第2話『小都市タラゴール(前)』
それは近代都市の一角で忘れ去られた小さな繁華街の中にひっそりと
キャリーバッグを押して開けっぱなしのドアをくぐると、宿の店員らしき初老の女性はカウンターの内側で腕を組んで古い型のテレビを見上げていた。
十二時となり、オルブライト社が新製品の発表を行っている。
「この
宿の女性は視界の端でミケルをとらえていたのだろう。親指でクイッと画面を指す。
「オルブライトの製品には世話になったよ。息子がね。おかげで死んじまった」
宿の
「部屋は二階だよ」
室内を見渡す。人が泊まるには最低限の、申し分ない広さと小綺麗さ。ベッドと寝台のミニテーブルしかない質素な部屋。常日頃、掃除はしっかり済ませているのだろう。こういう手狭な宿でネズミの足音がないところは珍しい。
チャラチャラした若者の服が気に食わなかったミケルは早速着替えに袖を通し、再び一階のカウンターへ向かった。
地味なTシャツとパンツをまとい、どう使うのかわからないほど大きなストールに悪戦苦闘していると、カレンがカウンターから出てきて体に巻くのを手伝ってくれる。
「この辺りで外に出るなら頭から太ももまでしっかり隠さないと駄目だよ。一日二回砂嵐が起きる。近くにできた
砂よけの上着、とのことだった。
ミケルはカレンにこの辺りに飲食店はあるか、と聞こうと思ったが先にカレンから朝食をとったか確認される。
「空きっ腹にカフィーは注いだ」
「晩の残りもんしかないよ」
カレンはそう言いつつカウンターの内側で冷蔵庫を開けバイオ合成食品を取り出す。
「受付兼宿泊客への簡易バーってところか」
「夜は飲み屋だよ」
「だろうな」
たとえ合成食品でもバターは高いだろうに、
「うめえ」
「合成の中でもマシなバター選んでるからね」
「なんだ」
「いや、支払いのメッセージにいかついのが行く、って書いてあったからどんな男が来るかと思ってたんだけど、いかついどころか可愛いじゃないか」
ミケルは
「好きでこの顔してねえ」
「訳ありなんだろう? うちを指定して一ヶ月分の支払いをしてくるあたり、余程だね」
自分の宿をわざわざ、と言う表現からミケルはこの宿が一般客向けではないことを感じ取った。
「普通の客は取らんのか」
「たまには取るよ。店の評価を程よく落としてくれる品のいい坊ちゃん嬢ちゃんをね」
「なるほど、
「息子が所属してた傭兵団に飯作ってたらそうなっちまったのさ」
食後の紅茶までもらい、ミケルがカウンターでゆっくりしていると次の客が現れた。今のミケルのように全身を
「部屋は二階だよ」
カレンから鍵を受け取った男はミケルをチラリと横目で確認し、階段を上がっていった。
「その綺麗な顔、さらして歩くんじゃないよ」
カレンから母親のように言いつけられ、ミケルはゴーグルとストールですっかり顔を隠して繁華街を歩く。道の端ではついこの前までの自分と似た姿の傭兵崩れが、工業用エタノールに味付けをしただけの違法な酒をあおっている。
あと五年はあの状態だったはずが、今や綺麗なおべべを着込んでいる。
「人生何があるかわからんな」
大通りへ出たミケルは先ほどの繁華街に影を落としていた大きなビル群を見上げた。
「ふん、金持ちどもが。見下してやがる」
その金持ちから五年分の生活費を恵まれたはずなのに胸がすく訳でもなく、ミケルはビルの最上階を
本当に組織の上に立つべき、下々へ
(いつか見てろよ)
特に予定もなく金だけはあり、しかし身を隠しているゆえに派手な金の使い方もできないとどうにもならないミケルは、兵士が集っている安くてうまそうな屋台を見つけて腰を下ろした。
四人分を置くのが精一杯な屋台のカウンターで屈強な男たちは五人でひしめき合う。黙々と合成食品から作られた食事をかき込む男たちの姿に安心して、ミケルも注文した焼き麺を口へ放り込んだ。
「ぐっ」
泥を食ったのかと勘違いするほどのあまりの不味さに驚いた。
食事は義体用の、消化用マイクロマシンが入っているいつものやつ。
さすがに店主の目の前で吐き出す訳にもいかず、ミケルは何とかして麺を頬の内側へ寄せる。
「オヤジ、ビールくれ」
これまた出てきた合成ビールも不味くて、ミケルの口内は大騒ぎだった。
何で、と考えていると義体は自ら宿主にメッセージを送ってくる。
『ヘルメス
(おい、そんなところまで最新鋭か!?)
