっ」

「トビアス――?」

「すごいよ姉上、すごいすごいっ、もう痛くない! ねえどうしてこんなことが出来るの?」


 無邪気に問いかけられ、言葉に詰まった。


「……さあ、私にもわからないわ。だけど秘密にしてくれる? 今日、私があなたの傷を治したこと」

「うん、わかったよ。僕と姉上だけの秘密っ」


 秘密、という言葉にも何故か喜んでいるようだった。いつになくすなおなトビアスのようすに困惑していると、仔猫が申し訳なさそうにトビアスの足下に座っていた。

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