【長編】ヘルメスシリーズ

ふろたん/月海 香

第一幕

第1話『ヘルメス01』

 出会いの場は暴力に満ちていた。若い乙女がリムジンを降りた途端、彼女を連れ去らんとする数人のやとわれ兵士。道端で安い工業用アルコールを飲んでいたミケルは反射的にその間に割って入った。

本来はメンテナンスに行くはずだった昨日。己の生命活動を支えている人工内臓の破裂はれつと共に、脳内にけたたましい警告音が響き渡る。

「人工腎臓に致命的な損傷を確認。ただちに医療機関へ--」

そんなこと言われずともわかっている。

相手の傭兵たちは邪魔が入ればその場で排除するよう命令されているのだろう。

警報を切り、脳には己の思考だけが残る。

いくら電脳化が便利な世の中でも、最後に物を言うのは生身の肉体だ。

神経からの情報に集中しながら、あと二、三秒で何ができるか考える。

相手は五人。とっさに動けるのはまだ残っている右腕、左足。

 すぐ動いた右腕で若い乙女の頭をつかみ、再び車内へ押し込める。浮いた左足で傭兵の脇腹を蹴り上げる。相手はプロテクターを服の下に仕込んでいたらしい。残りわずかな骨と筋肉が悲鳴を上げた。

 それで、運転手が気を利かせてすぐそこから車を発進させてくれたらと思った。しかし運転手は新人なのかチビってしまったのか、丸々二秒を無駄にする。

「早く出せ!」

ミケルの叫びで我に返った運転手はガッとアクセルを踏む。

 あとはその場に残って傭兵の相手を、そう思ったミケルはふいに首にかかった細い腕に気を取られた。己がリムジンに押し込めた乙女が、目をつぶったまま自分を抱きしめていた。ミケルは発進とともになすすべなく車内に引きずり込まれた。


 それがつい二分前のこと。

ミケルは乙女の膝枕を受けながら荒い息をしていた。

脳内では再びけたたましい警報が鳴っている。今度は切るに切れない最終警告の部類だ。

「すぐ病院へ……いや本社だ! 引き返せ!」

「しかし社長!」

緊迫きんぱくした車内にもかかわらず、ミケルは心静かに乙女の顔を見上げていた。

(綺麗だな)

義体化が進んだ今時いまどきは、生まれの容姿などあってないようなもの。それでも天然ものの、生来の美しさを持つ人間はいる。

乙女は顔や体に義体をほとんど仕込んでいなかった。首に残った皮膚と筋肉が感覚でそれを伝えてくる。

明るい栗毛の髪はつややかで、深い蒼色の瞳に引き込まれる。

「着くまで目を閉じるなよ! いいな!?」

ミケルはへらりと笑った。笑ったところで、ヘルメットのモニターには警告マークがびっしり並んでいるだけだっただろうけど。




 死んだだろうな、と思った。だがミケルの予想に反して彼のまぶたは再び持ち上がった。

見慣れない天井。小説にはありがちな描写。

だが見慣れないものは見慣れない。野戦病院の汚い天井はいくらでも見てきたが、体よりも大きなモニター付きのやたらに綺麗で広い天井には馴染みがない。

モニターには己のものであろう人型のシルエットに、バイタルが表示されていた。己の覚醒を検知したモニターは即座に表示を切り替え、絵に描いたようなもこもこした雲が流れる青空を映す。

 体を起こそうとするも、ずっしりと重い。己にはまだこの体を操る権利がないようだった。

 数分して、先ほど出会ったばかりの栗毛の乙女が姿を現す。彼女の表情は頭上の晴れやかさとは真逆で、重たくくもっていた。

「起きたな」

ミケルはくるくると目玉を動かす。

病院着を着ていて、いかつい機械が己を見張っている。びっしりと敷かれた管は己の背中と直結しているようだった。

「動けるようにしてやる。だが、今すぐ動けるとは思わないほうがいい。その義体は特別製だ」

いよいよ全身義体になってしまったのか、とミケルは溜め息をついた。

元々、任務がたたって数回のメンテナンスではどうにもならないところまで損傷が進んでいた。次の義体を買うためには金が足りない。任務を受けるためには体がガタガタ、と堂々巡りの状態だった。小金を貯めながら五年以内に手足を一つ買い替えられればいいほう、と思っていた。

