第10話 前略、地獄の底から(その6)

 それからどのくらいの時間が過ぎたのか、環士は頭を下に自身の身体が揺れていることに気が付いた。

 バンザイするようにだらりと下げた左上腕部が弾力のある球体に触れている。

 その感触におそるおそる顔を上げる。

 フィーマの右肩に担がれていた。

「目が覚めたか」

 立ち止まったフィーマに担がれたまま問い掛ける。

「ここは……」

「立てるだろ」

 地面に下ろされるが軽い目眩に足元がおぼつかずふらつく。

 そんな環士をフィーマが横から支える。

 周囲を見渡した環士は身体が自由に動くことと、そこが見慣れたグマイジア時空のロッカーが並ぶ場所であることを理解する。

「静かにしてろ。もう少しだ」

 ささやいたフィーマが環士を支えたまま正面のロッカーを開く。

 扉の向こうは学校の雑品庫だった。

 その時、不意に背後から声が掛けられた。

「どこへ行くんだい」

 フィーマが慌てて扉を閉じて体を返す。

 ストーンサークルの方向から歩いてくるテレインがいた。

 テレインは環士を一瞥して、フィーマに目線を戻す。

「フィーマ。なぜ、そいつと一緒にいる?」

 フィーマはうなだれる。

「お許しください」

「“お許しください”? どういうつもりで言っている?」

 フィーマが顔を伏せたまま、絞り出すように答える。

「私の……意思として言っています」

 そして、顔を上げてテレインを正面から見据える。

「私の好きに――自由にさせてください」

 テレインが“ほう”と感心したような表情を浮かべる。

「ママに言ってるのかい? 逆らうのかい? また折檻されたいのかい?」

 文字通り母親に叱責される幼いこどものように立ち尽くすフィーマを、テレインが怒鳴りつける。

「オマエはママの言うことだけ聞いてりゃいいんだよっ」

 その怒声にフィーマが全身を硬直させたのが環士にもわかった。

 さらにテレインが畳みかける。

「“私の意思”だと? 笑わせるなっ。そんな口が利けるまでになったのは誰のおかげだ。ママがいなけりゃこの世に存在することすらできなかった分際で。今、そうやって生きてるのは誰のおかげだ、オマエを生んだのは誰だ。誰のおかげで自分が存在できているのか言ってみろ」

「……ママです」

「聞こえない」

 邪悪な微笑みのテレインに、フィーマが声を張り上げる。

「ママのおかげです」

 テレインが一転して穏やかな表情と口調に変わる。

「そうだろう? 私の可愛いフィーマ。これ以上ママを悩ませないでおくれよ」

「でも……」

「でも?」

「今の私が生きているのはママのおかげです。でも、私は私です」

「はあ?」

「私は私です。ママのための存在ではありません。だから、私は私の意思で……」

「黙れっ」

 テレインが突き出した手のひらから電撃状の衝撃波がほとばしる。

「!」

 その衝撃波を受けたのは、半ば無意識に前へ飛び出した環士だった。

 背中から倒れ込んでくる環士の身体をフィーマが抱き留める。

「環士……なにを考えて……」

「すごいなフィーマは……。ボクが両親に言いたくても言えなかったことを……ちゃんと……」

 環士は後頭部をフィーマの胸元に預け、その感触に浸りながらつぶやく。

「……柔らかいな」

「バカ」

 フィーマが無意識に環士の頭を抱きしめる。

 同時に、胸元に違和感を覚えた。

 不意にその豊かな胸元から警告音が鳴り響く。

 抱きしめた時にピンが外れた防犯ブザーの音だった。

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