第9話 手紙と贈り物(その3)

 ざわざわと賑やかな生徒玄関で上履きに履き替えた環士は、少しの間だけ迷うように雑品庫へ降りる階段の前で立ち尽くす。

 その後ろを殆どの生徒は無関心に、ごく一部の生徒は一瞬だけ怪訝な目を環士に向けてそれぞれの教室へと通り過ぎていく。

 環士は考える。

 この階段の先に雑品庫があり、その奥にグマイジア時空がある。

 そこには人類のみならず現在の生物相をリセットしようとしているママと、自分がやってくるのを待っているフィーマがいる。

「……」

 小さな溜息をひとつついて、その場を離れる。

 そして、自分の教室へ向かう。

 歩きながら、紗登子からのメールを思い出す。

 今、この時間、紗登子が部室で環士が来るのを待っている。

 それがわかっていながら環士の足は部室ではなく、自分の教室へ向かっている。

 風羽子フィーマに答えた通り、考える時間がほしかった。

 今の自分がすべきことはなんなのか。

 今の自分にできることはなんなのか。

 そして――今の自分がやってはいけないことはなんなのか。

 そこまで考えた時、通り過ぎようとしていた扉が不意に開いた。

 驚いて立ち止まった環士が目線を向けたそこに立っているのは、小さな手提げ袋を持った池月優里。

 その部屋は生徒会室だった。

 優里もまた環士同様に驚いた表情を浮かべるが、相手が環士とわかると顔色をなくして後ずさりする。

 そんな優里に、環士は無言で軽く頭を下げて通り過ぎる。

 そして、つぶやく。

「まあ……怖いだろうな」

 優里からすれば環士は“深夜の学校でバトっていた正体不明の一団”のひとりなのである。


 始業を待つばかりの喧噪に満ちた教室で、環士は自分の席のかたわらにスクールバッグを置いて着席する。

 そして、机に突っ伏す。

 頭の中で、この数日間のできごとがぐるぐると渦を巻く。


 部室――夜の校舎――グマイジア時空――ショッピングモール。


 ドルド丸――テレイン――マリイ――フィーマ――ママ。


 プリンセス・プラージュ――宮村紗登子。


 ……――……――……――……………………。


 始業五分前のチャイムが鳴り、廊下で談笑していた生徒たちがぞろぞろと教室へ入ってきた。

「よし、決まった」

 つぶやいた環士はスクールバッグを開いて風羽子から渡されたケーブルを取り出す。

 そして、教室を出る。

 廊下でショートホームルームの始まる教室へ向かう担任の並河とすれ違った。

「おいおい、どこ行くんだ。もう始まるぞ」

 声を掛ける並河に素っ気なく答える。

「忘れ物です。取りに帰ります」

「じゃあ、遅刻扱いだな」

 “それがイヤなら教室へ戻れ”という意味であることをわかっていながら言い返す。

「いいです。それで」

「おい、待てよ。おい」

 声を荒らげる並河から逃げるように走り出す。“人類滅亡へのカウントダウンが始まった時に遅刻とか……”と思いながら。


 雑品庫へ続く階段を降りながら、教室で自分なりにまとめた結論を反芻する。

 “朝の部室で待つ”と言っていた紗登子と会うことから逃げたのは、やはり、どう考えても“どんな顔で会ったらいいのかわからなかった”から。

 封熱筒をママの手に渡らせた――人類滅亡の引き金を引いたのは、他ならぬ環士自身なのである。

 紗登子はその責任を感じていた。そして、これからのことを環士に相談したいと言ってきた。本来なら責めるべき相手なのに。

 環士は、そんな紗登子に対して申し訳ないという感情しかなかった。だから、会わずに済ませようと思った。会わずに自分の力だけで一連の騒動をなかったことにしようと思った。

 だから、ひとりでグマイジア時空へ向かうことを決めた。


 雑品庫に入って奥の壁に向き直り、ケーブルを首に巻く。

 全身が一瞬だけ熱くなった。

 その熱が消えた時、視界をちらちらとノイズのように植物プランクトンが浮遊していることに気付く。

 姿見がないので視認はできないが、今の自分は大内環士ではなく赤潮男なのだろう。

 確かに見下ろした両手は昨夜と同じく、まとわりつくプランクトンで輪郭がぼやけていた。

 改めて正面の壁を見る。

 黒く染まった壁の一画から赤黒い空と荒れた大地――グマイジア時空が覗いていた。

 ふと思い出して口腔内を舌でまさぐる。

 風羽子の言っていた通り、確かにアップデーターと強制帰還機能、そして、毒カプセルは消失していた。

「よしっ」

 少し震える両腿をぱしんと叩いて歩き出す。

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