第2話『小都市タラゴール(前)』

 それは近代都市の一角で忘れ去られた小さな繁華街の中にひっそりとたたずんでいた。ヘメラが指定した宿屋は今時珍しい、さびれた小さな個人経営店だった。

 キャリーバッグを押して開けっぱなしのドアをくぐると、宿の店員らしき初老の女性はカウンターの内側で腕を組んで古い型のテレビを見上げていた。

十二時となり、オルブライト社が新製品の発表を行っている。

壇上だんじょうにはつい先日知り合ったばかりの若き女社長ヘメラが、晴れやかな婦人用スーツをまとって立っていた。

「この青春ヘーベーシリーズは、退役軍人のために先代のアスコと私が開発したものです。このシリーズの最たる特徴は最新のバイオテクノロジーと義体技術の融合ゆうごうによる耐用年数の長さで……」

宿の女性は視界の端でミケルをとらえていたのだろう。親指でクイッと画面を指す。

「オルブライトの製品には世話になったよ。息子がね。おかげで死んじまった」

宿の女将おかみは首を動かしてミケルを見つめた。目尻のシワと共に一体いくつの苦労を重ねてきたのだろうか。

「部屋は二階だよ」


 女将おかみカレンに渡された鍵を持って部屋に入ると、泊まる予定のベッドには丁寧に着替えまで置かれていた。

室内を見渡す。人が泊まるには最低限の、申し分ない広さと小綺麗さ。ベッドと寝台のミニテーブルしかない質素な部屋。常日頃、掃除はしっかり済ませているのだろう。こういう手狭な宿でネズミの足音がないところは珍しい。


 チャラチャラした若者の服が気に食わなかったミケルは早速着替えに袖を通し、再び一階のカウンターへ向かった。

地味なTシャツとパンツをまとい、どう使うのかわからないほど大きなストールに悪戦苦闘していると、カレンがカウンターから出てきて体に巻くのを手伝ってくれる。

「この辺りで外に出るなら頭から太ももまでしっかり隠さないと駄目だよ。一日二回砂嵐が起きる。近くにできた廃棄場はいきじょうのせいさ。ゴーグルも使いな。息子のお古だよ」

砂よけの上着、とのことだった。

ミケルはカレンにこの辺りに飲食店はあるか、と聞こうと思ったが先にカレンから朝食をとったか確認される。

「空きっ腹にカフィーは注いだ」

「晩の残りもんしかないよ」

 カレンはそう言いつつカウンターの内側で冷蔵庫を開けバイオ合成食品を取り出す。女将おかみは慣れた手つきで食品プリンターに原液をセットし、ニンジンの印刷を始めた。

「受付兼宿泊客への簡易バーってところか」

「夜は飲み屋だよ」

「だろうな」

 たとえ合成食品でもバターは高いだろうに、女将おかみはニンジンをバターと砂糖で炒めてくれた。グラッセなんていつぶりだろうか。

「うめえ」

「合成の中でもマシなバター選んでるからね」

 女将おかみカレンは食事を進めるミケルの顔をしげしげとながめる。

「なんだ」

「いや、支払いのメッセージにいかついのが行く、って書いてあったからどんな男が来るかと思ってたんだけど、いかついどころか可愛いじゃないか」

ミケルは女将おかみの背後で輝く厨房のステンレスに映る、あどけない美男をにらみつけた。

「好きでこの顔してねえ」

「訳ありなんだろう? を指定して一ヶ月分の支払いをしてくるあたり、余程だね」

 自分の宿をわざわざ、と言う表現からミケルはこの宿が一般客向けではないことを感じ取った。

「普通の客は取らんのか」

「たまには取るよ。店の評価を程よく落としてくれる坊ちゃん嬢ちゃんをね」

さびれていて人気ひとけがないのは、女将おかみがそうあれと望んだ結果のようだ。

「なるほど、避難所シェルターか」

「息子が所属してた傭兵団に飯作ってたらそうなっちまったのさ」

 食後の紅茶までもらい、ミケルがカウンターでゆっくりしていると次の客が現れた。今のミケルのように全身をおおうほどのストールを巻きつけた男はご丁寧にゴーグルと口布までつけていた。