カレンの食事は美味しく食べられたのに、とミケルは一時間ほど前を思い出す。
(そういや、
マイクロマシンを混ぜている様子はなかった。
目の前の食事とビールをどうしよう、と困っていると肩をぽんぽんと叩く手があった。
驚いてすぐとなりを見上げれば、この辺りではもはや当然の全身ストールにゴーグルの若者が「やあ」と片手を上げていた。宿で見かけた男とはまた別の、人懐っこい笑みが口元に浮かんでいる。
「こんなところにいたんだね兄弟。待ち合わせ場所にこないから迷ったんじゃないかと心配してたんだよ」
助け舟だと感じたミケルは立ち上がって兄弟に右手を差し出した。
「久しぶり」
相手の手を握った瞬間ミケルの脳に大量の情報が流れ込む。
この男はヘルメス
顔と年齢合ってなさすぎだろ、とミケルが兄弟の若々しい肌を食い入るように見つめるとヘルメス
「久々すぎて兄弟の顔も忘れたのかい」
「ああ、まあその……」
「さあほら、いつもの店で飲み直そう」
ヘルメス
「
それなりに値が張る店に入ったヘルメス
「……兄弟もあの女社長からそれを?」
「そう。とは言っても、私は先代に世話になった者でね」
オルブライト社の初代社長アスコ・オルブライトとヘルメス
「実際に売られたのは
「うん。私はその
「俺は宝探しだの謎解きだのには興味がない」
「何故? 楽しいのに」
実年齢が高いせいなのか元々
退役兵とは言っても、この男はおそらく部隊を仕切っていた側だ。そうでなければこんな悠々とした態度は取れない。
(義体開発者と付き合いがあった全球軍上層部の一人ってところか)
ヘルメス
「二回、四回、一回と押してご覧」
指示通り左のこめかみを数回クリックすると、義体情報が全て出てくる。
ウインドウで視界が埋まってしまい困っていると、ヘルメス
ロウソクを消すようにふーっと息を吹くと大量のウインドウはミケルの前方に散らばった。
「使い方は電脳とほぼ同じだ。より直感的だがね。兄弟は電脳化の経験は?」
「ない。生身にこだわってたからな」
「おや今時珍しい。でも外付けのサブ脳くらいは使っていただろう?」
「さすがにな。やたら高かったのに壊れるのは早かった」
「我らの麗しき姫君
「何だって?」
「君が使ってたサブ電脳はオルブライトくんが他社の子会社にいた頃に手がけたアンティークなのさ。作りを知っているし、互換性もあった。ゆえに君は助かった」
「は、都合がいいと思ったらそう言うことか」
ミケルは己にしか見えないウインドウを指でつまむと手元に引き寄せる。型番にはHermēs01 ver.1.617と記されている。
「説明書もよく読んでおくといい。あと、オルブライトくんは謎解きやパズルが好きなタイプでね。慣れておくとのちのち便利になるよ」
これは
差し出されるまま指でつまもうとしたミケルは、指で触れた途端溶けてなくなった立方体を見て目を丸くした。
「どこいった?」
「今みたいに、兄弟間でしか成り立たない情報の渡し方もある。今のはそのレクチャーも兼ねて、君の
ただし今ここでは読まないように、とヘルメス
「少し早いけど長めの夕食といこう。
工業用エタノールではない本物のアルコールで乾きを
「少し君の時間を借りるよ」
02《ゼロツー》の短い音声メッセージと共に再生されたのは、ヘメラの赤ん坊時代から始まるホームビデオだった。
(どんなご大層な情報かと思えば)
よちよち歩きからしっかり立つようになり、七歳になる頃には海へ遊びに行って水着姿ではしゃぐ女児。幼いヘメラは己が知る暗く重たい表情など見る影もなく、無邪気に笑う。
同じく七歳の頃、ヘメラはその頭脳の
数時間後ヘメラの元へ撮影者が戻ると、彼女は小さな部品から自力で歩くアンドロイドを組み上げてしまっていた。
「ヘメラは器用だなぁ」
珍しく撮影者の声が入る。彼のやや年老いた手が伸びて少女の髪をさらりと撫でると、ミケルにもその感触が伝わってきた。
違和感を覚え、
ただのホームビデオだと思ったそれに感覚が
これは記録ではない。思い出だ。
誰の、なんてわかり切ったことだ。ヘメラが心を許した身内は彼女の父だけ。
「友人は君へ上手く渡してくれたようだ」
頭の中に自分のものではない声が響く。その老人は白衣姿でふっと視界に現れた。背を向けていて表情はうかがい知れないが、まとう雰囲気はどことなくヘメラに似ている。
「金稼ぎに
アスコ・オルブライトは振り返った。
男は老いてはいるが、頭の良さと観察力の高さがにじむ鋭い目をしていた。
「発表では
それから、とアスコは人差し指を立てる。
「君にこれを渡しておく」
アスコの手の平に白と灰色で構成された4×4×4の立方体パズルが現れる。彼はそれをこちらへ投げて寄越した。ミケルが慌てて胸に飛び込んできた立方体を掴むと、アスコは口の端を持ち上げる。
「一面を揃えるごとに次の情報が出る仕組みにした。暇つぶしに
02《ゼロツー》が言う通りパズル好きは本当のようだ。
しかしミケルはやってられるか、とキューブを背後へ放る。
「ふむ、パズルが苦手な性格も想定はしていた」
アスコ・オルブライトの幻影はヘルメス
「では最初の一面は
アスコが真横を指さすと、娼婦に酒を
「星間戦争が終わりを迎えた今では兵器開発業など
アスコは息子の残念な姿を手で払って消すと、ミケルへ向かって頭を下げる。
「どうか
アスコは困ったように口の片端を持ち上げると去り際にミケルを見た。
「自分で基準を決めたくせに、ヘメラが誰かの嫁になると思うと複雑な気持ちだな」
ミケルは終始
「ロリコンじゃねえし……」
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