第17話 フェリクス1
「そろそろ一回、レイも人間の街に行ってみるか」
ウィルフレッドから提案があった。
人間の街へ、はじめてのおつかいである。
ウィルフレッドは、最近ずっとレイに付きっきりだった。溜まりに溜まったユグドラの仕事を、レイがおつかいに出ている間に済ます予定だ。
レイが、一人でおつかいなんて大丈夫かなと考えていると、「フェリクスと一緒だから大丈夫」とウィルフレッドが言ってきた。
(……フェリクスさんって誰?)
レイは見知らぬ人物名に、小首を傾げた。
「三日後に、レイのおつかいの面倒を見てくれるように頼んでおいたから」
ウィルフレッドはにんまりと笑った。
***
今日のレイは、街歩きしやすい白のブラウスと黒のパンツ姿だ。ブラウンの編み上げブーツを履き、森林のように深い緑色の膝丈のローブを羽織っている。このローブは、リリスの形見分けでもらった品だ。散策しやすいように、お手伝いエルフのシェリーに、サイドに一筋編み込みを入れたポニーテールにしてもらった。
人間の街に行くので、他の人を怖がらせないために、琥珀はお留守番だ。
レイがウィルフレッドに会うと、彼は悪い笑顔をしていた。人間の街へ行くのに、彼の友人のフェニックスに乗せてくれるらしい。
レイは気づいている。ウィルフレッドは、エルフというイケメンの皮を被った中身おっさんである、と。子供に対しては、揶揄いたがりの構いたがりだ。
(こんな悪い笑顔をしてるんだから、絶対に何か裏があるはず……)
何かしらレイを驚かせたいのだろう。ここ最近はずっと一緒にいるのだ、そのぐらいレイには分かる。ただ、命までは取られないだろうということで、レイは静観している状態だ。
(黙っていればイケメンなのに勿体無い……)
レイは遠い目をした。
「レイ、今何か失礼なこと考えてなかったか?」
ウィルフレッドの問いに、レイは何でもない風を装って首を横に振った。
レイの予想は、良い方向に裏切られた。
ユグドラの樹のバルコニースペースに、ウィルフレッドの友人——フェニックスが舞い降りた。
レイが今まで見てきた鳥の中で、最も美しくて幻想的だった。
幻覚のように黄色〜オレンジ〜ピンク〜赤色の炎が、オーロラのように揺蕩っては羽や尾羽に灯っている。この炎は、フェニックスに認められた者なら触っても熱くなく、火傷もしない。そうでない者は、一瞬で灰になってしまう。
羽自体は白銀色だ。翼や尾羽の先にいくほど透明感を増し、炎と相俟って、この世の物でなさに拍車をかけている。
白磁のように白い嘴も足も鋭い爪も、すらりと長い首も頭の羽飾りも、白孔雀のような長い尾羽も、全てが見事で、まるで天上の生き物のようだ。
一点、炎を除いて唯一色を持っているのが、猛禽類のように強い瞳だ。とろりと上等な蜂蜜のように濃い艶のある黄金色をしていて、光の加減で、虹彩の中を無数の星がキラキラとスパークしている。
レイが「すごい……」と目を瞠って見ていると、
「レイ、見つめすぎちゃダメだぞ! 魅入られたら大変だからな」と、ウィルフレッドに、目を手で塞がれてしまった。
「店はフェリクスが知ってるから、ついて行けば大丈夫だ。金は少し多めに入れたから、買い物が終われば、多少、屋台で買い食いできるぞ。荷物は、この空間魔術付きのリュックに入れて、持って帰って来い」
「ありがとうございます」
レイは、ウィルフレッドから買い物リストと一緒に、財布とリュックを受けとった。
「フェリクスも、レイは子供だから、逸れないように街では手を繋いでやるんだぞ。あと人攫いにも気をつけろ」
フェリクスは、ピュイッと一声鳴いて頷いた。
ウィルフレッドは、フェリクスに取り付けた鞍に、レイが乗るのを手伝った。命綱がしっかり付いているのを確認し、レイにゴーグルを渡して、飛行中はそれを付けるようにと伝えた。
「楽しんで来いよ」
「はいっ!」
ウィルフレッドが、レイの頭をガシッと撫でた。
早くもシェリー作のポニーテールが崩れ始めた。
フェリクスは、レイを乗せて音もなく離陸した。一瞬のふわりとした浮遊感の後、ギュンッと一気に上昇する。
「わあ〜!」
絶景である。快晴の中、ユグドラの樹、街、森が下に見え、今まで見たことも無いほど遥か遠くまで見渡せる。遮るものは何も無い。
フェリクスが羽ばたき、加速していく。
レイは「ゴーグルがあって良かった」と思った。心地良いというよりは、早く冷たく圧を感じる風だ。
レイはぎゅっと鞍の持ち手を握った。下の森や景色がものすごい速さで遠ざかっていくのが見えた。
白の領域を軽々と飛び越え、レイはこの世界へ来て初めて人間の領域へ足を踏み入れた。
目的の街には、思いの外、早く到着した。
フェリクスは、街の外、人の気配の無い開けた場所に、音も無くふわりと舞い降りた。
レイは命綱を外して、のそのそとフェリクスから降りた。
レイが降りたのを確認すると、フェリクスは、パッと光って人型に変身した。
そこには鞍に長い指を引っ掛けて肩にかけている、ナイスすぎるミドルなおじ様がいた。
白銀色の長い前髪は、緩やかに外巻きになっていて、緩くウェーブのかかった髪は、襟足までに切り揃えられている。目尻にある柔らかい皺も、微笑んだ後のような薄いほうれい線も、優しそうな人柄が窺えるようで、却って魅力的に見え、聖職者のような落ち着いた笑みを湛えている。
グレーのスーツが、更に品の良さを醸し出していた。
あまりの変貌ぶりにレイはびっくりしたが、彼の目を見れば、先ほどのフェニックスと全く同じ、とろりと濃い黄金色の瞳だった。
「……フェリクスさんですか?」
「そういえば自己紹介がまだだったね。僕はさっきのフェニックスで、フェリクスっていうんだ。よろしく」
「こちらこそご挨拶が遅れてごめんなさい。レイです。レイって呼んでください。今日はよろしくお願いします」
ぺこりとレイがお辞儀をした。
「じゃあレイ、早速街に行こうか」
鞍をパッと空間収納にしまうと、フェリクスがにこやかに手を差し伸べてきた。
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