「部屋は二階だよ」

 カレンから鍵を受け取った男はミケルをチラリと横目で確認し、階段を上がっていった。


「その綺麗な顔、さらして歩くんじゃないよ」

 カレンから母親のように言いつけられ、ミケルはゴーグルとストールですっかり顔を隠して繁華街を歩く。道の端ではついこの前までの自分と似た姿の傭兵崩れが、工業用エタノールに味付けをしただけの違法な酒をあおっている。

あと五年はあの状態だったはずが、今や綺麗なを着込んでいる。

「人生何があるかわからんな」


 大通りへ出たミケルは先ほどの繁華街に影を落としていた大きなビル群を見上げた。

「ふん、金持ちどもが。見下してやがる」

 その金持ちから五年分の生活費を恵まれたはずなのに胸がすく訳でもなく、ミケルはビルの最上階をにらみつける。

本当に組織の上に立つべき、下々へつぐないの姿勢を見せたヘメラではなく、罪を背負うべき金持ちどもがあの最上階で本物のアルコールを胃に注いでいるのだと思うとはらわたが煮えくり返る。

(いつか見てろよ)


 特に予定もなく金だけはあり、しかし身を隠しているゆえに派手な金の使い方もできないとどうにもならないミケルは、兵士が集っている安くてうまそうな屋台を見つけて腰を下ろした。

 四人分を置くのが精一杯な屋台のカウンターで屈強な男たちは五人でひしめき合う。黙々と合成食品から作られた食事をかき込む男たちの姿に安心して、ミケルも注文した焼き麺を口へ放り込んだ。

「ぐっ」

泥を食ったのかと勘違いするほどのあまりの不味さに驚いた。

食事は義体用の、消化用マイクロマシンが入っている

さすがに店主の目の前で吐き出す訳にもいかず、ミケルは何とかして麺を頬の内側へ寄せる。

「オヤジ、ビールくれ」

これまた出てきた合成ビールも不味くて、ミケルの口内は大騒ぎだった。

何で、と考えていると義体は自ら宿主にメッセージを送ってくる。

『ヘルメス01ゼロワンは消化用マイクロマシンを必要としません。生来の内臓を持つ人々と同じ食事をしてください』

(おい、そんなところまで最新鋭か!?)

カレンの食事は美味しく食べられたのに、とミケルは一時間ほど前を思い出す。

(そういや、女将おかみは食材切って焼いただけか!)

マイクロマシンを混ぜている様子はなかった。

 目の前の食事とビールをどうしよう、と困っていると肩をぽんぽんと叩く手があった。

驚いてすぐとなりを見上げれば、この辺りではもはや当然の全身ストールにゴーグルの若者が「やあ」と片手を上げていた。宿で見かけた男とはまた別の、人懐っこい笑みが口元に浮かんでいる。

「こんなところにいたんだね兄弟。待ち合わせ場所にこないから迷ったんじゃないかと心配してたんだよ」

助け舟だと感じたミケルは立ち上がってに右手を差し出した。

「久しぶり」

 相手の手を握った瞬間ミケルの脳に大量の情報が流れ込む。

この男はヘルメス02ゼロツーを使っており、ミケルの弟にあたる。退役兵らしいが、さすがに所属部隊は伏せられていた。

顔と年齢合ってなさすぎだろ、とミケルが兄弟の若々しい肌を食い入るように見つめるとヘルメス02ゼロツーはケラケラと笑う。

「久々すぎて兄弟の顔も忘れたのかい」

「ああ、まあその……」

「さあほら、いつもの店で飲み直そう」

ヘルメス02ゼロツーの肩に腕を回して歩き出す。ミケルがいなくなると、彼のとなりに座っていた傭兵は焼き麺をこっそり自分の物とした。




義体サイボーグ用の食事がひどい味でびっくりしたろう?」

 それなりに値が張る店に入ったヘルメス02ゼロツーは、ストールで隠されていたプラチナブロンドの髪と瞳をあらわにした。確かにこうしてソファーに腰を下ろし、鏡の横で並ぶと二人は兄弟に見える。の方が体格がいいのが気に食わないが。

