13 痛み

 アンジュは自分に本当に力があるのか、試してみたくなった。

 きっと何かの偶然で、ロージェル夫妻が言っていることが間違いなのだと思いたかったのである。


「い……」


 ぽた、と刺繍針で突いた指から深紅の血が滴り落ちる。

 手元の白布に赤い染みが出来るのをぼうっと見てから人差し指をもう一方の手で包み、念じた。痛いの痛いの飛んでいけ――なんとなく頭に浮かんだその言葉をそっととなえてから握っていた手を放すと、みるみるうちに血が止まり傷はふさがった。


「……あは、はは」


 刺繍針をテーブルに投げ捨てるようにして置き、ベッドにぼすんと横たわった。なんだか笑えて来てしまった。無能だと言われた聖女の力は、娘であるアンジュに継承されたのだ――聖都にいるとき聖力の調査をされたときは何も反応しなかったのに、こうしていまは自在に操ることができる。


「私のせいで、ラヴィエラは――」


 監禁され、無能の聖女、情愛に堕ちたみだらな女だと聖都ラウムの聖職者たちから罵倒された。

 自分がいなければいまも母は聖女として尊敬を集めていたのかもしれない。

 こういうときに涙のひとつでも流せればよかったのに、心の中は乾いていた。


 産後すぐに亡くなった母親の顔も良く知らないのだが、アンジュはラヴィエラによく似ているらしい。ときどきサイアスがアンジュを見つめる視線の先に別の誰かがいるような気がした。


「こんな顔……」


 テーブルに放った針をふたたび握りしめ、いっそ顔に向かって突き刺してみようかとも考えたが無駄に苦痛を味わいたいわけでもなかったのでやめておいた。顔を潰したところでこの能力は失われないだろう。

 

 痛み以上に重たい何かを抱え込んだままベッドに寝転んでいるとノックの音が聞こえた。入って来たのはメイドのルースだった。


「アンジュお嬢様、お茶の用意が出来ましたよ」

「……ありがとう」


 孤児院ではあり得なかった「お嬢様」と呼ばれることにも次第に慣れていった。甘やかされることに身体はすぐに順応する。陽がのぼる前から起きている必要もなく、へとへとになるまで働いた後で泥のように眠ることもない。


「どうかされましたか」

「……ううん、なんでもないの」

「なんでもないという顔を作るのがお上手ではありませんね」


 呆れたというように、ルースは息を吐いた。焼き菓子を取り分け、ポットから琥珀色のお茶をカップに注ぎ入れると湯気と共にふわりと芳しい香りが広がる。


「お嬢様はまだお子様なのですから、良く寝てよく食べればいいのです」

「――よく学び、が抜けているけれど」

「十分お勉強はなさっているようなので。よく夜中、起きていらっしゃるでしょう? 見回ると眠ったふりをなさっていることをしばしば見かけますので」


 ハーブティーを眠る前にご用意いたしましょう、とルースが申し出てくれたが効き目があるかどうかはわからない。

 近頃、眠ることは出来ても悪夢にうなされて跳ね起きるのだ。夢の中で黒い靄のようなものに周囲を包まれ、息苦しくなって目が醒める。毎日きまっておなじ夢をみるのだが、その理由はまるで心当たりはなかった。

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