第4話『背骨の街リンデル(前)』

 若く頭が切れる刑事は、目の前で頬杖をつく美男をどうあばいてやろうかとにらみをきかせていた。プラチナブロンドの髪とお揃いの色の瞳の青年はかれこれ五分は黙ったままである。

マジックミラーの向こうでは相棒であり上司である刑事が同じようにこの美男を観察している。

 ことは三時間前にさかのぼる。

とあるチャリティーパーティーにて、給仕ボーイふんしたテロ犯が爆死した。この美男はそのテロ実行犯をいち早く捕まえ、犯人を犠牲として周囲の人物を救ったのだが……その動作があまりにも鮮やかで、どう考えても彼も訓練を受けたプロか、実行犯の計画を知っていたのではないかとうたがわれた。

「他にも何か知ってるんじゃないのか?」

 若き刑事がかまをかけても美男はうんともすんとも言わない。やっと動いたかと思えば、美男は左手首に巻いた時計を確認した。

「何か予定が?」

 刑事が目を光らせた時だ。取調室の扉が開かれ、難しい表情をした署長が顔を見せる。

釈放しゃくほうだ」

若い刑事の戸惑いをよそに、ブロンドの美男はやれやれと立ち上がる。

「取り調べご苦労さん」

 背の高い美男はひらひらと右手を振って取調室を出ていく。刑事は納得がいかない、と署長に食いついた。

「彼の正体を調べてはいけない。全球軍上層部から直々にストップがかかった。特殊捜査員か何かだ」

それで爆弾を巻きつけた犯人を床に押さえつけられたのか、と刑事は美男の背中を目で追った。美男はよく似た色と顔立ちの、藍色のスーツに身を包んだ別の男と、同じ色の美女に笑顔で迎えられる。三人のかたわらには空色のイブニングドレスをまとった明るい栗毛の女性も立っている。確かニュースで特集されていた、オルブライト社の若き女社長だ。

「人助けをしたのに取り調べなんて、災難さいなんだったわね」

「あいつらも仕事だ。仕方ねえさ」

「気分を切り替えるために飲み直そうか」

「あら、ガブリエルお兄さまのおごり?」

「もちろん」

「やった、ふふ。じゃ、行きましょっか」

よく似た三人の男女と若き女社長は連れ立って歩き出す。若き刑事はその背中を穴が空くほどにらみつけた。




 時をさかのぼり四日前。

ヨースロ空港からそう遠くない小さな繁華街タラゴール。そこにヘルメス01ゼロワンことミケルが滞在していた日数は十日と短かった。ヘルメス02ゼロツーこと元全球軍上層部の軍人ガブリエルの情報網にレッドレイク・オルブライトの手先が引っ掛かったことで、ミケルは急な引越しを余儀なくされた。

 ガブリエルから示された次の滞在先は国家を支えると名高い企業が軒並のきなみを連ねる大都市リンデル。そこに潜伏せんぷくしているヘルメスシリーズの兄弟がいると聞き、ミケルが向かったのは高級マンションの一室だった。

 防弾ガラスで守られた堅牢けんろうな黒いビル。雲の上まで上がった先で呼び鈴を押し、出てきたのは己と同じプラチナブロンドの髪を持つれたての半裸の美女だった。

「あら、早かったじゃない」

 美女は豊かな髪にタオルを当てながら「上がって」と初対面のを手招いた。

「何か飲む?」

「アルコールなら何でも」

 広いリビング。いかにも高級なふかふかのソファ。ホワイトベージュを基調とし黒で締められたシックなリビング。ミケルは出されたモルトウイスキーを珍しがる余裕もなくグラスをあおった。

