第9話 手紙と贈り物(その2)

 抜けるように透き通った青空の下で、玄関脇の花壇に水を撒いている管理人に“行ってきます”と頭を下げて門を出る。

 そして、ぎくりと立ち止まる。

 鵜飼風羽子が立っていた。

 その正体は“グマイジア三姉妹”の長姉・フィーマであり、人類を含めた生物相のリセットを企むママの手下――そんな事実を紗登子からのメールで知った環士ではあったが、風羽子フィーマに対する感情の変化は不思議となかった。マリイの性格制御による仲間意識が残っているのだろう。

 いつまでも立ち止まっているわけにもいかないと声を掛ける。

「おはよう」

 風羽子はいつも通りの“感情を見せない表情”で口を開く。

「一緒に……学校へ行こう」

 その言葉と無表情のアンバランスがおかしく、環士は思わず笑ってしまった。

「なにがおかしい」

 睨み付ける赤い顔の風羽子に“ごめんな”と手を振って真意を告げる。

「いや、ボクは初体験だけどガールフレンドと一緒に待ち合わせて登校するってのはマンガとかでよくあるシチュエーションでさ」

「知ってる」

 その返答は少し意外だったが、地依子テレインが“フィーマは少女マンガが好きだ”と言っていたことを思い出す。

「その無表情が、このシチュエーションに不釣り合いでつい笑ってしまったんだよ。ごめんな」

「……」

 風羽子はなにも答えず歩き出す。

 環士もまた無言で続く。


 寮の位置は学校の裏手になることから、通学路とは逆方向になる。

 そのため、環士以外の寮生がすべて朝練組でとっくに登校しているこの時間帯は人通りがなく、歩いているのは環士と風羽子のふたりだけだった。

 少し歩いたところで風羽子がスクールバッグをがさがさとあさって取りだしたものを環士に突き出す。

 それは長さ五十センチほどのケーブルを輪状にまとめたものだった。

 受け取った環士は、もちろん、これがなんなのか知らない。

「なんだこりゃ」

 体育教師が首に巻いている磁気ネックレスとかいうヤツに似てるなと思いながら、掲げて眺める環士に風羽子が答える。

「マリイが作った。首に巻くことで赤潮男になれる。同時に以前手術で埋め込んだアップデーターと強制帰還機能、そして、毒カプセルを消失させる。それらはもう不要の機能だからな」

「は?」

 “なんでこんなものを”と首を傾げる環士に、風羽子は予想外の答えを返す。

「ママの温情だ」

 さっぱり意味がわからない環士は大げさに眉をひそめて問い返す。

「温情? ボクに? ママから?」

「報賞だと思えばいいさ。封熱筒をママが開放することで人類は絶滅することになる」

 淡々と告げる風羽子の言葉に紗登子のメールを思い出し、改めてその内容が事実であったことを認識する。

 それは正面から受け止めれば、かなり重い話である。

 しかし、風羽子の話に集中するべく深刻に考えないようにする――まるで“自身の罪から逃げる卑怯者”のように。

 風羽子が続ける

「だが、環士だけはグマイジア時空で生き延びることをママが許してくださった。赤潮男としてだが」

「なるほど。確かに“報賞”だ」

 環士はケーブルを見ながらひとりごちる。

 風羽子はそんな環士に告げる。

「今すぐでなくてもいい。生徒玄関の奥にある地下の雑費庫は知っているだろ? そこに行けばそのケーブルに反応してグマイジア時空への扉が開く」

「で?」

 問い返した環士の反応が意外だったのか、風羽子も同じ口調を返す。

「で?」

 環士は、意図が伝わってなかったことに気付いてちゃんと問い直す。

「フィーマ、いや、風羽子たちは、これからどうすんだ?」

 風羽子は正面に見えてきた生徒玄関と、通学路をわいわいとやってくる自宅通学組の一群に目を凝らす。

「もう学校へは行かない。もちろん、マリイも。この姿に擬装するのもこれが最後だ」

 口では無感情を装いながらも、環士は表情の違和感を見逃さなかった。

「名残惜しそうだな」

 環士の言葉に、風羽子がかすかに笑った気がした――寂しそうに。

「学校生活てのも悪くなかった。そもそもは混成体の素体とドルド丸の協力者を捜すことが目的だったんだが……。学校という空間は興味深く面白い空間だった。“教室だけではなく、もっといろいろなところで学校生活というものを体験したい”と、テレインが言い出して……。掲示板?――で、文芸部だけがまだ部員を募集していることを知って職員室とかいう所でサトコを紹介してもらった。短い間だったが満喫できたと思う」

 そして、環士の目をまっすぐに見つめる。

「もちろん、来るだろ?」

 しかし、環士は目を逸らせる。逃げるように。

「ちょっと……考える」

 紗登子のメールと風羽子の話から明らかになった情報が多すぎて整理が付いてないのが正直なところだった。

 そんな環士の表情を風羽子が覗き込む。

「サトコのことか」

 思わぬ名前が出たことに一瞬たじろぐが、すぐに“それもあるよな”と思い直す。

 そんな無言の環士に、風羽子は意を決したように、あるいは自身の感情に押されたように口を開く。

「私だって――」

 しかし、すぐに口をつぐむ。

 まるで我に帰ったように。

 見る間に紅潮していく頬の風羽子に、環士が問い掛ける。

「どうした?」

「なんでもない」

 不機嫌な口調で返した風羽子は、環士の目から赤い顔を隠すように逸らせると――

「じゃあな。グマイジア時空あっちで待ってる」

 ――校門へと走り去った。

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