第2話 管理者と三大魔女

 レイは、シェリーに一通り部屋の使い方を教えてもらい、服のサイズも見てもらった。

 後で合いそうなものを持って来るね、と言ってシェリーは部屋を出て行った。


 レイはベッドにドカッと飛び乗り、うつ伏せに沈んで目を閉じた。


(今日はいろいろありすぎて、もうキャパオーバーだよ……)


 自然と涙がポロポロ出てくる。

 レイの日本での生活は、やっと仕事も安定してきてこれから、という感じだった。恋人はいなかったが、友人も家族もみんなあちらの世界に残したままだ。


(みんな心配するだろうな。でも帰るには命がかかる、つまりは帰れないってことだ……)


 レイはごろりと寝返りを打って、天井を仰ぎ見た。

 会える時は「また今度でいいや」と思っていたものが、いざもう会えなくなると胸に込み上げてくるものがあった。


「もう、会えないの……?」


 レイはひたすら泣いた。喉の奥が轟々と鳴っているようで、頭がジンジンと痺れるようで、何がなんだか分からないくらいに。



***



 シェリーが部屋に入って来る音で、レイは目を覚ました。昨日は泣き疲れて、そのまま一晩眠ってしまったらしい。


 洗面所で顔を洗い、タオルで拭くと、鏡の中のレイは腫れぼったい目をしていた。


「レイ、ちょっとこっちおいで」


 シェリーが手招きしている。レイが近づいて行くと、シェリーが手をレイの目に当てた。

 彼女の手が淡い青色に光り、ひんやりとレイの目を冷やしていく。


(これが魔法! 便利!)


 レイは初めて実感のこもった魔法体験に、心から感激した。昨日の召喚も立派な魔術なのだが、それ以外のことが衝撃的過ぎて、レイの記憶からはすっかり抜け落ちている。


 少し腫れが落ち着いた目元に手を当て、レイは「ありがとう」とはにかみながら言った。

 初めて見せたレイのふわっと柔らかい笑顔に、シェリーも頬が緩んでいる。



「服は、サイズが合いそうなものをいくつか持ってきたわ。今日は、これはどう?」


 シンプルな空色の膝丈ワンピースで、ウエスト部分を紺色のリボンで結ぶ形になっている。編み上げの小さなブラウンのブーツもセットだ。


「いいですね。今日はそれにします」

「残りはクローゼットに入れておくわね」

「ありがとうございます」


 レイがあちらの世界から着て来た服は、洗濯してくれるらしく、シェリーに回収された。

 そして、これからのことを説明してくれた。


「今日の午後にミランダと、もう一人の三大魔女が来ていろいろ説明してくださるそうよ。あと、三大魔女は仕事で外に出ることが多いから、代わりの先生も一緒かもしれないわ」

「もう一人の三大魔女……」


(どんな人だろ……)


 きっと驚くわと、シェリーが微笑んでいた。



 シェリーが洗濯物を回収して下がっていくと、レイは窓の外を見た。

 部屋の窓からは街の一部が見えた。日本と違って、ヨーロッパ風のかわいらしい街並みが見える。そして、ふわふわと光の玉がいくつも浮かんでいる。


(……戻るには、命がかかる……)


 レイにとっては、戻ることよりも命の方が大事だ。

 いっぱい泣いて、ぐっすり寝て、頭がスッキリしたレイは冷静で現実的なのだ。


(どんなことをやるか分からないけど、やってみようかな、管理者……)


 同じ管理者で三大魔女だというミランダにも会った。元気で明るくて、管理者の仕事で疲弊しているような感じはしなかった。

 まだミランダとシェリーにしか会っていないが、彼女たちはレイに対して、とても親切で優しかった。


(魔法もあって、ちょっと面白そう……帰れないなら、ここの生活を楽しんでみようかな)


 レイは、ここでの生活に少しわくわくしてきた。



***



 午後になってミランダたちがレイの部屋にやって来た。


(ミランダの他は、男の人が二人……?)


「三大魔女のダリル・ウォーカーだ。ダリルと呼んでくれ」


 ダリルはブラウンの長い髪を一つにまとめていて、青い目はこちらを観察するように見つめている。丈の長い黒のローブは生地に光沢があり、裾に金糸で複雑な刺繍が入っていて、グレーのスラックスと上等な革靴がローブから覗いている。生真面目そうな面持ちに骨ばった大きな手。いかにも研究者といった風貌だ。


「管理者のウィルフレッドだ。まぁ、見た通りエルフだ。君に管理者として、この世界のことや魔術のこととかいろいろ教えることになった。ウィルでも師匠とでも呼んでくれ」


 ウィルフレッドはにかっと笑って、手を差し出してきた。レイも手を出して、がっしりと握手する。


 ウィルフレッドは、長身で細身だけどがっしりしている。いわゆる細マッチョだ。カールした金髪を肩口まで伸ばし、人好きするヘーゼルの瞳をしている。白シャツの胸元を寛げて袖を捲り、少しゆったりしたブラウンのトラウザーズを履いている。ラフな感じだ。


