第4話『背骨の街リンデル(前)』
若く頭が切れる刑事は、目の前で頬杖をつく美男をどう
マジックミラーの向こうでは相棒であり上司である刑事が同じようにこの美男を観察している。
ことは三時間前に
とあるチャリティーパーティーにて、
「他にも何か知ってるんじゃないのか?」
若き刑事が
「何か予定が?」
刑事が目を光らせた時だ。取調室の扉が開かれ、難しい表情をした署長が顔を見せる。
「
若い刑事の戸惑いをよそに、ブロンドの美男はやれやれと立ち上がる。
「取り調べご苦労さん」
背の高い美男はひらひらと右手を振って取調室を出ていく。刑事は納得がいかない、と署長に食いついた。
「彼の正体を調べてはいけない。全球軍上層部から直々にストップがかかった。特殊捜査員か何かだ」
それで爆弾を巻きつけた犯人を床に押さえつけられたのか、と刑事は美男の背中を目で追った。美男はよく似た色と顔立ちの、藍色のスーツに身を包んだ別の男と、同じ色の美女に笑顔で迎えられる。三人のかたわらには空色のイブニングドレスをまとった明るい栗毛の女性も立っている。確かニュースで特集されていた、オルブライト社の若き女社長だ。
「人助けをしたのに取り調べなんて、
「あいつらも仕事だ。仕方ねえさ」
「気分を切り替えるために飲み直そうか」
「あら、ガブリエルお兄さまの
「もちろん」
「やった、ふふ。じゃ、行きましょっか」
よく似た三人の男女と若き女社長は連れ立って歩き出す。若き刑事はその背中を穴が空くほど
時を
ヨースロ空港からそう遠くない小さな繁華街タラゴール。そこにヘルメス
ガブリエルから示された次の滞在先は国家を支える背骨と名高い企業が
防弾ガラスで守られた
「あら、早かったじゃない」
美女は豊かな髪にタオルを当てながら「上がって」と初対面の兄を手招いた。
「何か飲む?」
「アルコールなら何でも」
広いリビング。いかにも高級なふかふかのソファ。ホワイトベージュを基調とし黒で締められたシックなリビング。ミケルは出されたモルトウイスキーを珍しがる余裕もなくグラスをあおった。
「もっとじっくり味わいなさいよ」
「馬鹿野郎、こちとら弟に
ミケルは密度の高いソファに腰を沈め、深い溜め息をついた。
「お疲れ様、災難だったわね。一応名乗っとく?」
「ラファエルだろ。ガブリエルから聞いた」
「そう。よろしくね、ミシェルお兄さま」
美女ラファエルこと、ヘルメス
「私はヘメラちゃんの学友」
「じゃあなんだ。見た目通りの年齢か」
「ええ、もともと兵役志望だったの。全身義体にするなら丁度いいものがあるってアスコおじ様から直接打診されて、興味深いお話に乗っかったってわけ」
ラファエルは冷蔵庫からフルーツの盛り合わせを取り出すと「食べる?」とミケルへ差し出した。
「生鮮野菜だのフルーツだの、前の生活じゃ見るたびに目ェひん
「珍しくもなくなった?」
「マイクロマシンが泥味だってのも初めて知った」
「消化用マイクロマシンに罪はないわよ。この体では極端に合わないってだけ」
オレンジの切り身を手づかみしたミケルはみずみずしい果肉を口へと放り込む。
「うめえ……」
「疲れてる時はビタミン
ラファエルはにこりと微笑むと洗面台へ移動し、ドライヤーを当てる。
その音を聞いてふと疑問を抱いたミケルは「なあ」と声をかけた。
