第10話 前略、地獄の底から(その2)
山の所々で起きていた倒木や土砂崩れの対応を両親と親戚たちが協議している時、優里はかすかなうめき声を聞いた気がした。
そして、気が付くとお堂の前にいた。
いつのまに?――そんなことを思う優里だが、その直後に息をのむ。これまで一度も開いたところを見たことがなかったお堂の扉が外れていること、そして、お堂の前に落ちている一枚の和鏡に。
淡い光を放つ和鏡は、祖母からこのお堂に祀られていると聞いたことのある呪鏡に違いない。
それが外に出ている、誰か呼んで来ないと――そう思う優里だが身体が動かない。和鏡が放つ光に縫い付けられたように目が離れない。
そこで一旦、優里の意識が途切れた。
次に気付いた時、優里の左手には和鏡、左手にはその鏡面に貼られていたはずの御札が握りしめられていた。
私が……剥がした?
戸惑う優里に声が告げる。
“ありがとう”と。
不意に鏡面から白い煙塊が立ち上った。
煙塊は金縛りにあったように動けない優里を包み込む。
その中で優里は奇妙な安らぎを覚える。幼い頃、いや、もっと前、生まれる前の胎内にいたような感覚に全身を侵食されて。
しかし――
ばちん。
――なにかが破裂したような音に我に帰る。
そして、胸元に熱を感じる。首から提げたお守りのある位置に。
優里を包んでいた煙塊は四散して周囲を浮遊しているが、見る間に集束して元の煙塊としての姿を取り戻す。
煙塊は優里の周辺を、まるで得物の隙を窺うネコのようにぐるぐると回り始める。
しかし、やがて諦めたのかお堂の脇にある草むらへと潜り込む。
まだ身体の自由が利かない優里が見つめるその草むらから姿を現したのは、体長が一メートルほどのヘビ。
ヘビはじっと優里を見つめる。
優里もまたヘビから目を逸らせることができず見つめる。
不意に頭の中で声が響いた。
“とりあえず出してくれたことに礼を言おう。そして、胸に提げた呪符に免じて身体は許そう”
それだけ言い残し、ヘビは元の草むらに消えていった。
同時に金縛りから解放された優里は、左手の和鏡をポケットに押し込み、外れたお堂の扉を直して閉じるとその場から逃げるように家へと走った。
お堂の和鏡に封印されていたなにかが外へ出た――この事実を、祖母を始めとする大人たちに伝えねばならない。
しかし、優里はできなかった。
自身が“未知のなにか”を解放してしまったことに対する恐怖と罪悪感によって。
誰にも話せないまま年が明け、春になり――時間だけが過ぎていった。
「そのヘビって、まさか」
話し終えたのを待って紗登子が問い掛ける。
優里が頷く。
「夜中の
そして、顔を両手で覆う。
「号外に書かれてた“ヘビ男”が、あのヘビが姿を変えた存在なのかもって思った。だから、私は……封印されてたものを解放してしまった責任があるから、だから、昨日の夜、こっそりセキュリティを休止にして……」
生徒会長の優里なら立場上、セキュリティシステムの操作に関しての知識は教職員並みにあってもおかしくはない。知らなかったとしても、不審者騒動を理由にセキュリティシステムの扱いを生徒会長として教職員に問い質すことができただろう。
そこで昨夜の
「あんなのを解放したなんて。私はどうしたら……」
優里が顔を覆ったまま泣き崩れる。
その様子に紗登子は考える。
優里はヘビの正体が“生物相のリセットを企てるとんでもない存在”であることまでは気付いていない。それでも昨夜の異様な情景は、ごく普通の優等生である優里にとって十分“非現実的な怪異”に違いはない。ならば、それに恐怖を抱くのも当然のことだろう。
「大丈夫、大丈夫。優里は悪くないから」
紗登子は優里を抱きしめながらささやく。
とはいえ、どうしていいかわからない。
ナビ役だったドルド丸はもういない。
頼れるのは――やはり、環士しかいなかった。
その時、始業五分前を告げるチャイムがなった。
環士は来なかった。
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