第6話 騙しやがって(その1)

「ちーっす。あれ?」

 環士が部室へ入った時、いるのは紗登子だけで三人はまだ来ていなかった。

 いつも自分が座っている窓際の席にスクールバッグを載せて窓を開く。

 その音に驚いて顔を上げたひなたぼっこ中のブチロウと目が合った。

 “よう”と声を掛けて右手を上げる。

 ブチロウはそんな環士を不思議そうに見たあと、春の陽射しに埋もれるように改めて頭を倒して気持ちよさげに目を閉じる。

 その様子に表情を緩めた環士へ紗登子が声を掛ける。

「あのさ、環士くん」

「ん? なんスか」

 振り返ると紗登子が座ったままシャーペンをぷらぷらさせながら顔だけを向けている。

 そして、問い掛ける。

「色仕掛けってどう思う?」

「は?」

 環士はぽかんと紗登子を見る。“色仕掛け”という言葉のみならず、それが紗登子の口から出ることが意外だったから。

 そんな環士に紗登子が慌てる。

「いやいやいや、えと、そうじゃなくて」

 なにが“そうじゃない”のかわからないが、適当に問い返す。

「新作の準備とか?」

 紗登子がはっとした表情で頷く。

「そう。そうそう。今、書いてるのがそろそろ終わるから、次のを考えてて」

 環士は紗登子が今月末締め切りの新人賞に応募すると言っていたことを思い出す。

「で、どう思うってのは、どういう意味で……」

「男の子って絶対にひっかかるものなのかなあっていうか、引っかからない場合ってどんな理由が考えられるかなあって思って」

 環士の頭に昨夜の思案がよぎる。

 自分に色仕掛けは通用しねえぜ。

 なぜなら他人に期待してないからな。

 ――というのは、正直なところ対人関係の構築に致命的な苦手意識を抱えているゆえの話であり、その自覚がある以上はそれを告げることに欠点を公言するような恥ずかしさがある。

 さらに“新作の準備”というからには、求めているのはキャラ設定のはずであって環士の個人的な事情など求めちゃいない、自意識過剰にもほどがある――そんなことを思いながら“ならば”と一般論を打ち返してみる。

「例えば好きな子がいて、それ以外の子から色仕掛けされたら断るんじゃないかなあ。逆に好きな子がいるのに別の子から仕掛けられて、それにひっかかるキャラってあんまり読者の共感は得られない気がする。だから、そういう場合は色仕掛けが失敗する展開ストーリーでもおかしくないかと」

「現実の話だったらどう?」

「現実?」

「え? いや、えと――」

 何気ない口調で訊いておきながら問い返されて慌てるのは、隠し事があるか後ろめたさの現れとしてよくある反応だが、環士にはそこまでの人間観察力はない。

「――あくまでも参考に聞くんだけど。どう思う?」

 少しだけ“うーん”と、うなって答える。

「やっぱり好きな子がいるとか進行形で付き合ってる子がいるとかだと、他からの色仕掛けには引っかからないんじゃないかな。何人も並行して付き合ったりつまみ食いするタイプが相手なら成功するかもしれないけど」

 もちろん、そんな経験もなければそんな性格でもない環士ゆえに完全に臆測――あるいは偏見である。

「あと、好きな子や付き合ってる子がいなくても、例えば単純に色仕掛けで騙された過去があったら“二度とゴメンだよ”ってなるだろうし。相手にもよる、かな」

「相手?」

 その理由に関心を表す紗登子だが、環士はその真意を知る由もない。

「例えば、仕掛けてきた相手が“イヤなヤツ”とか、弱みを見せたくない相手だとか、単純に魅力がないとか……」

「魅力がない……か」

 紗登子の表情が少し険しくなった気がするが、気にせず続ける。

「それ以外にも本人が異性に興味がないとか、他に優先させてることがあってそっちに全力集中したいから、とか。とにかく、色仕掛けが不発に終わるケースなんて普通ザラにあると思うけどなあ」

「そっかあ」

 紗登子がため息混じりにひとりごちる。

 そして、机に突っ伏す。

「ああああああああ、最初に環士くんに相談すればよかったなあ」

 事情のわからない環士としては“なにが?”という表情を向けるしかない。

 不意に紗登子が顔を上げて壁時計を見上げる。

「あ、時間だ」

 いそいそと立ち上がり、環士へおどけて敬礼する。

「じゃ、部長連絡会。行ってくる」

「ってらっしゃ」

 環士も敬礼で返す。

 今日は月に一回、各部活の主将キャプテンや部長の集まる“部長連絡会”の日なのである。

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