第3話 絶望、そして希望 

 ノア視点 

 ────────


 ノース領ライリヒ町。イグナー王国内にある都市の一つで、この国でも数少ない人間が住める場所でもある。そんな安息の地で、私は奴隷となった。


 両親は幼い頃に他界し、私の幼少期は孤児院で過ごすことになった。魔物による脅威が顕著な世界で、土地も資源も限られたこの都市では孤児なんかにまともな食事と衣服は与えられない。物好きな資産家か酔狂な上流階級の自尊心を満たすためだけに稀に引き取られることはあるが、この街で孤児となればそれは奴隷への一歩だ。


 ある程度働けるような年齢となると、孤児院の院長によって仕事を斡旋させられる。誰もやらないような排泄物の処理や下水の掃除。汚臭にまみれ、汚くてきつい仕事を無理やりやらされた後は、孤児院に戻り泥のように眠る。


 そんな生活を続け、得られる報酬は、仕事に慣れ始めた頃合いで奴隷として売られることだ。孤児院の収入源でもある奴隷商売。もはや孤児院はただの奴隷斡旋所としての機能しかなかった。


 例に漏れず、私も奴隷として売り払われることになった。

 私は容姿が端麗だったためか、優先的に売り出され、そこそこの人気を誇ったらしい。当時はお金持ちに買われればこの生活ともおさらばだと思ったものだった。


 だが、現実は違う。


 買われた先であろうとも特にやることは変わりなかった。誰もやりたがらないような仕事をする。そして、夜になるとご主人様のストレス発散のために使われる。


 食事事情は孤児院時代と比べれば良くなっただろう。でも、それ以上に何の魅力も感じない小太りの中年男から受ける殴る蹴ると言った暴行は非常に不快だった。しかし、人間と言うのは慣れる生き物で、私もその生活が数か月も続けば特に忌避感も抱かなくなった。


 そんな家畜以下の生活をしていること数年。私にとって最悪の転機が訪れた。

 私は自他ともに認める美人だ。そんな私の容姿を気に入ったのか、ご主人様と街を歩いているときにたまたま目が合っただけのこの街の権力者の一人に買われた。


 いくら私のご主人様が金持ちだろうと、この街の権力者には逆らえない。だが、この時私のことを気に入ったのは、街の権力者などと言うちゃちな小物ではなく、この領地を治める【ノース家】の次男だった。


 そして、権力を前に逆らえないご主人様は多額の金を得てから私を手放した。


 そこからは、私にとっては正に天国とも呼べる待遇だった。ただ言われた通りに付き従うだけでいい。それ以外はまともな食事と衣服、そして休息すらも与えられる。今までの人生では考えられなかったような好待遇だ。例え鞭で打たれようが、首を絞められようが我慢できる。それだけの幸福だった。


 だけど、そんな日常は長くは続かなかった。


 一言で言えば、私は飽きられたのだ。結局、私は権力者にとってはいくらでも手に入れられるだけの奴隷の一人にすぎなかった。

 

 ある日、私のご主人様は気でも狂ったかと思うような娯楽を思いついた。思いついてしまった。それは、奴隷達を数人、魔界に放り出すというものだ。


 どれくらい長い時間魔物から逃げていられるんだろう。誰が一番長い間生き残れると思う?なんて話を兄弟でしていた時は私は脳の全ての血管が切れそうなほどの怒りに包まれた。


 死ぬ前にこいつを一発殴ってやろうかという激情が私の中で渦を巻いていたが、そんなことをしたところで死ぬのが少し早まるだけだ。


 最早殴る気力すら失った私は、下種な貴族の一時の娯楽のために命を失うことになるのだろう。


 そうこうしている間に、私たち奴隷数名は境界守護者たちの拠点へと連れてこられた。

 境界守護者。魔物と戦う力を得た人々が、日夜を問わず人類のために必死になって生存圏を維持するために戦う英雄だ。


 そんな彼らの下に私はご主人様と共に訪れる。彼らは皆、私と大して歳の差がないような若い男女だった。そのことに少し驚きつつも、楽し気に笑う貴族共がこれから行うことについて説明をし始めた。


 その時の守護者たちの表情は、ただの無表情だった。それもそうだ。この領地で圧倒的な権力を持つ領主の意向に少しでも不満を抱こうものなら、即刻打ち首なんてこともあり得る。


 そうして、私たちは境界から追い出された。私を含め四人の奴隷たちはどうしてよいか分からずにただ走った。そんな私たちを壁の上から愉快そうに見るご主人様たちゴミ共


 怒りなんて抱く暇もない。遠くに魔物の影が見える。恐らくこちらに気が付いたのだろう。人よりも数段早い速度で近づいてくる。


 私は必至に逃げた。


 奴隷時代に独学でこっそりと学んだ魔法を惜しげもなく使い、少しでも生きる時間を増やそうと、何か突破口はないのかと足掻いた。


 一緒に追放された奴隷たち。

 一人は私が生き残る為の囮として使った。一人は恐怖で立ちすくんでいる間に無残に食い殺された。一人は呪詛を吐きながら満足して逝った。


 残ったのは私一人だ。


 死にたくない。人生に希望なんてないけれど、こんな最期は死んでも御免だ。

 とにかく足掻いた、足掻いて足掻いて、己の全てを使って魔物たちから逃げ惑った。


 魔物に魔法は効きづらい。魔核が魔素を吸収するからだ。だが、足止め程度にはなった。

 砂を巻き上げて視界を奪う、土を泥にして足を奪う。


 とにかく必死で逃げて逃げて逃げまくった。


 だが、そんな悪あがきも長くは続かなかった。ここは魔界。騒ぎを聞きつけた他の魔物たちが私を殺そうと集まってきたのだ。いくら私がその場しのぎをしようとも結果は見えていたのだ。数にはどうやっても勝てない。