「もっとじっくり味わいなさいよ」

「馬鹿野郎、こちとらさらわれて突然プライベートジェットにぶち込まれたんだぞ。やってられるか」

ミケルは密度の高いソファに腰を沈め、深い溜め息をついた。

「お疲れ様、災難だったわね。一応名乗っとく?」

「ラファエルだろ。ガブリエルから聞いた」

「そう。よろしくね、

美女ラファエルこと、ヘルメス03ゼロスリーはミケルへぱちんとウインクをする。

「私はヘメラちゃんの学友」

「じゃあなんだ。見た目通りの年齢か」

「ええ、もともと兵役志望だったの。全身義体にするなら丁度いいものがあるってアスコおじ様から直接打診されて、に乗っかったってわけ」

 ラファエルは冷蔵庫からフルーツの盛り合わせを取り出すと「食べる?」とミケルへ差し出した。

「生鮮野菜だのフルーツだの、前の生活じゃ見るたびに目ェひんいてたってのに……」

「珍しくもなくなった?」

「マイクロマシンが泥味だってのも初めて知った」

「消化用マイクロマシンに罪はないわよ。この体では極端に合わないってだけ」

オレンジの切り身を手づかみしたミケルはみずみずしい果肉を口へと放り込む。

「うめえ……」

「疲れてる時はビタミン摂取せっしゅが一番よ」

ラファエルはにこりと微笑むと洗面台へ移動し、ドライヤーを当てる。

 その音を聞いてふと疑問を抱いたミケルは「なあ」と声をかけた。

「なーにー? 聞こえなーい! ドライヤー終わってからにして〜」

(そういや義体なのに生身のごとくドライヤー使えるよな……)

と、わざわざ質問を投げかける気力もなく、ミケルはソファの上でだらりと力を抜く。


「で、なーに?」

 ラファエルが髪を乾かし終えリビングへ戻ると、ミケルはソファの上でぐっすりと寝入っていた。

「あら、私もたくさん質問あったのに……。ま、いいか。お疲れなのね」

 ラファエルは幼な子のようなプラチナブロンドの美男の寝顔をじっくりとでてから、リビングの一角に備え付けたノートパソコンを起動した。

 カメラが己を認識し、ヘルメス02ゼロツーことガブリエルへ電話をかける。ガブリエルは誰かと会っていたのか、上品な茶色のスーツをまとった状態でカメラの前に立った。

「あら、いま大丈夫ですか?」

「構わないよ。彼は着いたかい?」

「ええ、無事に着きました」

ラファエルはすぐそばで眠りこけるミケルことヘルメス01ゼロワンをチラリと気にする。

「……彼ほんとうに目が覚めて一ヶ月弱なんですか?」

「ヘメラは事実しか言わない子だよ」

「そうなんですけど。脳髄のうずいと残った神経系全部の移植の場合、体を動かせるようになるまで五ヶ月は固いと思うんですけど」

「筋肉以外残ってた私ですらリハビリに半年かかったよ。やはり01ゼロワンだけ性能が違うんじゃないかなぁ……? オルブライトくんならやりかねない」

「えー、でも移植の条件としては一緒だと思うんですぅ。一番早い05ゼロファイブでさえ歩けるまで三ヶ月半かかったのに」

「あの子から記録をもらったけど術後五時間で覚醒、すんなり起き上がってその後十日間熟睡じゅくすい……いや、軽い昏睡こんすいだったのかな? かなり深く寝入っていたようだよ」

「術後五時間で覚醒してる時点でまず恐ろしいんですよ。そんなにさっと目覚めます?」

「彼女はむしろ、今後体に支障が出ないか気にしているよ」

「まあ、そうでしょうねえ……」

ガブリエルはそっくりの美貌びぼうでくすりと微笑み肩をすくめる。肩まで伸びた髪が絹糸きぬいとのようにさらりと揺れる。

「ごめんね、こちらである程度義体の使い方を教えるはずだったんだけど」

「いーえ! ろくにマニュアルも読まずに急に身長設定変えた本人が悪いです。おじさまのせいじゃないわ」

「そう言ってくれるかい?」

「私から説明しておきます。今度身長を変えるなら二センチずつにしろって」




 翌朝早くに目覚めたミケルは、知らぬ間にかけられた毛布で顔を半分以上隠したまま、ぼんやりと体を起こした。

「……ここどこだっけ……」

 ミケルは座った状態で目をつむり、静寂せいじゃくに身を任せる。大きな窓は防弾だけではなく防音もしっかりしているのか、遥か下方の大通りの騒がしさは伝わってこない。

(眠い……)