 やたらと繋げられた管が一つ一つ取り除かれ、そのたびに肌のこそばゆさが消える。義体なのだから皮膚の感覚などあるはずもないのに、とミケルがぼんやり考えていると最後の一本が取り除かれた。乙女の白く細長い指が己のこめかみに触れる。

「生命維持オートモードを解除」

急にガチャン、とコックピットに座らされたような感覚だった。

体を操縦できるようになり、ミケルは十本の指を動かしてみる。

思考に滑らかについてくる挙動。つるつると動く指の感覚が楽しい。

足の指も動かしてみる。曲げたり伸ばしたり。足首と手首もくるくると回してみて、大丈夫そうだと判断した彼は腹に力を入れてみた。

重たさはあるが、上半身はなんとか持ち上がった。

「……まるで全身義体が初めてではないような動きだな」

 乙女の声を聞きながらミケルは真正面の姿見でいまの体を確認した。

そこにはプラチナブロンドの髪と瞳の、幼い印象を与える中性的な美男がぽかんとこちらを見ていた。

「ほお」

思わず感心してしまった。

普通、義体ならば“部分”だろうが“全身”だろうが義体らしい、どことなく機械っぽさが残るはずである。ところがこの義体の開発者はよほど腕がいいのか、一見義体の繋ぎ目に相当する部分が見当たらない。

「まるで生身だな」

 ミケルは顔をかたむけて美しい顔を観察する。が己だとは到底とうてい思えないが、乗り換えた義体なんてそんなものだろう。

「声の調整はどこでする? これじゃガキの声だ」

「……左側のこめかみが肉体情報、右のこめかみが通信情報だ」

「てことは電脳か」

 フル電脳化だけは避けていたのに、とミケルは左のこめかみを押し込んだ。ありがたい初心者への長ったらしい説明は全部スキップして、声の調整項目に辿り着くとミケルはああ、あ、と声を出しながら音程を低くする。

「やたら腹に響くいい声なのが気に食わねえが、まあよしとしよう」

 ミケルはベッドを降りようとしたが、栗毛の乙女がそばにあった椅子を引き寄せて己と対面するように腰を下ろしてしまったので、仕方なくそのまま彼女を見つめる。

 若く美しい乙女はまだ実年齢のままなのだろう。いや、それともとうに歳を食っていて、見た目だけやたらと若い今時の金持ちなのか。

「その義体はヘルメス01ゼロワンという。開発したのは私と、先代の社長アスコ・オルブライトだ。私はヘメラ・オルブライト。名を同じくするオルブライト社の二代目社長だ」

 オルブライトと言えば星間戦争の末期に傭兵用の義体で名を大きくした企業だ。一代で財を築いたアスコ・オルブライトは先月亡くなったと、街中の大画面から動画サービスの広告枠まで全てが大騒ぎをしていた。

「ほー、あのオルブライト。嬢ちゃんが」

「嬢ちゃんはやめろ。あなたの脳だが、生身のままだ。電脳化はしていない」

「全身義体が生の脳で動かせるかよ」

「言ったろう。その義体は特別製だと」

 腕を出せと言われ、ミケルはまだ重い右腕をヘメラへ差し出す。彼女の髪と同じ栗色のまつ毛に気を取られたミケルは、取り出されたまち針に気付かなかった。

「いって!」

反射的に手を引っ込め、ミケルは目を大きく見開く。

見開いたのは痛かったからではない。電脳でもないのにこの反応速度は速すぎる。まるで生身のようだ。

「特別製だと言ったのは、の肉体が一部でも残っていればその神経情報を拾えるという意味だ」

ミケルの脳に血が駆け巡る。義体であるはずの心臓から送られてくる血液は、いったい何色なのだろうか。

「それはヘルメスシリーズ。我が社の新商品であり、先代社長アスコが残した遺品いひんだ」




 話を聞き終えたミケルはベッドに横たわり、指先に巻かれた絆創膏ばんそうこうをかかげて見上げていた。

「その義体は今時の金持ちどもが乱用している、最新のバイオテクノロジーを使った義体とほぼ同スペックだ。いや、彼らが使っているものよりもさらに精錬されている。先代と私が、退役軍人たちの第二の人生のために開発した。まあ、兄弟からはよく思われていないのだが」

