08 異母弟 -1-

 どうやらアンジュはトビアスに盛大に嫌われてしまったようだった。いきなり異母姉が出来たのだから仕方がないのかもしれないが、ことあるごとにアンジュにちょっかいをかけてくるのである。


「おい」

「……?」


 声を掛けてきたかと思えば、両手で包むように持っていたもの――大きなヒキガエルを見せつけてきた。

 アンジュは虫も動物も好き嫌いというものがないので特に相手にもしなかったのだが、そうした態度がトビアスの悪戯心をさらに加速させるらしい。


 なんとしてでも泣かせてやりたい、とでも思っているのか思いっきり突き飛ばしてきたり、足をひっかけようとしたりと手を変え品を変え頑張っているようだった。


 いまだってヒキガエル程度ではなんの反応もなかったので、蛇でも捕まえて来なければと伯爵邸の広大な敷地を従僕と共にうろついている。 

 孤児院での虐待を思えば微笑ましくもあるので、何か仕掛けてあるのを発見するたびにアンジュはわざと引っかかってあげたほうがよいのだろうかと悩む羽目になるのだった。

 ただ、アンジュが小麦粉塗れになったり、泥水でドレスをべたべたにしようものであればその原因追及の最中にトビアスの行為が明るみになるのは必然であると敏い少女は気づいていた。

 だからこそ、引っかかる寸前のところで回避して驚いた振りをしてやるのが精いっぱいだったのだが――。


「これは予想外だった、かもしれない……」


 深く掘られた穴の中で、アンジュは考えていた。しかも隣には膝を抱えて泣いているトビアスがいる。

 どうやらこのいたずらっ子は落とし穴をこしらえたらしい。どうせいつも連れ歩いている従僕に掘らせたのだろうが、まさか自分も引っかかってしまうとは。そして近くには件の従僕が控えていないようだ。お屋敷の方で何か仕事があって呼ばれてしまったのだろう。

 真昼の庭に掘られた穴は、草木で覆われ巧みに隠されていたせいでアンジュもついに引っかかってしまった。それを見て大笑いしようと近づいてきたトビアスがうっかり足を踏み外して落下してしまったのだ。


「トビアス、怪我をしているわ」

「っ、触るな!」


 野生の獣のように毛を逆立てて威嚇してくるさまを眺めながら、ニナも最初はそうだったなと懐かしく思った。孤児院に収容された少女たちは路上などで盗みなどを働いていた子供も少なくなかった――生きることに必死で、他者を顧みるということを知らなかったのである。


「手当だけさせて」


 すりむいたひざの傷口の砂を払い、ひととおり清潔にした後でポケットから取り出したハンカチをぎゅっときつく巻き付けた。痛い、と不満げに訴えてきたが無視をして結わえてしまう。

 じわりと血が白いハンカチに滲んでくる。


「痛い?」

「い……痛くなんかないっ」


 滲んだ涙で嘘だとすぐにわかった。患部には触れないように膝を撫でさすりながら「痛いの痛いの飛んでいけ」と呪文のように繰り返していると、きょとんとしたようにトビアスはアンジュを見ていた。


「なんだそれ」

「……おまじない。知らない? となえていると痛みを天使様が持って行ってくれるのよ。トビアスもやってみたら?」

「い、嫌だよ……」

「痛いの痛いの飛んでいけ♪」

「やめろ」

「痛いの痛いの、飛んでいけー!」

「痛くないって言ってるだろ⁉」


 ぐすぐす鼻を鳴らしていたのが嘘のように、強く言い返してきたトビアスを見てアンジュは頬を緩めた。


「そう、じゃあよかったわね。おまじないが効いたのかも」


 ふふ、と我慢しきれずに笑うとトビアスはハッとしたような表情になった。ぷい、と顔を逸らしアンジュと目を合わさないようにする。

 ちょうどそのとき「坊ちゃま、お嬢様」と呼ぶルースと従僕の声が落とし穴のすぐ近くで聞こえたので「ここよ」とアンジュは声を張り上げたのだった。


 無事に救出されたあと、トビアスの傷跡は速やかに止血されたおかげか、おまじないによるものなのか傷跡さえ残らず一日も経たずに癒えたのだが――アンジュにそのことが伝えられることはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る