差し込んだ朝日でまぶたが透け、視界は赤い色に満たされている。

(血は赤いのか。当然と言えば当然か)

 それからどのくらい経ったのか。人が動く気配がしてミケルはふっとまぶたを持ち上げた。

「あら、早起きね」

 ラファエルは下着姿でミケルの前を通り過ぎるとコーヒーマシンに手をかける。

「左のこめかみ、三回、一回、一回。押してみて」

思考を巡らせる余裕もなく、ミケルは言われたまま左手を動かす。

「熱は? 摂氏せっし何度?」

「……三十八度二分」

「……は? ちょ、ちょっと!」

 ラファエルは慌ててミケルへ近寄り毛布を払いのけ、手の平を兄の額に押し付ける。

「……やだちょっと、本当に熱出てる……。熱冷まし熱冷まし……ええと……。食欲は!?」

ラファエルは冷蔵庫から氷を取り出し水と共に密封パックに閉じ込めそれをさらに布巾で包む。

 彼女はソファの背もたれに頭をあずけ、ほんのり赤い顔をしているミケルの額へ氷袋を載せた。

「食欲ある?」

「ない。食うより寝たい……」

「じゃあ寝て! ああいや、水は飲んで! 白湯さゆ作るから!」


 ラファエルが普段使っているベッドへミケルを押し込むと、彼の熱はさらに上がり三十八度九分となってしまった。ラファエルは慌ててガブリエルへ連絡を取る。

「高熱? ふむ、風邪かな。疲労かな?」

「どちらか判断しかねるので知り合いの軍医を呼ぼうかと」

「現状、ヘルメス01ゼロワンの存在を知る人物は少ない方がいいんだよねぇ……。……ヘメラちゃんにも連絡しよう」


「私がそちらへ行きます」

「それ本末転倒だから! 01ゼロワンを隠そうと思ってるのにヘメラちゃんがこっちへ来たら居場所教えてるようなものじゃない!」

 ヘメラを加え三人で通話を行うと、話はガブリエルが予想したほうへ転がった。

(責任感が強い親子だからね。義体製作者としてはやはり放って置けないだろう)

ガブリエルは横目で幼児向けアニメに夢中になっている孫と、若々しい義体に換装を終えた妻を見やる。二人ともガブリエルの会話には注意を向けていない。

「……三日後そちらで軍事開発企業が主催するチャリティーパーティーがあるんだけど、招待制じゃないからヘメラちゃんも行けると思うよ」

ガブリエルが行き先と予定を示すと、ヘメラは行く気満々の表情となり、ラファエルは信じられないと彼を見た。

「おじさま!」

「オルブライトくんと付き合ってた頃を思い出すよ。義体中心、患者優先の生活だったからね。彼も」

親子そっくり、と肩をすくめるとヘメラは立ち上がって「支度をします」と早々に通話を切った。




 ふわりと香水のような香りが鼻をくすぐり、ミケルはまぶたを持ち上げた。

「ああ、起きたか。調子はどうだ?」

彼はまだ赤い顔で己をのぞき込む若い女性を見上げる。

「……母さん、いつ帰ってきたの?」

ヘメラはハッとした。

全身義体化を初めて行った者には一時的な障害が出ることがある。そのうちの一つに記憶の退行も存在した。

(今の彼は過去の時間にいる)

