10 誕生日の相談
すぐにトビアスは元気を取り戻し、アンジュに悪戯を仕掛けるようになった。夢うつつで姉上と甘えたことはすっかり記憶から消し去ってしまったらしい。
「わはははははは☆ 引っかかった!」
「……吃驚したなあ」
罠に気付いていてもあえて転んでみたり、後ろに気配を感じていてもぶつかるようにして抱き着いて来るのを避けたりしないようになった。そうすると喜ぶのがわかっていたから。
ほんの少しだけ、お互いの距離が近づいたのかもしれなかった。
淑女としての教育を受け始めたアンジュは呑み込みが早く、すぐに令嬢としての立ち居振る舞いを身に着けた。教育のために雇われた家庭教師が舌を巻くほどだった。
冬の足音が聞こえ始めたロージェル領で、トビアスに構ってやるほかはアンヌと共に刺繡をしたり、詩の暗唱をしたりして過ごしていた。
サイアスは領主としての仕事で家を空けがちだったが、帰って来た時はアンジュにもトビアスと分け隔てなく愛情を注いでいた。
誕生日の話が出たのは、サイアスもそろって取ることができた夕食のときだった。
「アンジュ」
あらたまった口調で、サイアスが呼びかけた。
「今年はアンジュの誕生日を祝いたいのだけれど、嫌じゃないかな」
「誕生日、ですか……」
アンジュにとって誕生日とは母の命日のことであるが、感慨はそれほどない。そもそも冬生まれだということこそ知っていたが正確な日にちすら知らなかった。
孤児院にいたときは毎日がただ過ぎるばかりで、特別な日というものは皆無だった。孤児同士でお互い祝い合ったこともない。
ちら、とアンヌを見ると「そうよ」と力強く頷いた。
「盛大にやりましょう。お客様も招いて、みんなにアンジュを紹介したいわ――私たち家族の一員だ、って。プレゼントもたくさん用意しなくちゃ」
「えー、アンジュばっかりずるい!」
「もうトビー、『姉上』でしょ?」
わいわいと三人が話している姿を見ながら、じわりと胸が温かくなった。
本来有り得ないはずの輪の中に、自分が加わろうとしている。
申し訳ないような気がしないでもないのだが、こちらにおいでと手を引かれることが嬉しい。こんな感情が自分の中に芽生えたことを不思議に思った。
たくさんのプレゼント、祝福の言葉、温かくて美味しい料理。そんな誕生日が来るなんて思いもしなかったから。
「アンジュ、君はどうしたい? 君がやりたいことをしよう」
「やりたいこと……」
じっと三人がアンジュを見つめている。
注目されていると思うと、途端に喉に言葉がつかえて出てこなかった。この優しい人たちに何を言えばいいのか、わからなかった。
役立たず、と罵る声がずん、と頭の内側で響いている。
こいつらもきっと手の平を返すさ、あんたがなんの力もない役立たずだと理解すれば。おまえは無能な聖女の娘なんだから。
シスター・ヴェガの声で再生されたその言葉が重たい岩のようになって、アンジュの胸が塞いでいった。
「――わかりません」
やっとのことでそう返すと、失望されたと肌で感じた。
もっと奔放にすなおにあれがほしい、これがほしいと強請ることができたらよかったのにと自分でも思う。それなのに何ひとつとして思いつかなかった。
唇を噛んで俯いてしまったアンジュを置きざりにして、三人はパーティーの相談を始めたようだった。ようやく入れてもらえた輪の中からふたたびはじき出されてしまった心持で、その姿を外側からアンジュは見つめていた。
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