「……もあの女社長からそれを?」

「そう。とは言っても、私は先代に世話になった者でね」

 オルブライト社の初代社長アスコ・オルブライトとヘルメス02ゼロツーの搭乗者は旧知きゅうちの仲で、ヘルメスシリーズの構想段階からその存在を知っていたらしい。

「実際に売られたのは青春ヘーベーシリーズだろ」

「うん。私はその青春ヘーベーの前身になったモデルを使っている。君はまだ色々知らないだろうけど、この体には情報が詰め込まれている。隅々すみずみまで探してみるといい。暇つぶしになるよ」

「俺は宝探しだの謎解きだのには興味がない」

「何故? 楽しいのに」

実年齢が高いせいなのか元々飄々ひょうひょうとしているのか、ヘルメス02ゼロツーは腕を組んで嬉しそうにの顔を見つめる。

 退役兵とは言っても、この男はおそらく部隊を仕切っていた側だ。そうでなければこんな悠々とした態度は取れない。

(義体開発者と付き合いがあった全球軍上層部の一人ってところか)

 ヘルメス02ゼロツーは仕方ない、と肩をすくめて左のこめかみを指した。

「二回、四回、一回と押してご覧」

指示通り左のこめかみを数回クリックすると、義体情報が全て出てくる。

ウインドウで視界が埋まってしまい困っていると、ヘルメス02ゼロツーは「息を吹いてご覧」と続ける。

ロウソクを消すようにふーっと息を吹くと大量のウインドウはミケルの前方に散らばった。

「使い方は電脳とほぼ同じだ。より直感的だがね。兄弟は電脳化の経験は?」

「ない。生身にこだわってたからな」

「おや今時珍しい。でも外付けのサブ脳くらいは使っていただろう?」

「さすがにな。やたら高かったのに壊れるのは早かった」

「我らの麗しき姫君いわく、そのやたら高い旧製品のおかげで君はそれに乗れたようだがね」

「何だって?」

「君が使ってたサブ電脳はオルブライトくんが他社の子会社にいた頃に手がけたなのさ。作りを知っているし、互換性もあった。ゆえに君は助かった」

「は、都合がいいと思ったらそう言うことか」

 ミケルは己にしか見えないウインドウを指でつまむと手元に引き寄せる。型番にはHermēs01 ver.1.617と記されている。

「説明書もよく読んでおくといい。あと、オルブライトくんは謎解きやパズルが好きなタイプでね。慣れておくとのちのち便利になるよ」

 これは餞別せんべつだと言ってヘルメス02ゼロツーは角砂糖のように小さな立方体をミケルへ差し出した。

差し出されるまま指でつまもうとしたミケルは、指で触れた途端溶けてなくなった立方体を見て目を丸くした。

「どこいった?」

「今みたいに、兄弟間でしか成り立たない情報の渡し方もある。今のはそのレクチャーも兼ねて、君の脳髄のうずいにメッセージを送っておいた。肉体の情報だから左側だよ。今度は三回、二回、二回だ」

ただし今ここでは読まないように、とヘルメス02ゼロツーは片手をかかげて兄を制した。

「少し早いけど長めの夕食といこう。おごるよ」




 工業用エタノールではない本物のアルコールで乾きをうるおしたミケルは、宿に戻ってすぐにベッドへ寝転び弟からもらった情報を閲覧えつらんする。

「少し君の時間を借りるよ」

02《ゼロツー》の短い音声メッセージと共に再生されたのは、ヘメラの赤ん坊時代から始まるホームビデオだった。

(どんなご大層な情報かと思えば)

