第5話『背骨の街リンデル(後)』

 オーダーメイドとはいかないものの質のよいスーツに身を包んだミケルは、電脳付きのサングラスで目元を隠しチャリティー会場の扉をくぐった。

彼がチラリと左隣を見下ろすと、華やかにまとめられた明るい栗毛が視界に入る。青空のような明るい水色のイブニングドレスをまとったヘメラは女神のごとき美しさだ。

(どう考えても嬢ちゃんのエスコートはガブリエルだろ……)

ミケルとガブリエルでは育ちの差が出るだろうに、ガブリエルもラファエルもヘメラのエスコートは当然ミケルだと言って聞かなかった。

ミケルが背後を気にすると、ガブリエルとラファエルはそれはそれは嬉しそうに二人を見つめている。

ヘルメスシリーズたちは全員同じ色のスーツとサングラスを着用。個性を出さずに統一感を強調している。

(まさかこの二人、先代社長に言われるまま俺と嬢ちゃんがくっつくと思ってんのか? 冗談じゃねえぞ)

十歳以上年下の乙女に手を出すほどロリコンではない、とミケルは心の中で首を振る。

 ミケルは改めて会場を見る。いかにもお堅い、軍事関連の男性たちが重厚感のあるスーツに身を包んでいる。彼らにそれぞれエスコートされている女性たちは華やかではあるがきちんとした上品な正装、イブニングドレスに身を包んでいる。間違っても今時の軽そうなドレスを着ている女性はいない。


 オルブライトの若き女社長ヘメラは、パーティーの主催にあいさつをするべく人々の間をすり抜け進む。

「ピニエル様」

 近寄ったヘメラが声をかけると、金髪きんぱつ碧眼へきがんの中年の男性は驚いた様子で振り向いた。

「ようこそいらっしゃいました! オルブライト社長」

「ごきげんよう」

ヘメラは営業用の笑顔でピニエルと呼ばれた男性に微笑んだ。

 ミケルは彼が主催であろうことは察したものの、ピニエルという名字ではピンとこない。助け舟を出してもらおうと背後に目を向けると、ガブリエルが顔を近づけた。

「アダム・ピニエル氏。『ネオ・プシュケー』の最高経営責任者CEO。主な事業内容は携帯医療機器。AEDとかね。最近は義体も作っている。オルブライト社は義体を作り続けて長いけど身内会社で規模は小さいから彼のほうが格上。失礼のないように」

 ミケルが兄弟へうなずきを返し視線を前へ戻すと、アダム・ピニエルはミケルへの強い興味で満ちている様子だった。

「もしやとは思いますがそちらの方は……」

「ええ、先日発表したヘーベーシリーズのプロトタイプに協力してくださった方です」

ヘメラが作り笑顔で見上げると、ミケルは静かにうなずきを返す。

「やはり! アスコ氏はあの理論を技術化できたのですね! 素晴らしいことです!」

この義体開発にはヘメラも関わったのに、むしろ彼女が中心なのにとミケルはむっとする。

 ミケルの表情を知ってか知らずか、ガブリエルは私もいますよとヘメラの横から顔を出す。

「この顔でわかっていただけるかどうか。ガブリエル・アップルベースです。先日は私の部下が大変お世話になりまして」

「ああ、アップルベース様! あなたもプロトタイプへのご協力を?」

「ええ、大変よい着心地ですよ。腕前は確かです」

アダムはガブリエルがチクリと刺した言葉には気付いていない様子でヘルメスシリーズたちをうっとりとながめる。

「いやぁ、神は細部に宿るとは本当ですね。素晴らしい出来です。オルブライト社の製品は常に惚れ惚れしますよ」

「ええ、非常に繊細で緻密ちみつで……」

 ガブリエルがうまく会話を繋げる様子を見て、ミケルはやはり自分にヘメラの隣は務まらないのでは……と眉をひそめる。

「こらこら、笑顔」

横からラファエルにひそりとたしなめられ、ミケルはふいと視線をそらす。

 その視線の先にこの場に不釣り合いな姿をした女性がおり、ミケルはそちらへ気を取られた。

服装はイブニングドレスではあるものの、肩や胸の露出は限りなく抑えられ、地肌というと首と顔にしか見られない。加えて、パートナーを連れておらず一人で歩いている。さらには歩く姿も夢遊病のようで方向が定まっていない。

何だあれは、とミケルが注視すると今度はガブリエルが彼の肘を小突く。

「ピニエル氏の娘さま。見過ぎない」

 もはやここにいる意味すらないのでは、とミケルは顔を前方へ戻し会話には参加しないよう視線を落とす。


 目の前の出来事がただ通り過ぎるよう祈っていたミケルだったが、ふいに背後に誰かが立ち彼はパッと振り向いた。

先ほど視界に入った極端に露出の少ないドレス。星空のようにきらめく藍色のドレスは上品で美しい。しかしそれを身にまとった壮年の女性は、顔が平べったく目が吊り上がり、緊張感のない笑顔をこちらへ向けている。

