第4話

 宮廷近くの行きつけの酒屋で、「付き合って」いる内容を聞き終えたエミールは、しみじみと腕を組んだ。


「はぁ、『幸福の少年』ねぇ。そら、また、金のある家でいいことだ」

「きみの家だってお金はあるじゃないか」

「まぁ、そうだけどな」


 否定はしない、と笑って、エミールが酒に手を伸ばす。


「とは言え、だ。金があるからと言って、そういった使い方を良しとする家がどれほどあるか。よっぽど子どもに甘いか、よっぽど子どもが悪いか」

「たぶん、どっちも正解。いいおうちでね、ご子息も本当に、……言い方が悪いと思うけど、かわいそうになるくらいに、素直でかわいいし。何度か会ったけど、お母上も屋敷の方もみんなかわいがって大事にしてる。でも、だいぶ悪いみたいだ」


 過剰に深刻にならないよう気をつけて、アルドリックも酒に口をつけた。考えるような間のあとで、エミールは問いかけた。


「魔術師殿は、薬の処置で?」


 病気を患ったとき、医者に診てもらうことも多いが、魔術師に診てもらうことも多い。薬の処方だけであれば、魔術師が担当をすることがほとんどだ。


「痛み止めの薬は渡してるって言ってたな。それと、お金は別に出すから話し相手になってほしいって頼まれたみたいだよ。と言っても、あの子、薬代以上は受け取ってないみたいだったけど」

「へぇ、あの氷のご麗人が」

「悪い子じゃないんだよ、本当に。誤解されやすいけどね」


 苦笑まじりに、グラスに酒を足し、たぶんだけど、とアルドリックは続けた。


「ご両親が真摯に頼まれたんじゃないかな。あと、これは僕の私見だけど、ハンナさん……そこのメイドさんなんだけど、が、僕のおばあちゃんにちょっと似ていてね。あの子、おばあちゃんによく懐いてたから、絆されたんじゃないかな」

「なるほど。そう聞くと、随分と人間味がある」

「まぁ、同じ人間だからねぇ」


 ほどよいざわめきの店内で、それに、と彼が聞けば意外と判じるだろうもうひとつの事実を明かす。


「そこのご子息――ルカくんって言うんだけどね。彼、すごく魔術師殿に懐いてるんだよ。見ていてほほえましいくらい」

「おまえのほうがよほど子どもに好かれそうだが。ほら、うちの妹もおまえにやたら懐いてるだろう」

「ニナちゃんはさすがにもう小さな子どもじゃないと思うけど」


 たしかに、はじめて会ったころは、まだまだ小さなレディだったけど。彼女は、もういっぱしのお嬢様だ。でも、きっと、こんなことを言葉にするとよくないのだろうけれど、彼は、ニナちゃんの年にならないのだろうな。

 一度も学校に通ったことがないから、いろんな話を聞くことが楽しいと笑って、学校に行きたいとは口にしない小さな男の子。でも、だから。


「これも、たぶんだけど。ルカくんは、彼のなんでもない態度に救われているんじゃないかなと思うんだ」

「なんでもない態度」

「うん。なんていうのかな、良くも悪くも彼は公平だけど、……それを知ってる僕でもちょっとびっくりするくらい、余命いくばくもない小さな男の子にもいつもどおりだったよ」


 はは、と笑ったアルドリックに、エミールは目を伏せて、なるほど、と頷いた。


「過剰じゃないかと言いたくなることがあるくらい、他人を気にかけるおまえとは、案外と良いバランスなのかもしれないな」

「うん」


 ほんのわずか間を置いて、そっと笑う。


「僕もそう思うんだよ」


 振り回されてばかりだ、なんて。少しばかり上から目線に思っていたけれど、それ以上に彼に助けられているのだと知った。

 だから、余計に腹が立ったのかもしれない。本当に勝手な話だ。けれど、たぶん、自分はずっとあの子に劣等感を抱いていて、あの子の世話を焼くことで自分の小さな自尊心を満たしていたのだと思う。最後の砦を崩されたくなかった。


 ――本当に馬鹿みたいだなぁ。上から目線とか、劣等感とか、自尊心とか。そんなもの、一緒に並んで仕事をしていくなら、……友人だというのなら、まったく持つ必要のない感情だというのに。


「学院の一件が終わったあとにさ、きみに言われたこと、彼に聞いてみたんだよ。なんだか、ちょっと自分でもびっくりするくらい苛立って、余計なことまで言っちゃった気もするんだけど」


 自嘲をこぼし、アルドリックは顔を上げた。


「その答えを貰ったんだ」

「納得できたのか?」

「わからない」


 うん、と答えたほうが彼は安心しただろうなぁ、とわかりながらも、本心を告げる。


「でも、やっぱり、彼は彼だったよ」

「そうか」

「それで、僕は、結局、昔から、彼を嫌いになんてなれないんだよ」


 呆れたように、あるいは、少しほっとしたように。目を細めたエミールが、そうか、と同じ相槌を繰り返した。

 そうなんだよ、と。アルドリックもまた諦めたような、すっきりとしたような気分で笑った。

 

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