「なーにー? 聞こえなーい! ドライヤー終わってからにして〜」
(そういや義体なのに生身のごとくドライヤー使えるよな……)
と、わざわざ質問を投げかける気力もなく、ミケルはソファの上でだらりと力を抜く。
「で、なーに?」
ラファエルが髪を乾かし終えリビングへ戻ると、ミケルはソファの上でぐっすりと寝入っていた。
「あら、私もたくさん質問あったのに……。ま、いいか。お疲れなのね」
ラファエルは幼な子のようなプラチナブロンドの美男の寝顔をじっくりと
カメラが己を認識し、ヘルメス
「あら、いま大丈夫ですか?」
「構わないよ。彼は着いたかい?」
「ええ、無事に着きました」
ラファエルはすぐそばで眠りこけるミケルことヘルメス
「……彼ほんとうに目が覚めて一ヶ月弱なんですか?」
「ヘメラは事実しか言わない子だよ」
「そうなんですけど。
「筋肉以外残ってた私ですらリハビリに半年かかったよ。やはり
「えー、でも移植の条件としては一緒だと思うんですぅ。一番早い
「あの子から記録をもらったけど術後五時間で覚醒、すんなり起き上がってその
「術後五時間で覚醒してる時点でまず恐ろしいんですよ。そんなにさっと目覚めます?」
「彼女はむしろ、今後体に支障が出ないか気にしているよ」
「まあ、そうでしょうねえ……」
ガブリエルは妹そっくりの
「ごめんね、こちらである程度義体の使い方を教えるはずだったんだけど」
「いーえ! ろくにマニュアルも読まずに急に身長設定変えた本人が悪いです。おじさまのせいじゃないわ」
「そう言ってくれるかい?」
「私から説明しておきます。今度身長を変えるなら二センチずつにしろって」
翌朝早くに目覚めたミケルは、知らぬ間にかけられた毛布で顔を半分以上隠したまま、ぼんやりと体を起こした。
「……ここどこだっけ……」
ミケルは座った状態で目をつむり、
(眠い……)
差し込んだ朝日でまぶたが透け、視界は赤い色に満たされている。
(血は赤いのか。当然と言えば当然か)
それからどのくらい経ったのか。人が動く気配がしてミケルはふっとまぶたを持ち上げた。
「あら、早起きね」
ラファエルは下着姿でミケルの前を通り過ぎるとコーヒーマシンに手をかける。
「左のこめかみ、三回、一回、一回。押してみて」
思考を巡らせる余裕もなく、ミケルは言われたまま左手を動かす。
「熱は?
「……三十八度二分」
「……は? ちょ、ちょっと!」
ラファエルは慌ててミケルへ近寄り毛布を払いのけ、手の平を兄の額に押し付ける。
「……やだちょっと、本当に熱出てる……。熱冷まし熱冷まし……ええと……。食欲は!?」
ラファエルは冷蔵庫から氷を取り出し水と共に密封パックに閉じ込めそれをさらに布巾で包む。
彼女はソファの背もたれに頭をあずけ、ほんのり赤い顔をしているミケルの額へ氷袋を載せた。
「食欲ある?」
「ない。食うより寝たい……」
「じゃあ寝て! ああいや、水は飲んで!
ラファエルが普段使っているベッドへミケルを押し込むと、彼の熱はさらに上がり三十八度九分となってしまった。ラファエルは慌ててガブリエルへ連絡を取る。
「高熱? ふむ、風邪かな。疲労かな?」
「どちらか判断しかねるので知り合いの軍医を呼ぼうかと」
「現状、ヘルメス
「私がそちらへ行きます」
「それ本末転倒だから!
