第22話 流行性の恋1
この世界には流行性の恋がある。
毎年春から夏にかけて、恋の精霊が世界中を飛び回り「恋する気持ち」を振りまくのだ。その影響で、生き物たちに恋の季節が訪れる。
種族の繁栄は大事である。
だが、それが時には度を越すことがある。そうなると、場合によっては管理者の出番である。
ユグドラの樹、中層階の会議室に集められたのは、フェリクス、ウィルフレッド、ミランダ、レイだ。使い魔の琥珀は、今回の任務には適さないためお留守番だ。
今回の任務の指揮はミランダで、レイはアシスタントだ。
ミランダが流行性の恋について、丁寧に説明してくれた。
「流行性の恋には三種類あるの。アテリスA型、ミノツィアB型、ロマニアC型の三種類。そのうち、今回はロマニアC型——別名、悪夢のC型よ」
レイは初めての管理者の仕事に、緊張の面持ちで聞いている。
フェリクスとウィルフレッドも、神妙な顔で身じろぎもせずに話を聞いている。
アテリスA型は数年に一度、局所的に発生する。
アテリスA型は非常に激しい恋で、大抵は一目惚れで激しい恋に落ち、三〜七日症状が続く。快復後は急速に目が覚め「なんであんな奴、好きになったのかしら」と疑問に思うことが多い。アップダウンの激しい恋である。
症状は激しいが、当人たち以外にはほとんど影響がなく、いちいち管理者が間に入って解決するような案件でもないため、放っておかれる。
著者を手ひどく振ったアニーの恋を暴露した本の舞台が港町アテリスで、名称の由来である。
アテリスA型の恋の影響で、アニーに激しく迫られ、たった数日のうちに婚約まで押し切られたが、快復後手酷くフラれ、いろいろ揉めた著者の悲劇の実話を暴露した本である。
「結局は当人たちの問題だしね。そんな所に首を突っ込むほど、管理者は暇でもないし、野暮でもないわ」
「アニーさんも恋の精霊の影響とはいえ、とんでもない奴に恋してしまいましたね」
ミランダとレイは、それぞれの所感を述べた。
ミノツィアB型はほぼ毎年発生する。
アテリスA型に比べると、その症状は穏やかである。三〜十日症状が続く。症状も穏やかで特に影響はないため、管理者たちもスルーである。
こちらはミノツィアB型を拗らせ毎年のように罹患し、毎年同じ女性に恋するものの、結局その想いを伝えられずに別の男性と結婚されてしまった有名劇作家ブルースの自伝的エッセイが由来だ。ミノツィアは彼が生まれ育った場所だ。
穏やかな恋も良いが、結局押すべき時に押さなければ恋は叶わない、という戒めも含んでいる。
「今ではブルースは恋愛劇作家の王と呼ばれているわ。彼にとってはミノツィアB型の恋は無駄ではなかったんでしょうね」
ミランダが綺麗にまとめた。
ロマニアC型——別名「悪夢のC型」だ。
数十年に一度、大流行する。前回は七十年前だ。この恋には、恋の精霊だけでなく、黒歴史の精霊も絡んでくるのが厄介だ。黒歴史の精霊の影響で、通常ではあり得ないような言動をとってしまい、快復後に死にたくなるほど恥ずかしくなるのが特徴だ。恋のハプニングの多さも特徴だ。やはり十日程で症状は治る。
悪夢のC型は特に思春期の少年少女に猛威を奮い、一度罹るとそこで免疫がつくため、一生かからないと言われている。——研究者たちの間では、一度罹ったら、きっともう罹りたくないからだとも言われている。
悪夢のC型は流行後、毎回、自らを儚んで死を選ぶ者が増えるため、管理者としても要注意の恋だ。
こちらは人気ラブコメディ劇の舞台の地が由来だ。
主人公チャーリーが悪夢のC型に罹患し、次々に恋に落ち、また悪夢のC型に罹患したヒロインたちからも迫られる実話を元にしたドタバタ恋愛劇である。
「人間だけでなく、あらゆる生き物が悪夢のC型に罹る可能性があるんだ。家畜が自身の黒歴史を儚んで……なんてのもあったね。魔物たちもそうだ。人間は知恵があって行動のバリエーションも多いから目立つだけで、野生でもひっそりとそういうことが起きてるんだよね」
フェリクスが補足してくれた。
悪夢のC型大流行の年には、恋の精霊と黒歴史の精霊を捕まえて、流行が落ち着くまで隔離するのがセオリーだ。
なぜか慣例で、その時の新人三大魔女が、恋と黒歴史の精霊をおびき寄せる餌役に抜擢される。
ミランダの初仕事も悪夢のC型だった。
七十年前、新人ミランダが十二、三歳ぐらいに変身し、餌役となった。恋多きそうなミランダ嬢に即目を付けた恋の精霊はあえなく捕縛となった。
