第25話 流行性の恋4

 レイは這々ほうほうていで唯一の安息の地、教会にたどり着いた。ここならば恋も黒歴史の精霊も手出しはできないはずだ。


 教会の庭にある、マルメロの木の下に据えられた白いペンキ塗りのベンチに、レイは腰掛けた。ぐったりとうなだれ、下を向いて両手で顔を覆った。


(……よりによって、こんなベタな展開に引っかかるなんて!! それに、何だかもういろいろ負けてて辛い……)


 数々のテンプレートのような恋のハプニングに一々反応してしまい、チョロすぎる自分が悔しい!! とレイは内心憤っていた。

 そして毎回、女子としていろいろと負けを突きつけられてきた。レイの心は乱れに乱れていた。



 ふと、地面を向いている自分の前に、誰かが立ち止まるのを感じた。


「大丈夫ですか?」


 レイは顔を上げた。


 見習いだろうか、白と青を基調とした教会の聖騎士の見習い服を着た少年が、そこには立っていた。緑色の目を心配そうに瞬かせて、レイをじっと覗き込んでいる。


 レイが顔を上げると、一瞬ハッと目を丸くしたが、気を取り直したように「具合が悪いのですか? ご家族は?」と矢継ぎ早に尋ねてきた。


「だ、大丈夫です。少し疲れたので休んでいただけです。もう少し休めば大丈夫ですから。心配してくださって、ありがとうございます」


 レイがにこりと微笑めば、少年は少しどぎまぎして頬を赤らめた。


「アレクシスー!」


 目の前の少年が、声がした方を振り返った。

 彼と同じ制服を着た少年たちが、手を振っている。


「もし何かありましたら、教会の者に気兼ねなく仰ってください。何かしら力になれるかと」


 アレクシスと呼ばれた少年は、レイに振り向き、片手を胸に当て、真摯に言ってくれた。


「ありがとうございます。もう少しだけ、ここで休ませていただきますね……えっと、お友達が呼んでるようですが……」

「ああ、大丈夫ですよ。それでは、失礼します」


 にこりとアレクシス少年は微笑むと、仲間の聖騎士見習いの元へ駆けて行った。


 レイはぼーっとその背中を見ていた。



***



「あ、あの小僧!」


 フェリクスが、ウィルフレッドが飛び出さないよう服を掴んでいる。


 ここは教会の庭が覗ける路地裏だ。


 フェリクスはじーっとレイたちの方を見つめて、考え事をしていた。


「フェリクス、カルロが心配じゃないのか!?」


 保護者たちは、カルロ——ことレイの活躍をバッチリと遠くから見ていた。

 ここにきて、まさかの少年からの接触である。保護者ウィルフレッドは、気が気では無かった。


「あの少年はレイから離れたようだし、大丈夫だよ。それに、教会の聖騎士見習いの子だよね。悪夢のC型には罹ってないはずだ」


 同じく保護者フェリクスは、何やら落ち着いていた。


 その時、ミランダから再度、通信の魔道具に連絡がきた。青い魔道具がぴかぴかと光っている。


 フェリクスは防音結界を展開し、応答した。


「どうしたんだい? ミランダ?」


『奴らの居場所を見つけたわ。これから捕縛するから、来てちょうだい』


 フェリクスは、ウィルフレッドを掴んだまま転移した。



***



 その頃、恋と黒歴史の精霊は、レイの打ちひしがれる姿を見て、ハイタッチを決めていた。


「「やったー!!」」

「直接行くんじゃなくて、罹患した者を差し向けて正解だったな」

「見た? あの子のあの打ちひしがれた顔! 今回は私たちの勝利ね!!」


 恋と黒歴史の精霊は、ルルコスタの港町から離れた海辺の崖の上にいた。

 レイの様子は、遠見の水晶から見ていたようで、数々の恋のハプニングが成功して大盛り上がりである。


「そうでもないわよ」


 ミランダの声とともに、ボンッと魔術陣が展開され、恋の精霊の周りをグレー色の輪が幾重にも巡り、きゅっと彼女の両腕と胴体を締め上げた。


「きゃーっ!! 黒歴史、逃げて!!」


 黒歴史の精霊はかろうじて捕縛の魔道具は避けたが、気づけば、ウィルフレッドにローブの首裏を掴まれていた。


「はーなーせーっ!!!」

「ほら、暴れないの」


 じたばたと最後の抵抗をする黒歴史の精霊をなだめるように、ウィルフレッドは言った。


 その時、暴れた勢いで黒歴史の精霊の黒いローブのフードが、ふぁさっと脱げた。

 黒歴史の精霊の顔を見た恋の精霊から、ボンッと破裂するような音がし、湯気が上がった。


 黒歴史の精霊はとてもイケメンだった。

 スッと通った鼻筋に、形の良い唇。怒りをしたためた二重の黒い瞳は黒曜石のように煌めき、さらさらの黒髪の間にちらちらと見え隠れしている。


 フードも脱げ、両手を後ろ手に固定された黒歴史の精霊は、「クソッ」と吐き捨てるように言って、大人しくなった。


 連行されている間、恋の精霊は非常に大人しく、半分放心状態だった。顔を真っ赤にした彼女は「……ギャップ萌え……」と小さく呟いている。

 逆に黒歴史の精霊はずっと不貞腐れていた。一言も喋らずに、移動させようとしても、梃子でも動くもんか! と拙い抵抗を続けていた。


 二人は悪夢のC型の流行が収まるまで、しばらく隔離されることとなる。