ヘメラはつとめて優しく、ミケルに声をかける。

「熱を出したんだ。覚えているか?」

「……うーん……」

「喉は渇いている? 何か食べるか?」

「……ううん、いらない……」

「そう」

ミケルが手を開いて何かを欲しがり、ヘメラは彼へ顔を近づける。ミケルは乙女の肌を確かめるように彼女の腕を掴んだ。

「母さん、電車には乗らないで」

「……わかった。大丈夫、そばにいるから」

ヘメラの言葉を聞くとミケルは安心してまぶたを閉じ、再び眠りの深みへ落ちていった。


 神妙な顔をしてリビングへ戻ってきたヘメラを見て、ガブリエルとラファエルは目配せをした。

「彼、大丈夫そう?」

「……一時的な退行状態にあると思われる」

「何よ、赤ちゃん返り?」

「体感では十歳前後の少年時代といった感じで……私を母親と勘違いしていた」

ヘメラは物憂げな顔をして親友ラファエルの隣へ腰を下ろした。

「母親に何かあったのだろうか。電車に乗るな、と……」

何か知ってる? とラファエルが視線を投げかけると、ガブリエルは肩をすくめる。

「経歴は一応調べたけど、本人から聞くのが一番だと思って伏せてたんだよ」

「ってことはおじさまは知ってらっしゃるのね。何があったんです?」

「二十年くらい前にリンデル行きの特急電車で自爆テロが起きたんだよ。彼の母親はその犠牲者なんだ」

驚いた顔をそろって向けた二人を見つめながら、ガブリエルは当時を思い出す。

「各国の首脳は終戦へ向けて手筈てはずを整えていた頃だったんだけど、異星人エイリアンに勝つまでは戦いは終わらないって主張する過激派が残っててね。リンデルの駅に着いた瞬間にテロを起こすつもりだったらしい。でも駅に着く前にテロの計画に気づいた人物がいて、その人たちのおかげでリンデルは打撃を受けずに済んだ」

「その勇敢ゆうかんな人がミケルさんのお母さん?」

「そう、六人いた勇者の一人」

 ガブリエルはその後のミケルの話を続ける。

少年ミケルの父親は不明。母子家庭だった少年は母方の親戚に預けられる。それなりの暮らしをしていた少年の生活は一転して困窮こんきゅうし、地元の不良団へ混ざって過ごすようになる。

「暴力に慣れて本物の戦いを求めるようになり、傭兵になった。特に珍しくもない一般市民の経歴だよ」

 女性たちがしんみりとしているとガブリエルは大袈裟に肩をすくめる。

「可哀想だと思うかい? でもあの時代は混迷期の最中さなかで、彼のような経歴の人物は少なくない。むしろ引き取り手がいただけマシだよ。なす術もなく家なき子になってしまった者がほどんどさ」

ヘメラちゃんがそう言う表情になると思ったから言わなかった、と、ガブリエルは寂しげに恩人の娘を見つめる。

「今の話は聞かなかったことにして、知らない振りをしておきなさい。彼もそう望むだろう」




 明朝。ミケルがぼさぼさ頭でリビングへ姿を現すと、どういう訳かヘメラ・オルブライトがガブリエル、ラファエルと共に朝食を囲んでいた。

「ああ、起きた」

「熱は? 左。三、一、一よ」

「なんで嬢ちゃんがここに……」

渋々といった様子でミケルは左のこめかみを叩く。

「三十七度二分」

「微熱ならまあ連れ歩いても大丈夫じゃない?」

「部屋で寝ていたほうが……」

「このマンションのセキュリティは保証するけど、一人で寝かせておくのは反対よ。何かあったら困るもの」

 ガブリエルの隣を示され、ミケルは納得がいかないまま腰を下ろす。しばらくすると目の前にフルーツと野菜のヨーグルトサラダが置かれた。

「メシの値段を考えるのも嫌になってきた」

「ヘルメスシリーズは食費はかかるわよ。生身と一緒だもの」

「生身……」

ふと少年時代がよぎったものの、ミケルはボウルの中のサラダに集中する。ヘメラはサラダをつまらなさそうにつつくミケルの顔を見つめた。

「食べたらテーラーに行くわよ」

「は?」

「ヘメラちゃんがこっちに来る理由に今夜開催されるチャリティーパーティーを使ったの。ガブリエルと私とあなた、全員出席。わかった?」

「スーツならこの前作ったぞ」

「馬鹿ね、カクテルパーティーとチャリティーパーティーじゃ求められるスーツの質が違うのよ」

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