むしろ黒歴史の精霊の方が捕まえづらかったという。黒歴史の精霊捕縛時に、「リア充に興味はない、爆発しろ」と謎の暴言を吐かれたと、ミランダは回想した。
「管理者で、悪夢のC型がターゲットにしそうな世代の子っていないのよ。管理者ってすごく長生きで滅多に世代交代しないし、世代交代しても、思春期ぐらいの子ってほぼいないし。レイも今の体は思春期ぐらいだから気をつけてね。一応、三大魔女だから罹らないとは思うけど……念のために保護者も連れてきたわ」
「それで義父さんと師匠がいるんですね。一応、一度は成人を迎えてるのできっと大丈夫です」
(まさかこの年にもなって保護者同伴とは……精神的に辛い)
でも、ミランダはレイを心配してくれているのだ、保護者同伴の方が精神的に辛いとは言えないレイだった。
ミランダの説明を、フェリクスとウィルフレッドは静かに聞いていた。
レイの管理者としての初仕事に、義父フェリクスと師匠ウィルフレッドは心配でたまらなかった。
しかも通常のお仕事ではなく「流行性の恋」で「悪夢のC型」だ。どんな恋のハプニングがあり、自慢のむすめに毒牙が及ぶかも分からない。
おやじ共は互いにチラリと目線を見合わせ、小さく頷き合った。
互いの気持ちは一致した。
千年以上も一緒に仕事をしているのだ。
阿吽の呼吸だった。
「今回の作戦なんだが、レイには男装してもらった方がいいと思う」
ウィルフレッドが軽く挙手をし、真面目な顔で意見を述べた。
なぜ初仕事でいきなりやったこともない男装などと難易度を上げてくるのか、レイは信じられないという目でウィルフレッドを振り向いた。
「確かに、恋や黒歴史の精霊は、精神的に翻弄したり、ダメージを与えるタイプの精霊だからね。自衛手段として、あえて男装して性別を偽るのは有効だと思うよ」
フェリクスも厳かに頷いている。
なぜか男装案を後押しする義父を、「義父は優しくて頼り甲斐のある人」だと思っていたレイは、驚いて振り向いた。
レイは助けを求めてミランダを見た。
ミランダは目線で一言、「ごめん」と眉を下げて申し訳なさそうに謝ってきた。
その瞬間、レイはここに自分の味方はいないと悟った。
「…………そうですね…………」
レイは、初任務前から心が折れてしまった。
***
ここは港町ルルコスタ。
白い壁の民家群が、海沿いの丘の傾斜に立ち並び、青い海と青い空に映えている。
しっとりとした潮風が吹き、時間の流れがゆったりとしたここは、バカンスや観光に人気の土地だ。
そして、今回の悪夢のC型の大流行地でもある。
海が臨める崖沿いの白いベンチに、この観光の地に似つかわしくない全身黒いローブの人物が座っていた。
その人物の斜め前には、可愛らしいワンピース姿の女の子が立っている。
「ねぇ、黒歴史。今回の管理者側の餌は、純朴そうな男の子だったわ」
恋の精霊の肌は、白く透き通るようで、幼めの丸い顔の真ん中あたりには、チャームポイントのそばかすが散っている。ココアブラウンのぱっちりと大きな瞳には、少女漫画の主人公のように星が煌めいており、ミルクティ色のふんわりと巻かれた髪は、高めのツインテールにしている。
ルルコスタのバカンスにぴったりの膝丈の花柄ワンピースが、可憐だ。
黒歴史の精霊は長身で、真っ黒いローブを頭からすっぽりと深くかぶり、その顔は口元ぐらいしか見えない。この暑い中、ローブから、足元に見えるサンダルまで全てが真っ黒である。
「恋、君の好みのタイプじゃないのか?」
少しめんどくさそうに、黒歴史の精霊が答えた。
「ええ、でも前回はそれで飛び出して行ってすぐ捕まっちゃったもの……今回は間違えないわ!」
恋の精霊の瞳の中の星が燃え上がる。
「僕も、前回のリア充女は近づけもしなかったけど、今回なら行けそう……」
黒歴史の精霊も表情は分からないながらも、やる気は感じられる。
七十年前は、管理者側にしてやられてしまった。恋バナ大好きそうな年頃の少女という、恋の精霊の大好物を餌にした管理者側の勝利であった。黒歴史の精霊は、リア充そうな少女に手も足も出なかった。
恋と黒歴史の精霊は、前回の反省点を活かし、対策を立ててきている。
「「あの純朴そうな少年を、恋のハプニングの嵐に突き落としてやる!!」」
二人の気持ちは一致した。
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