よちよち歩きからしっかり立つようになり、七歳になる頃には海へ遊びに行って水着姿ではしゃぐ女児。幼いヘメラは己が知る暗く重たい表情など見る影もなく、無邪気に笑う。

 同じく七歳の頃、ヘメラはその頭脳の片鱗へんりんを見せる。撮影者に向かって微笑むヘメラの手元には小さな部品がたくさん散らばっている。

数時間後ヘメラの元へ撮影者が戻ると、彼女は小さな部品から自力で歩くアンドロイドを組み上げてしまっていた。

「ヘメラは器用だなぁ」

珍しく撮影者の声が入る。彼のやや年老いた手が伸びて少女の髪をさらりと撫でると、ミケルにもその感触が伝わってきた。

違和感を覚え、ね起きる。

ただのホームビデオだと思ったそれに感覚がっていることに気付いたミケルはベッドの上で後ずさった。

これは記録ではない。

誰の、なんてわかり切ったことだ。ヘメラが心を許した身内は彼女の父だけ。

「友人は君へ上手く渡してくれたようだ」

 頭の中に自分のものではない声が響く。その老人は白衣姿でふっと視界に現れた。背を向けていて表情はうかがい知れないが、まとう雰囲気はどことなくヘメラに似ている。

「金稼ぎに執着しゅうちゃくしている息子たちを黙らせるには、新たな兵士用義体の開発を進めるしかなかった。私は正直なところ、人殺しの道具を作ることに辟易へきえきしていた。昔は義体を作れば国に貢献こうけんできる、兵士たちの助けになると思って張り切っていたが……」

アスコ・オルブライトは振り返った。

男は老いてはいるが、頭の良さと観察力の高さがにじむ鋭い目をしていた。

「発表では青春ヘーベーシリーズが私の遺作いさくとなっているだろうが、真の意味で私が手がけた最後の義体はヘルメス01ゼロワンだけだ。あとはヘメラが全て作った。私は手伝ったに過ぎない」

それから、とアスコは人差し指を立てる。

「君にこれを渡しておく」

アスコの手の平に白と灰色で構成された4×4×4の立方体パズルが現れる。彼はそれをこちらへ投げて寄越した。ミケルが慌てて胸に飛び込んできた立方体を掴むと、アスコは口の端を持ち上げる。

「一面を揃えるごとに次の情報が出る仕組みにした。暇つぶしに閲覧えつらんしてくれ」

02《ゼロツー》が言う通りパズル好きは本当のようだ。

しかしミケルはやってられるか、とキューブを背後へ放る。

「ふむ、パズルが苦手な性格も想定はしていた」

アスコ・オルブライトの幻影はヘルメス01ゼロワン挙動きょどうを読み取っているらしく、やれやれと首を振る。

「では最初の一面は免除めんじょして口頭で伝えよう。私たちと特に折り合いが悪いのは第二子で長男のレッドレイク。そろそろ七十を迎える年齢なのだが、私が開発した高価な義体の見た目は三十代半ばといった風貌ふうぼうだ」

アスコが真横を指さすと、娼婦に酒をおごっている見目だけはいいスーツの男が映る。

「星間戦争が終わりを迎えた今では兵器開発業などすたれる一方だ。これから平和な世になる。平和な世界に兵器は必要ない。今後必要になるのは兵士たちの引退後を支える、義体らしからぬ義体だ。息子にも娘にもそう言ったはずなんだがね。彼らは今の栄光が永遠に続くと思っている」

アスコは息子の残念な姿を手で払って消すと、ミケルへ向かって頭を下げる。

「どうか愛娘まなむすめを、よろしく頼む。次のメッセージは自力で解くか、ヘメラにヒントをもらってくれ」

アスコは困ったように口の片端を持ち上げると去り際にミケルを見た。

「自分で基準を決めたくせに、ヘメラが誰かの嫁になると思うと複雑な気持ちだな」

 ミケルは終始呆然ぼうぜんとしていたが、最後の言葉には思わず突っ込むしかなかった。

「ロリコンじゃねえし……」

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