「佐藤鈴です。レイって呼んでください。よろしくお願いします」


 レイがちょっと戸惑っていると、「ダリルがどうした?」と聞いてきた。


「すみません、魔女っていうから、てっきり女の人かと思ってました」

「ああ、男がなることもある。三大魔女として活動する時は、慣例で女の姿になってる」

「そうなんですね」


(不思議な慣例だ……でもダリルだったら綺麗そうかも)


 一瞬、女装姿のダリルを思い浮かべてしまったレイだった。ダリルは整った顔立ちなのでそこまでおかしくはなさそうだが、初対面なのでこれ以上突っ込むのは止めておいた。


「とりあえず、座って話しましょうか」


 ミランダに促されて、四つある来客用スペースの椅子に座る。

 シェリーが全員分のお茶を淹れてから下がっていった。



「まずは管理者と三大魔女についてね」


 この世界——ユグドラの生き物は、管理者とプレイヤーに分かれている。


 管理者は、この世界とこの世界に生きる者の成長と発展を、愛を持って見守り管理運営する者だ。そのために大きな力を持っている。大きな力を持っている分、義務も制限もある。

 本拠地はここ、ユグドラの樹。

 管理者に選ばれた者のみが、ユグドラの樹の中に部屋を与えられる。

 ユグドラの樹の周りには、都市ユグドラがあり、管理者をサポートする者たちが住んでいる。


 プレイヤーは、この世界で思い思いに自由に過ごし、一生を全うする者だ。

 管理者ほど大きな力は持っていないが、管理者のようにこの世界を管理する義務は無いし、制限も少ない。


「あい……」


 レイは目を大きく丸くして呟く。


(何だか不思議な感じがする。昨日今日来たばかりの世界に対して愛とは……壮大すぎてピンとこない……)


「見守る愛ね。管理者の根本原理。レイはすぐに管理者の仕事をするわけじゃないし、追々慣れていけばいいと思うわ。プレイヤーの根本原理は自由よ。自由に生きることね。何でもできるけど、悪いことをすればしっぺ返しをもらうし、やり過ぎれば粛清されるわ」


 管理者は種族によって仕事内容が異なる。


 エルフのウィルフレッドは、ユグドラの樹と、その周りの都市ユグドラの管理だ。

 人間のミランダとダリルは、人間社会の中に入っていって、人間がタブーを犯さないかを監視することだ。

 タブーは禁術みたいに、この世界の根本を揺るがして破壊するような物事だ。タブーでこの世界が異常をきたして環境が悪化したり、たくさんの者が被害を受けるのを防ぐのが、人間の管理者の仕事だ。


 他にも竜や精霊のように、火や水や風や大地などの自然や、癒しや恋などの抽象的なものを司って管理する者もいる。


 ミランダの説明に、「へー」とレイは頷いて、この世界の不思議に興味津々だ。


「人間はこの世界では弱い存在なのよ。力もそうだし、魔力もスキルも。寿命だって短いわ。そんな弱い人間の管理者がちゃんと仕事できるように、世界から与えられた称号が、三大魔女なの。人間の場合は、管理者と三大魔女の称号がセットね」


 三大魔女の称号には特典スキルがついている。「魔力量無限」と「魔術の全属性適性」だ。ただ、どのくらい魔術が扱えるようになるかは、本人の努力次第だ。そこら辺は世知辛い。



「レイは人間のそのくらいの子供にしては、随分落ち着いてるな。見た目と実際の年齢は同じか? こっちだと、種族によっては見た目が実際の年齢通りでないことが多いんだ」


 ウィルフレッドがまっすぐレイを見て確認してきた。


「リリスさんが、私がこちらの世界と魔力に馴染みやすくなるように、少し年齢を後退させたって言ってました。前は成人してましたけど、今は……う~ん、十二、三歳ぐらいの見た目ですかね」


「十歳ぐらいかと思ってた」


 ミランダがびっくりして目を大きく見開いている。


 レイは昔から、日本人女性のちょうど平均ぐらいの身長だった。こちらの世界でも日本人は小柄のようだ。



「魔術は何が使える?」


 ダリルが単刀直入に聞いてきた。


「使ったことがないので分からないです。魔法は元の世界になかったので……」


 魔術がない世界……? 三人とも目を見開いて固まっている。


「そうなると本当に一からだな。一応、属性も見るぞ。ほれ。両手、出せ」


 レイが素直に両手を出すと、ウィルフレッドがその手を握ってきた。彼は何かを感じ取ろうとするように目を閉じた。レイは何だかドキドキしながらしばし待った。


 ウィルフレッドは目を開けると、


「水属性だけ異様に高くて上級の中、あとは聖と光が中級の上なの以外は全部中級の下だ。珍しいな」


 と言った。


 ミランダも珍しいわね、と呟いている。


「珍しいんですか?」

「三大魔女は全属性に適性があるんだが、バランス型なんだ。多少得意な属性が二、三あるくらいだ。ここまで突出した属性があるのは珍しい」


 ウィルフレッドが説明してくれた。


「ほとんどの属性が中級の下なのも珍しいな。大抵は中級の上から上級の下ぐらいだな。魔術がない世界にいた影響か?」


 ダリルが顎に手を乗せ、分析している。



 結局、明日からウィルフレッドがいろいろ教えてくれることになった。こちらの生活に慣れつつ、魔術は基礎からということになった。



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