 フェリクスの転移魔術で、二人は強制的にユグドラへと送られていった。



***



「お疲れさまです……」

「お疲れさま。レイ、大丈夫?」


 恋と黒歴史の精霊が無事に捕縛された後、ルルコスタの町外れに四人は集合した。


 再会したレイは、くたびれていた。

 なぜか彼女のズボンのポケットが、パツンパツンに膨れ上がっている。


「……これ、どうしましょう? 落とし物を預けるような場所ってないんでしょうか?」


 落とし物のハンカチをポケットから大量に出してきたレイに、三人は目をぱちくりとさせた。


「これ、どうしたの?」


 ウィルフレッドが呆れながら確認してきた。


「街でぶつかった女の子たちが落としていったハンカチです。返してあげたいとは思うのですが、どこにいるかも分からないですし、量も多すぎて、もはやどのハンカチがどの子の物かも分からなくて……」


 眉毛を八の字にして、しょぼくれたレイがそう説明した。


「一応、教会の落とし物処に届けておこうか」


 フェリクスがサッとハンカチを受け取ると、転移させた。


 そんな適当で良いのかとレイは目を丸くしたが、今日は相当疲れていたので、疑問を口にする余裕は無かった。



「折角だからルルコスタで夕飯を食べてから帰るか。あと、時間的にルルコスタの夕日が見れるな。穴場スポットがあるからそこに行くか」


 ウィルフレッドの提案に、他のメンバーはこくりと頷いた。


「レイ、疲れてるみたいだから抱っこしようか?」


 フェリクスが優しく尋ねた。

 普段なら年齢的に遠慮したいレイだが、今日はもうそんな余裕が無いので、お言葉に甘えることにした。


 フェリクスがレイを抱っこすると、ウィルフレッドが転移魔術を展開した。



 ルルコスタの街並みと海が少し遠目から眺められる崖の上、レイたちは夕日が沈むのをじっと眺めて待っていた。他には誰もいなくて、貸し切り状態だ。


 崖の上を吹く風が、夜のひんやりとした気配をはらみ始めた。

 少しずつ夕日が沈んでいき、海と港町の白い壁も、赤い夕日色に染まっていく。


「わあ! 綺麗!」


 絵画のように夕日色に染まっていく絶景に、レイは少し元気を取り戻した。


 夕日が沈み切り、その残光が水平線から空へ向けて赤からオレンジ、黄色、緑、濃い青色のグラデーションになって、世界を静かに夜へといざなっている。

 ちらほらと港町に魔道電灯が灯り始め、オレンジ色の点々とした光が、ルルコスタを幻想的に彩り始めた。


「本当に綺麗で素敵ね」

「天気も良かったし、普段はここまで綺麗なのはなかなか見れないぞ」


(リリスの加護のおかげかな)


 レイはこんなに素敵な景色を見せてくれるなんて、とリリスの加護に感謝した。



 夕食はフェリクスおすすめの店になった。


 店の前の立て看板には、大きなロブスターの人形が豪快に載っていた。

 バルのカウンターと、丸テーブルの店内テーブル席とテラス席があり、大きな窓は広く開け放たれていて開放的だ。テラス席の先には夜の海が見え、ザザーンという波の音も聞こえてくる。丸テーブルの真ん中には、キャンドルが灯されていて、雰囲気も抜群だ。


 大人たちはワインやエールで、レイはオレンジジュースで乾杯した。

 地元で本日採れた魚介がふんだんに使われた、日替わりのアクアパッツァやパスタが人気メニューで、本日の食材はタイとムール貝だった。


 レイたちは、蕪とイワシのマリネと一緒に、日替わりのアクアパッツァとパスタも注文した。アクアパッツァはミニトマトや黒オリーブ、パセリが彩りを添え、ムール貝のパスタはもちもちした生パスタに濃厚なクリームソースで、たっぷりの粉チーズがかかっている。

 お店の看板にも使われているジャイアントロブスターの蒸し焼きもこの店の定番メニューで、早速レイたちも頼んではふはふと頬張った。


 どの料理も絶妙に美味しく、レイは今日一日頑張って良かったと心から思った。


 食後にレモンのソルベを頼んで、一同は一息ついた。


「今日は本っっっ当に疲れました! いつもこんな感じなんですか?」

「私の時はそんなことは無かったわ。恋も黒歴史も前回のことを反省して、対策を立ててきたみたいなの」

「うう……そんな傍迷惑な……」


 レイはやけ食い気味にソルベを頬張った。


「恋も黒歴史もなんだかんだ言って楽しんでたみたいだな」

「ああ、人間の恋は特に楽しいみたいだね」


 フェリクスはさりげなく自分のソルベの半分を、レイのお皿に移してくれた。


「そうなのよ。恋も黒歴史も、人間の恋の方がバリエーション豊富だし、ハプニングも多くて面白いみたいで、他の種族の管理者だと反応してくれないのよ……だからいつも三大魔女の新人の役目なの」


 だからごめんね、とミランダはレイにウィンクしてきた。


(……え、新人が入ってこない限りは私が毎回これやるの? 数十年後にも、ずっと大人になった私がこれやるの……?)


 最悪の展開を想像したレイは固まり、スプーンに乗ったソルベがぽとりとテーブルの上に落ちた。


 レイは真っ白に燃え尽きた。



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