09 異母弟 -2-

 アンジュがロージェル伯爵の娘として迎え入れることについてブリューテ帝国から正式な承認が下りたのは、秋口のことだった。

 日に日に冷たくなっていく風が肌を刺すようになる季節で、トビアスは急に熱を出してしまったのだ。

 

 弟の部屋に本を持って見舞うと、ぽつんと大きなベッドの上で小さな紳士が苦しそうな喘鳴をもらしながら眠っていた。


 椅子に座り、課題に出された本を読みふけっているとようやく目が醒めたらしい。トビアスはぼんやりした顔で「あねうえ」と呼んだ。


「……具合はどう?」

「あつい……おふとんが重いよぉ」


 額におかれていた手巾がもうぬるくなっていた。盥に張られた水で手巾を絞りふたたび小さな額に載せる。


「暑くても、おふとんはしっかり着ていないとね」


 その代わりにトビアスの手を握ると、ひんやりしてると嬉しそうに笑った。

 そういえばこの子の笑顔を初めて見たな、とアンジュは思った。いつもしかめっつらで怒っているのにめずらしい。しかもさっきトビアスは……アンジュを「姉」と呼んだのだ。


 がたがたと強い風が窓枠を揺らす。近頃、急に寒くなったからトビアスも体調を崩したのだろう。いつも上着を着せようとするメイドをかいくぐって外に遊びに出て行く姿を何度かアンジュも目にしていた。


 相変わらずアンジュへの態度はそっけなかったが、今日のトビアスははいつになく甘えただった。いつまでも眠らずしきりに話しかけてくるので、興奮させてしまってもよくないだろうと部屋を出て行こうとすると「行かないで」と駄々を捏ねた。


 結局、トビアスが寝息を立てるようになるまでアンジュは読み終えた本を繰り返し読んでいた。


 ちょうど部屋を出たところでアンヌとばったり行き会った。


「トビアスを見ていてくれたのね。ありがとう」


 アンジュの頭を優しく撫でる手にどんな表情をしていいのか悩んでしまった。大人の手というものは、いままでアンジュを叩くためにあり、撫でるためには存在していなかったのだ。


「アンヌ様、あの」

「――いつかで構わないわ。あなたの準備が出来たときに『お母様』と呼んでほしいの」


 アンヌは屈んで、アンジュと視線を合わせて言った。


「……無理はしなくていいのよ。ただ私はあなたを自分の娘だと思うことにしたの」


 もちろん、複雑な気持ちもあるのよ、と苦笑しながらアンヌは言った。愛する人と他の女性とのあいだで生まれた子だもの。


「でもあなたのお母様は偉大な方だったわ。私はあの方を尊敬していた――ラヴィエラ様の祝福のおかげで、兄や弟、サイアスは無事に悪獣討伐の出征から帰って来ることが出来たんですもの」

「ですが――シスターたちが、ラヴィエラは無能だと」

「とんでもない! 能力を失ったからといって、あの方の功績がなかったことになるわけがないのに……どうしてそんなことを子供のあなたに言ったのかしら」


 アンヌは憤慨しているようだった――その反応に嘘や誇張は見られない。初めてそんなふうに言われてアンジュは戸惑っていた。

 アンジュの肩を抱いて部屋まで送り届けると「おやすみなさい」と声を掛けた。


「あなたも風邪を引いてはトビアスも悲しみますからね」

「はい……お母さま」


 アンジュが応えると、アンヌはふわりと柔らかく笑んで部屋を後にしたのだった。

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