 私の下に集まるのは無数の異形たち。


 最早前すらまともに見えなくなった。魔物との戦闘で疲弊した体とボロボロの肉体。だけど。


「……死にたくは、ない。絶対に、死んでたまるかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 そこから先はあまり覚えていない。能力に覚醒した私はとにかく魔物を殺して回った。

 首を捻り、押しつぶし、足止めし。とにかく邪魔をする魔物たちは誰が相手だろうとも正面から突破した。


 そして、どれだけ走ったところだろうか。私は、魔物がいない空間にたどり着いたんだ。


「……綺麗」


 一面に広がる花畑。日光が色を照らし、艶やかな花弁はまるでここが極楽であるかのような錯覚をさせた。正に桃源郷。私を襲う者もいない、安息の地。


 限界に達した疲労で思考すらままならなかった私は、途端に緊張の糸が途切れてしまった。


「天国って、ここなのかな……」


 そう呟きながら、私は意識を失った。





 *





 私が次に意識を取り戻した時、そこは古びた民家のベッドの上だった。


「…………ここは、どこ?」


 私はカス共に魔界に放り出され、必死に戦った末に意識を失ったはずだ。

 だというのに、私はベッドの上で寝ている。埃臭さが拭えていない古びたベッドだ。だけど、私にとっては苦痛ですらない。ベッドで寝させてくれるだけありがたいのだ。


「まさか、夢?」


 いや、あり得ない。確かに私はあの地獄を経験したはずだ。それに、夢だったとしたらここはあのゴミの屋敷でないと辻褄が合わない。

 一体ここはどこなのだろうか。そんな疑問を解消するために、私はベッドから降りようとした。


 その時だった。家のドアが開いたのだ。私を保護してくれた人が入ってくれるのか、挨拶くらいはした方が良いかな。なんて甘い考えを抱いていた私が見たのは、ただの魔物だった。


 古びたローブを着ている、ただの黒い靄。そう表現するしかないその姿に、私は固まった。なぜか魔物も固まっていたが。


 目の前に現れた異形。それは今まで戦ってきた魔物とは一線を画す気配を醸し出していた。圧倒的な威圧感と存在感。次元が違うと私は肌で感じ取った。


 生物としての本能がこれ以上なく警鐘を鳴らしている。何が何でも倒さないとまずいと。

 そう理解した私はすぐに能力を駆使してこの家にあるありとあらゆる家具を操り、目の前の化け物へと高速で叩きつける。


「…………え」


 だけど、目の前の魔物はただの風の魔法でその全てを相殺した。ただの風で、高速で飛来する物体を押しのけたのだ。どれだけの力が加わればそんな芸当が可能なのか。念と風では物体に対する力の伝わり方が段違いのはずだ。


 そんな事実を目の当たりにして焦った私は、直接魔物に念を掛けて押しつぶそうとした。だけど、ピクリとも動かなかった。まるで、城壁を手で押しているような圧倒的なイメージが私の中に表れる。


 最早、勝てる相手ではない。

 そう悟った私は諦めた。ここが私の死に場所なのだと。頑張ったよ。私は頑張った。だけど、最期くらいは報われても良かったんじゃないかなんて心の中で思ってしまう。


 煮るなり焼くなりどうぞお好きにしてください。そんな意味も込めて私は力なくベッドに腰かけた。


 その後のことを、私は生涯忘れることはないだろう。


 よく見ればなぜか傍にあった猪の死体を、目の前の魔物は処理し始めたのだ。首を落とし、血を抜き、細切れにし、串を作って焼き始めた。


 訳が分からない。いや、何で魔物が串焼きなんか作ってるのよ。

 いや、煮るなり焼くなりとは思ったけど、それじゃないわよ。


 そんな疑念が私の中で渦巻くも、どんどんと焼ける肉に私の目は釘付けだった。もう一晩何も食べていない。空腹が限界に達していたのだ。


 そして、焼きあがった串を魔物は私に差し出してきた。

 ……もう、訳が分からない。毒でも入っているのか、そんな遠回りなことを魔物がするわけないだろうと思ったが、そうでも思わないとやっていけない。


 意味不明。私はお手上げだ。


「食べろってこと?」


 私がかろうじてそう言うと、魔物は頷いた。言葉が通じている。

 訳が分からない!もう何なの!私は何をすればいいのよ!?食べる?食べればいいのね食べれば!?


 もう無茶苦茶になった思考回路で、私は恐る恐る串に口を付けた。


 

 美味しかった。


 美味しかったのだ。決して豪華とは言えないけれど、塩すらついていない肉だけど、でも、生まれて初めて感じた『やさしい』味がしたんだ。


 味なんてついていないはずだったのに、塩辛くなったお肉を頬張って、私は限界を迎えた。


 もう何も分からないけれど、初めての『やさしさ』に、私は絆されてしまったのだ。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る