 つまり、ヘルメスシリーズと呼ばれるこの全身義体は義体でありながら生身の人間に近しい機能を有している。その最たる特徴は免疫機能をはじめとする自己管理修復機能だ。

 ヘメラは義体の概要を伝えると頭を下げた。いくら命の恩人を救うためだったとは言え、本人の同意なしに全身義体化の手術を行なってしまったと。おびに五年分の生活費を融通ゆうずうするので数時間待ってほしいと。

 彼女はそのまま大扉の向こうへ消えた。廊下を歩いていった様子はない。どうもこの部屋は若き社長たるヘメラの私生活スペースに存在しているらしい。

あの口振りからして、ヘメラは兄弟に信頼を置いていない。先代社長の遺品いひんだからか己の開発品だからか、奥の部屋に大切にしまい込んでいたとそういうことなのだろう。

 絆創膏ばんそうこうが巻かれた右手を頭上に放り投げるとベッドの上スペースでごつんと音が鳴る。痛くはないが落下と圧を感じた。

(生身に近いが生身じゃあない。電脳じゃなくても動かせるが義体は義体。難しいところだな)




 ミケルは気付けば意識を失っており、再び目覚めた時には先の襲撃しゅうげきから十日が経っていた。

ヘメラが言うには本来、全身の義体化はだんだん生身の量を減らしながらパーツごとに慣らすのが当たり前で、急激に行うと電脳がバグを起こし最悪死に至るそうだ。ミケルが脳だけを残してヘルメス01ゼロワンだけでも奇跡的らしいし、目覚めて数秒で体を動かせたことはもはや驚きを通り越して呆れたと。

詰まるところ、気を失ったのは後遺症のようなものだと彼女は結論づけた。

 ミケルはベッドに横たわったまま、右のこめかみを押して様々な情報を確認していた。何とこの義体、電脳ではないはずなのにネットと直結しており小型端末不要で通信ができる。会員登録が必要な動画すら見放題だ。

(実際にはいくらなんだか)

家を一軒、いやマンションを一棟ひとむね都心に買うのと同じくらいかかりそうだ。むしろマンションのほうが安いだろう。

 動画を垂れ流しにして暇を潰していたところへ、ヘメラが姿を見せる。再び目覚めてから四日。一日二回、ヘメラは自ら食事を運んでくれた。いわく、誰も信用ならないからだとか。

「調子はどうだ」

 ミケルは彼女がかたわらの椅子へ腰を下ろすと同時に起き上がり、トレーごと食事を受け取る。好き嫌いせず満遍まんべんなく食え、とヘメラはやたらと生鮮野菜を煮込んで持ってくる。今朝は玉ねぎが溶けるまで煮込んだコンソメスープだった。

 柔らかいパンとスープだけという、病院食よりもさらに質素な食事にも慣れてきた。

「そろそろ肉が食いてえところだ。体が軽すぎる」

食事への不満もつのっていたところ。その愚痴ぐちを待っていたと言わんばかりにヘメラはチケットを取り出した。

「何だそりゃ」

「行き先はヨースロ空港だ」

 手渡された飛行機のチケットを見つめるとご丁寧に文字が浮かび上がってくる。出発は今夜。昼までには現地へ着くらしい。

「ほー、命の恩人を地方へほっぽり出すと?」

「いつまでもあなたをここへ閉じ込めている訳にはいかない。いずれ兄弟にはヘルメス01ゼロワンが覚醒したとバレてしまう。ならばバレる前に人混みへ隠したほうが無難だ」

ミケルはなるほど、とチケットをかたわらに置いて食事に集中する。

「よほど兄弟ってのが信用ならんらしい」

「……兄も姉も金もうけしか考えていない。根っからの研究者で開発者だった父とは、相入れなかったようだ」

「ふーん」

お嬢ちゃんのお家事情なんぞどうでもいいが、と内心思いながらミケルはスープを飲み干した。

「食休みをしたらさっそく準備に取り掛かってくれ。執事しつじが手伝う。彼だけは信用していい」

「どうもご丁寧に」

 ヘメラは巻き込んでごめんなさい、と年相応の声とともに深く頭を下げて部屋を出て行った。家一軒タダでもらったようなものだがらいいのに、とミケラは肩をすくめた。




 ダボついた上着に目深くかぶったキャップ。今時の若者らしい格好に加え顔にタトゥーシールまで貼ったミケルは本当にこれが俺か? と空港で大きな鏡をにらんだ。

 空港に着くやいなや最新のタイトな燕尾服えんびふくに身を包んだ執事しつじから封筒を手渡されたミケルは、その真っ白な表面を観察しながらキャリーバックを押して歩く。

すみやかに開封するようにと念を押されたものの、兵士としては周りに人がいる状態で重要そうな封筒を開けるわけにはいかない。ミケルは仕方ない、と一旦トイレへ引っ込んだ。

