第3話 学校会談(その1)
始業を待つばかりの朝の教室から漏れ聞こえる喧噪を遠くに聞きながら、環士は理科室の前にいた。
昨夜の戦闘があったその場所で、環士は廊下の隅に落ちているアクリルキーホルダーに気付いて拾い上げる。
そして、朝であってもあまり気持ちのよくない解剖標本が並ぶショーウィンドウの前で、改めて周囲を見渡す。
戦闘の痕跡はどこにもなく、ただ、
イカ男として昨夜の触手に触れた感覚を思い出す。
ドルド丸に絡めた触手の一本が引っかかり、引きちぎったものがあった。
それがドルド丸の喉元を飾っていた、このキーホルダーだった。
「まさか、これが……。なぜ、ここに?」
つぶやきながら手の中のキーホルダーを表裏と返してみる。
既製品ではなく、明らかに素人の手によるハンドメイドのそれを環士は知っている。
知っているどころでない。
環士の記憶が確かならば、同じものが環士の部屋にもある。
そこへ始業五分前を告げるチャイムが流れた。
環士はキーホルダーをポケットに収めて教室へと足を向ける。
「とりあえず、帰ってからだな」
釈然としない思いを抱えたまま。
放課後になった。
ショートホームルームが終わって部室へ向かおうとする環士は、担任であり国語教師でもある並河に呼び止められた。
「ゴールデンウイークの宿題だった作文を提出してないのオマエだけだぞ。何日経ってると思ってんだ、あ?」
環士はスクールバッグを担ぎ直しながら慣れない愛想笑いを浮かべてみせる。
「いやー、なかなか難しいテーマなもので」
並河が溜息をつく。
「オマエさあ、文芸部だろ。文芸部のくせに作文が書けないってどゆことよ」
「ボクは読み専なんですよ」
もちろん嘘である。
しかし、それを見抜けなければ見抜くつもりもなく、見抜けるほど日頃から生徒指導に熱心でもない並河があきれ顔で続ける。
「も、出さなくていいからよ。代わりに中庭の草むしりやっとけや。な?」
「ほら、始めろ」
中庭で並河に言われた環士は、その場でしゃがみ込むと手近な雑草を引き抜いた。
並河が仁王立ちで監視している前で這いつくばるのは、ある意味では屈辱的な姿勢である。
しかし“屈辱”はそれだけではない。
仁王立ちの並河と這いつくばる環士――そんなふたりの様子に、通りすがりの下級生や同級生が“あいつ、なにやらかしたんだ”とあからさまな嘲笑を浮かべて立ち止まる。
教育者ならそんな連中に情操教育というか倫理的な指導をしてもよさそうなものだが、並河にそんなつもりはない。
なぜならば、罰としての草むしりには“共用場所の環境美化”という奉仕的意味だけでなく、あえて“恥をかかせる”という目的もあるのだ。
並河的には、むしろ“恥をかかさねば
いつもは中庭の主人を気取っているようなブチロウだが、今日はいない。
いきなり現れた環士と並河の存在が不快なのか、環士たちが来てすぐに校内へのパトロールに出ていった。
「じゃ、やっとけよ。さぼんなよ?」
そう言い残し、並河は顧問を務める女子ソフトボール部の指導に向かった。
ひとり残された環士は黙々と草むしりを続ける。
別に真面目なわけではない。
こういう場合は“とにかく作業に没頭すること”が、最も早く時間を経たせることを知っているだけである。
それにしても――と、アジサイの葉にうずくまる雨蛙を見ながら考える。
本当に提出していないのはボクだけなのか?
もし、それが真実なら同じクラスで一度も教師の言うことを聞いたことがないクソヤンキーの大久保も提出したことになる。
ううむ。あのクソヤンキーがどんな顔をして、どんな内容の作文を書いたのかすげえ興味があるな。
そんなことを考えていると頭上から――
「環士?」
――声が掛かって見上げる。
部室の窓から地依子が見下ろしていた。
「なにやってんのー」
「草むしりだよ。サトさんいるか?」
「いるよー」
顔を引っ込めて紗登子を呼ぶ。
「サトコー、環士がいるよー」
その声を聞きながら環士はグマイジア時空での
そんな“ヒト以外の存在”を自分が受け入れているのは、マリイが植え付けたという“仲間意識”のせいなのだろう。
そんなことを思った時、見上げている窓から紗登子が顔を出した。
「環士くん、どうしたの?」
「宿題やってなくてペナルティ。ということで今日は休みます」
“参ったぜ”とばかりに苦笑を浮かべる環士に、紗登子もまた“しょうがないなあ”という笑顔で手を振る。
「わかった。ご苦労さま。がんばってね」
普通に考えれば、罰として草むしりをやっているところなど人に見られるのは避けたいところだろう。
だが、環士は違った。
草むしりの現場を見られるのが恥ずかしいと思うことは、これをペナルティとした並河の思惑にはまることに他ならない。
環士的にはそっちの方が恥ずかしかった。
そもそも、宿題を提出してないのは環士自身の明確な意思に基づくものであり、その結果の草むしりは“あえて受けた名誉の負傷”も同然なのである。
それを“恥ずかしい”と思うことは並河の意図した通りになることであり、それこそが環士にとって“敗北”を意味することなのだ。
ということで、いかに屈辱的な扱いを受けようとも、恥ずかしいと思ってはならない。敗北を認めなければそれは敗北ではないのだ――そんなことをぶつくさと考えている間に思惑通り時間は過ぎ、クラブ活動が終わる十八時のチャイムが聞こえた。
とはいえ“勝手に帰ると、またうるさいだろうしなあ”などと考えて並河が来るのを待つ。
その並河がやってきたのは十八時二十分になろうとした頃だった。
そんな時刻と走ってきた様子から環士は心中でつぶやく。“忘れてやがったな、こいつ”と。
並河から「帰ってよし」との“釈放宣告”を受けて中庭を出た環士は“イマサラ部室へ行っても、さすがにもう誰もいないだろ”と考え、教室に鞄を取りに行ってそのまま帰ることにする。
他のクラブ終わりの同級生は、クラブ活動の時間が終了してもそれぞれの部室で三年生の機嫌取りに忙しく、すぐに帰るわけではない。
そのため“三年生の機嫌取りが存在しない”環士が帰る時間の生徒玄関は、いつも閑散としている。
そんな生徒玄関で靴を履き替えていると、体育館の裏手から向かってくる四人の女生徒に気が付いた。
問題児として有名な三年生の女子四人組である。
環士は目を合わせないように顔を伏せる。
つい先月、新入生の中でひときわ身体の大きい“
その理由は単純明快で、放課後に女子四人組から“あたしら上級生を舐めてる下級生がいる”と聞かされた三年生のチンピラ予備軍が嬉々として“不良くん”を呼び出して(以下略)――ということがあったのだ。
そんなことを思い出す環士だが、四人の様子に違和感を覚えてシューズロッカーの隙間からこっそり目線を向ける。
いつもなら周囲を威嚇するように歩く四人が互いを支えながらよろよろと、そして、背後をびくびくと警戒しながら歩いている。
その制服が泥と土埃に汚れていること、さらに目を凝らせば、顔も涙と鼻水にまみれていることがかすかにわかる。
“なにがあった?”と訝しがるが――
「ま、自分とは無関係な世界の住人だしなあ」
――そう、つぶやいて生徒玄関を出た。
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