第18話 フェリクス2
レイはフェリクスと手を繋いで、初めて人間の街に入った。
ここはセルバという、ユグドラに最も近い街だ。
煉瓦積みの家や店が多く、石畳が敷かれている。レイの元の世界の、ヨーロッパの街のような雰囲気だ。
一つ通りを入れば、市が立っており、木の棒に色とりどりの布がテント屋根のように掛けられ、みずみずしい野菜やフルーツ、肉や雑貨、その場で食べられるような揚げ物や菓子、飲み物など様々なものが、ごちゃごちゃと売られている。
売り子たちは声を張り上げ客寄せをし、客もたくさんいて活気に賑わっている。
人・人・人……人がいっぱいいる。元いた日本の方が圧倒的に人が多かったが、召喚されてからユグドラの街しか見ていなかったため、レイにとってはとても新鮮だった。
ユグドラにはあらゆる生き物がいる。妖精や精霊、エルフにドワーフに人型の魔物と、人間のように見えて人間でない者がばかりだ。却って人間自体はほぼいない。
セルバの街は、ほとんど人間しかいない。
(でもよく見ると、人間のように見えて人間っぽくない人もいるな……)
「レイ、ああいう者たちを見つめちゃダメだよ。人間とは限らないからね」
フェリクスが優しく注意してきた。
レイは少しぞくりとした。薄汚れた冒険者風のローブをまとった人物が、鋭くこちらを見ているのに気づいたのだ。
(さっき見た人が、こっちを見てる……)
「勘のいい子供だと思われたかな。ああいう者は時々、自分の正体を知られたら、危害を加えてくることがあるからね。見ても知らんぷりするんだよ」
フェリクスが小声で言った。
「はい……」
レイの顔が少し強張った。
「先に買い物を済ませちゃおうか」
フェリクスに促されて、レイたちはお店に向かった。
***
一軒目は文房具屋だ。
目抜通りにある淡いブラウン色の煉瓦のお店だ。木戸を開けると、カランコロンと呼び鐘が鳴った。
買い物リストには、「インク、紙」と書かれていて、細かく品番号まで指定されている。
魔力が強いユグドラでインクを作ると、魔力が入ったインクができあがる。魔力が入ったインクで文字を書くと、稀に魔術が発動してしまうことがあるらしい。紙も同じだ。ユグドラ産の紙には魔力が入っている。
以前、ユグドラ産のインクと紙でボーッと書き物をした者がいた。その書きつけた紙が、自ら脱走する事件が起こったのだ。書いていた内容は、魔術の構想メモだった。
書き手がかなりの魔術の使い手だったこともあり、約二時間程その紙はユグドラ内を逃げ回り、最終的には防御壁部隊の隊員数名に取り押さえられたそうだ。市街地に野生動物でも出たかのような大捕物だったそうだ。
その事件以降は、インクと紙をしっかり使い分け、魔術を発動させたくない内容のものは、ユグドラ外で作られたインクと紙を使用するよう徹底されている。
逆に魔術陣を描いたり、仕掛けのある魔術本を書きたい場合や、一回使い切りの魔術であるスクロールを作りたい時は、ユグドラ産のインクや紙が重宝されている。
「あちらでも作れなくはないんだけど、最近、この街の近くにいい工房がいくつかできてね。ここで買ってるんだ」
フェリクスが説明してくれた。
「お客さん、よくご存知ですね。隣町の工房が、腕のいいインクの妖精を顧問に迎えたみたいで、インクの質が上がって、種類も増えたんです」
恰幅の良い店主のおじさんが、笑顔で話しかけてきた。
「すみません、このリストに書かれているインクと紙をください」
レイが買い物リストを店主に見せた。
「おや、ウィルフレッドさんの字だね。お嬢ちゃん、おつかいかな? ……ふむ。在庫を見てくるね」
店主が、奥からインクと紙を持って来てくれた。
レイが買い物の練習で、紙幣と硬貨をいくつか財布から取り出し、店主にも一緒に見てもらって支払った。無事に買い物は完了だ。
レイは、インクと紙を空間魔術付きのリュックにしまった。
「ありがとうございます。またいらして下さい」
店主に笑顔で見送られ、フェリクスとレイは店を後にした。
二軒目は、この街の工房街にある手芸用の素材屋だ。