 ありがたいことにトイレの中では派手な女を連れ込んだ男が一発かましており、ミケルはその物音に乗じて個室の中で封筒を開封する。

一見、からにも見えた真っ白な封筒は開き切ると電子情報を吐き出した。この義体でなければ読み取れないようになっていたのだろう。右のこめかみを押すと使い込んだアカウントに差出人不明のメールが三件表示される。

(飛行機の中で暇つぶしに読むか……)


 執事しつじの直筆であろう手紙はコピーガードがかけられた上に文字起こしすらされていなかった。ミケルはAIではなく人間が読む前提で寄越された画像に刻まれた文字を追う。

 ヘメラは七十歳を過ぎた先代社長アスコが、息子と娘が金儲かねもうけしか考えていないと辟易へきえきした結果、後妻を迎えてもうけた末の娘であること。ヘメラと一番折り合いが悪い兄弟は上から二番目の、長男レッドレイクであること。そしてヘメラ自身も知らない秘密が彼女にはあること。それを知る権利はヘルメス01ゼロワン搭乗者とうじょうしゃにしかないことがつづってあった。

「めんどくせえ……」

ヘメラが深々と頭をさげたことに納得がいった。もはや人様のお家騒動では済まない。オルブライト家の諸事情はヘルメス01ゼロワンとなったミケルについて回るのだ。

「くそ、十年分くらい生活費たかるんだった」

ミケルはやり場のない気持ちを、ファーストクラス専用の高級なワインと共に飲み込んだ。




 何事もなく空港へ降り立ったミケルは、保安検査官がちんたらと乗客の荷物を開ける様子をながめながら大きな口であくびをした。

「やたらと検問が厳しいな」

「テロ対策だろ? 最近治安終わってるしな」

 目の前で話す今時の若者たちに隠れながらミケルは今朝方のニュースを閲覧する。

「速報です。オルブライト社が新製品を十二時に発表すると各報道へ発表しました。当局の調べではこの新製品はワールド義体コレクションにて存在を匂わされていた……」

ヘルメス01ゼロワンが世に放たれたからこその発表なのか、ミケルの事情などお構いなしにヘメラの兄弟が急かしたからなのか。己が想像するにはおこがましいほど、彼女へメラには逃げ場がないような気がする。

 ニュースと考えに気を取られていたミケルは自分の順番が来ていたことに気付かずぼんやりとたたずんでいた。

前にいた若者たちがとっさに自分たちの仲間だ、と肩を組みようやくミケルは顔を上げた。

「はいはい、荷物は一人一人検査だから」

保安検査官はミケルの態度を特に怪しむ様子もなくキャリーバッグを広げ、仲間だといった若者たちのバッグとは大違いの質素な荷物に驚いた。

「着替えしかないなんて、本当に遊びに行くのか?」

「あー、こいつ俺たちのおもちゃ目当てだから」

「まあ、これだけ友だちの持ち物がガチャガチャしてればそうなるか。通ってよし」


 若者たちの機転で注目を逃れたミケルは、お礼にと空港の中でしばらく彼らと連れ立って歩いて、カフィーと軽食をおごってやった。

「で、何やってんの?」

 飲み物をすすりながら問うた若者たちの目は好奇心に満ちていた。

「何って?」

「隠すなよー、何の種類かって話」

ミケルは丸一秒考えて文脈を読み取った。

どうも、ぼうっとしていた原因を何かのドラッグだと思われたらしい。

にらみを返すと若者たちは口の端を引きつらせた。

「え、何? そういうやつじゃないの?」

「しつけのなってねえガキが」

「え、もしかしてもしかして結構なオジサン?」

「んだよー、金持ちか。助けて損した」

「よく回る舌だ。針と糸で壁にい付けたくなる」

ミケルはカフィーをあおって早々に席を立った。

「空港の敷地を出るまでは黙っててやる」

 物分かりのわるい若者たちはミケルの背中をぽかんとながめ、やがて空港のゲート付近で彼から情報を聞いた警備員に見つかるまでは、おごられたカフィーを楽しんでいた。

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