先天性せんてんせい遺伝子いでんし疾患しっかんの一つ、ダウン症。

 ピニエルの娘はゆるりとした笑顔をさらにとろけさせるとミケルの空いている右腕にまとわりついた。

「娘のアンジェリカです」

 父アダムは娘が幸せそうに微笑んでいる様子を見て微笑む。

「アンジェリカ、お客様のミシェル様だよ」

アダムはミケルへ「申し訳ない」と眉尻を下げる。

「難聴を併発へいはつしていて、ほとんど聞こえていないのです。それもあって話すほうも不自由でして」

「……そうですか」

驚きはしたものの、病気であれば仕方がないとミケルは右から見上げてくるアンジェリカから注意をそらした。




 それがおよそ十分前。アンジェリカはよほどミケルを気に入ったのかそばについて離れず、いくら耳が聞こえないとは言っても仕事に関するトークを聞かせるのはまずいと父アダムから引き離された。ミケルは仕方なく彼女と共に会場のバーカウンターへ向かい、アンジェリカがレモンスカッシュを飲む様子をかたわらで観察している。

「災難でしたね」

 バーテンダーに声をかけられ、ミケルはグラスの中でオリーブをもてあそんでいた手を止めた。

「アンジェリカ様は耳も遠いですし、お暇でしょう。私がお相手しましょうか」

バーテンダーは茶目っ気たっぷりにウインクをしてくるが、ミケルは男性にはとことん興味がない。目を伏せることでありがたい申し出を断ると、バーテンダーは残念そうに肩をすくめた。

「すみません、お綺麗だったもので」

「義体が変わると相手の対応も露骨に変わる」

「あれ、それ義体なんですか? てっきり生身かと」

「技師の腕がいいもんでね」

ミケルはバーテンダーを挑発するようにドライ・マンハッタンを舐め、視線をするどくした。

「お客様に喜んでいただこうと」

バーテンダーが困り笑いで両手を上げてもミケルは彼を許す気になれなかった。

「このお嬢さんはなりたくて病気になってねえし、聞こえねえからってからかっていい訳じゃない。不愉快だね」

 となりへ視線を向けると、アンジェリカは何もわかっていないままミケルをうっとりとながめている。

「好きなだけながめな。減るもんじゃねえしよ」

 背後へ近づいた女性がいい香りをしていてミケルはふっと振り返った。そこに立っていたのは昼の女神のごときヘメラだった。

「なんだ嬢ちゃん。商談は終わったのか」

「商談というほどの内容ではない」

ヘメラはどことなく機嫌が悪そうにミケルのとなりへ腰を下ろした。

「なんだ、あいつにからかわれたのか?」

「ピニエル氏は間違ってもそんなことはしない」

「じゃあなんで機嫌が悪いんだ」

「あなたが鈍臭どんくさいせい」

「はぁ?」

「彼と同じものを」

 ドライ・マンハッタンを舐めたヘメラはそのからさと度数の高さに驚いて目を丸くした。

「どうした」

「……綺麗な色だからてっきりジュースのようなものかと」

「知らねえで頼んだのか。そもそもアルコール飲めんのか?」

「失礼な。成人はしている」

「成人と飲み慣れてることは別だろうが。もっと軽いのにしとけ」


 ヘメラがゴブレットを空けるのを待ち、ミケルは女性たちをエスコートするべく席を立った。

「二杯目はいいのか?」

「座りっぱなしもつらいんでね」

 ミケルはふと視線を会場の真ん中へ向けた。空いたグラスをトレーに載せてかかげたまま青ざめた顔で立っている給仕ボーイを見かけ、彼は片手を上げながら彼に近づいた。

「おい、具合が悪いなら裏へ……」

給仕ボーイと目があったのと、ピンという金属音が響いた瞬間はどちらが先だっただろうか。

ミケルの脳裏に亡くなった母がよぎる。

あと数秒でこの腹に爆弾を抱えた給仕ボーイをどうにかしなければ、そばで待つヘメラもアンジェリカも被害を受ける。

(母さんも同じ気持ちだったんだろうか)

周囲の動きが遅くなり、ミケルの頭脳は冴え渡っていく。

指先の神経の隅々まで、細胞の一つ一つまでが覚醒するような感覚。

 ミケルはほとんど何も考えなかった。初めてヘメラと出会った時のように、反射的に動いていた。

 給仕ボーイとの距離を詰めたミケルは彼の襟首えりくびを掴み、背負い投げの要領でその体を床に押し付ける。

「走れーっ!!」

周囲へ危険を知らせ、ミケルは押し倒した給仕ボーイの上におおかぶさった。




 そうしてミケルは取調室へ放り込まれた。ガブリエルの助言通り起きた事実だけを述べ、あとは時間切れを待つ。

「他にも何か知ってるんじゃないのか?」

若い刑事は猛獣のように目を光らせているが、ミケルも巻き込まれた側であって犯人の意図も見当も知るところではない。

 しばらくすれば若い刑事の上司であろう男がやってきて取り調べは中断された。

「取り調べご苦労さん」

 ヘメラたちと合流すれば、三人は温かくミケルを迎えた。

「人助けをしたのに取り調べなんて、災難だったわね」

「あいつらも仕事だ。仕方ねえさ」

せっかくのパーティーが台無しになってしまったからと、ガブリエルは小型端末を取り出し次の店を探す。

「そういや、嬢ちゃん怪我は?」

となりを見下ろすと、明るい栗色の髪で際立つ蒼色のまるい瞳とぶつかった。

「……それはこちらのセリフだ。怪我は?」

「俺はいいんだよ。荒事は慣れてっから」

ミケルは何気なくヘメラの頬に触れ、顔色を確認して大丈夫そうだと判断する。

「嬢ちゃんに怪我がねえならいいさ」

 どうしてこの人はこんなに優しいのだろうか。ヘメラは鼻がツンとしたことを隠すため下を向き、ミケルが差し出した左腕に右手を絡ませた。

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