表には手芸素材を売る店舗があり、裏手には服を仕立てる工房がつながっている。店に入ると、「いらっしゃい!」と若い女性の店員が出て来た。
店員の女性と一緒に、レイは買い物リストを見た。白、黒、ネイビー、ベージュと、よく使う色の、繕い物用の糸の買い出しのようだ。
糸もユグドラで紡ぐと魔力入りになる。
ユグドラにある服や布製の防具類は、特殊効果や魔術が付与されているものが多く、糸に込められた魔力の質によっては反発して効果が半減したり、摩耗や劣化しやすくなる原因になってしまう。そういう場合には、却って何も魔力の付与されていない糸の方が繕いやすいのだ。
「これで全部になりますね」
レイは店員の女性に代金を渡し、品物をリュックに詰めた。ここでも無事に買い物完了だ。
買い物が済んだので、屋台で何か食べようということになった。
レイは楽しみすぎて、ぐいぐいとフェリクスと繋いだ手を引っ張っていく。
工房街を抜けて、市が立ち並ぶ通りに出た。
「あの串焼き、美味しそうです!」
じゅうじゅうと、タレと肉の焼ける匂いが食欲を刺激する。
「僕、鳥はちょっと……他の肉なら大丈夫だよ」
(あ、確かにそうだ。共食いになるのかな?)
「じゃあ、牛串にしましょう!」
先ほどの買い物で、お金のやり取りに慣れたレイは、硬貨二枚をさっと財布から出して、売り子のおじさんに渡した。おじさんは、その場で牛串をタレに浸し、二本新たに焼き始めた。
おじさんが焼いている間に、レイは隣の屋台で果実水を二つ注文した。
こってりの串を食べたら、さっぱりしたものが飲みたくなる。隣同士のお店にするなんて商売上手だ、とレイは思った。
焼き上がった牛串は、フェリクスが受け取ってくれていた。串の一本を、フェリクスがレイに渡してきた。
飲食スペースの椅子を確保し、二人で並んで食べた。
牛串は焼きたての熱々なので、ハフハフしながら美味しそうにレイは食べた。
それを微笑ましく見ながら、フェリクスが涼しげな顔で食べている。
スキル熱無効だ。フェニックスにとって、この程度の熱は問題ない。
二人が果実水を飲んで一息つくと、フェリクスが徐に口を開いた。
「ウィルがあんなに甲斐甲斐しく面倒見てるとは、思わなかったんだ。ここ最近は弟子をとってなかったし、後輩の面倒とかも、のらりくらりと躱してたからね。僕の能力で、彼が子供の世話をするのは知っていたんだ。でも実際は、僕が観た以上だった」
何が違ったのかな……フェリクスがレイを見つめて言ってきた。
レイも、フェリクスを見つめ返す。フェリクスの黄金の瞳の中で、小さな星がキラキラと煌めいている。
そのうちフェリクスはフッと微笑んで、「レイは面白いね」と言った。
「君は良くも悪くも、この世界に影響されない部分があるみたいだ。外から来た影響かな。この世界で生まれ育った者はどうしてもこの世界の影響を受けるし、この世界の枠組みからは出られないんだ。君はそこから外れることができる、稀有な存在みたいだね」
レイは何だか分かったような、分からなかったような感じで、ポカンとして聴いていた。
「つまり、君はこの世界に、今までにない新しい影響を与えられるみたいなんだ。世界はそれを君に期待してるみたいなんだ」
(……何とも漠然としている……)
レイは不思議な気持ちだった。
「お花を摘みに……」とレイは頭の整理も兼ねて、フェリクスの元を離れた。この世界でもそんな隠語が通じるようだ。
(……私がこの世界に来た意味、なのかな?)
フェリクスの言葉は、レイのことや、これからのことを見透かすような不思議な言葉だった。
レイがぼーっと考え事をしながら歩いていると、急にサッと黒い何かが顔の前面を覆った。
「!?」
レイが何か言葉を発する前に、ぐわんと急に担がれ、何が何だか分からないまま、どこかへ連れて行かれそうになった。
レイは暴れたが、手刀を喰らわされて意識が遠退いてしまった。
シェリー作のポニーテールは暴れて揉みくちゃになり、さらに崩れた。
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