ヘメラを加え三人で通話を行うと、話はガブリエルが予想したほうへ転がった。
(責任感が強い親子だからね。義体製作者としてはやはり放って置けないだろう)
ガブリエルは横目で幼児向けアニメに夢中になっている孫と、若々しい義体に換装を終えた妻を見やる。二人ともガブリエルの会話には注意を向けていない。
「……三日後そちらで軍事開発企業が主催するチャリティーパーティーがあるんだけど、招待制じゃないからヘメラちゃんも行けると思うよ」
ガブリエルが行き先と予定を示すと、ヘメラは行く気満々の表情となり、ラファエルは信じられないと彼を見た。
「おじさま!」
「オルブライトくんと付き合ってた頃を思い出すよ。義体中心、患者優先の生活だったからね。彼も」
親子そっくり、と肩をすくめるとヘメラは立ち上がって「支度をします」と早々に通話を切った。
ふわりと香水のような香りが鼻をくすぐり、ミケルはまぶたを持ち上げた。
「ああ、起きたか。調子はどうだ?」
彼はまだ赤い顔で己をのぞき込む若い女性を見上げる。
「……母さん、いつ帰ってきたの?」
ヘメラはハッとした。
全身義体化を初めて行った者には一時的な障害が出ることがある。そのうちの一つに記憶の退行も存在した。
(今の彼は過去の時間にいる)
ヘメラは
「熱を出したんだ。覚えているか?」
「……うーん……」
「喉は渇いている? 何か食べるか?」
「……ううん、いらない……」
「そう」
ミケルが手を開いて何かを欲しがり、ヘメラは彼へ顔を近づける。ミケルは乙女の肌を確かめるように彼女の腕を掴んだ。
「母さん、電車には乗らないで」
「……わかった。大丈夫、そばにいるから」
ヘメラの言葉を聞くとミケルは安心してまぶたを閉じ、再び眠りの深みへ落ちていった。
神妙な顔をしてリビングへ戻ってきたヘメラを見て、ガブリエルとラファエルは目配せをした。
「彼、大丈夫そう?」
「……一時的な退行状態にあると思われる」
「何よ、赤ちゃん返り?」
「体感では十歳前後の少年時代といった感じで……私を母親と勘違いしていた」
ヘメラは物憂げな顔をして親友ラファエルの隣へ腰を下ろした。
「母親に何かあったのだろうか。電車に乗るな、と……」
何か知ってる? とラファエルが視線を投げかけると、ガブリエルは肩をすくめる。
「経歴は一応調べたけど、本人から聞くのが一番だと思って伏せてたんだよ」
「ってことはおじさまは知ってらっしゃるのね。何があったんです?」
「二十年くらい前にリンデル行きの特急電車で自爆テロが起きたんだよ。彼の母親はその犠牲者なんだ」
驚いた顔をそろって向けた二人を見つめながら、ガブリエルは当時を思い出す。
「各国の首脳は終戦へ向けて
「その
「そう、六人いた勇者の一人」
ガブリエルはその後のミケルの話を続ける。
少年ミケルの父親は不明。母子家庭だった少年は母方の親戚に預けられる。それなりの暮らしをしていた少年の生活は一転して
「暴力に慣れて本物の戦いを求めるようになり、傭兵になった。特に珍しくもない一般市民の経歴だよ」
女性たちがしんみりとしているとガブリエルは大袈裟に肩をすくめる。
「可哀想だと思うかい? でもあの時代は混迷期の
ヘメラちゃんがそう言う表情になると思ったから言わなかった、と、ガブリエルは寂しげに恩人の娘を見つめる。
「今の話は聞かなかったことにして、知らない振りをしておきなさい。彼もそう望むだろう」
明朝。ミケルがぼさぼさ頭でリビングへ姿を現すと、どういう訳かヘメラ・オルブライトがガブリエル、ラファエルと共に朝食を囲んでいた。
「ああ、起きた」
「熱は? 左。三、一、一よ」
「なんで嬢ちゃんがここに……」
渋々といった様子でミケルは左のこめかみを叩く。
「三十七度二分」
「微熱ならまあ連れ歩いても大丈夫じゃない?」
「部屋で寝ていたほうが……」
「このマンションのセキュリティは保証するけど、一人で寝かせておくのは反対よ。何かあったら困るもの」
ガブリエルの隣を示され、ミケルは納得がいかないまま腰を下ろす。しばらくすると目の前にフルーツと野菜のヨーグルトサラダが置かれた。
「メシの値段を考えるのも嫌になってきた」
「ヘルメスシリーズは食費はかかるわよ。生身と一緒だもの」
「生身……」
ふと少年時代がよぎったものの、ミケルはボウルの中のサラダに集中する。ヘメラはサラダをつまらなさそうにつつくミケルの顔を見つめた。
「食べたらテーラーに行くわよ」
「は?」
「ヘメラちゃんがこっちに来る理由に今夜開催されるチャリティーパーティーを使ったの。ガブリエルお兄さまと私とあなた、全員出席。わかった?」
「スーツならこの前作ったぞ」
「馬鹿ね、カクテルパーティーとチャリティーパーティーじゃ求められるスーツの質が違うのよ」
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