第3話
夏の終わりが近づくにつれ、ルカの容体は少しずつ悪くなっているようだった。
せっかく来ていただいたのですが、お話をする元気がありませんで、とハンナに頭を下げられる回数が増えている。
エリアスがひとりで来ているときに会えることはあったのかもしれないが、アルドリックは二回連続で彼の顔を見ることができずにいた。窓を見上げても、あの笑顔を見ることはできない。
会えなかったベック家からの帰り道は、いつも気鬱になる。彼より関わりの少ない自分でもそうなのだ。エリアスは、どんな気持ちでいるのだろう。
静かな横顔を見やったものの、直接的に尋ねることは憚られ。アルドリックは意識的に明るい声を出した。
「そういえば、エミリア嬢の嫁ぎ先もこのあたりなんだよ。ミアさんも一緒に行くことにしたんだって」
「生涯か」
「どうだろうね、それはわからないけど。ミアさんにもいずれ結婚の話はあるかもしれないし。受ける、受けない。メイドの仕事を続ける、続けない。すべて僕にはわからないけど」
それでも、あの人たちには、もう少し一緒にいる時間が必要だったってことじゃないかな。そう、アルドリックは言った。気持ちにけじめをつけるまでには時間がかかる。その時間がどれほどの長さになるのかは、人それぞれだ。
――僕だって、魔術師になれなかったことも、この子に対する屈託も。割り切ったつもりで、ずっと胸に飼い続けてたんだし。
それが、あの八つ当たりに繋がったのだとしたら、返す返すみっともない。前髪をくしゃりと掻きやると、エリアスがぽつりと口を開いた。
「おまえは俺に安売りするなと言ったが」
「それは、その……本当にごめん。僕の勝手を押しつけすぎ」
「俺は安売りをしたつもりはひとつもない。おまえと一緒になにかをしたかった」
「……」
「不適格な理由とおまえは言うかもしれないが、俺にとってはおまえと組むことが重要だったんだ」
「そっか」
ほかになんと言えばいいのかわかからず、アルドリックはもう一度「そっか」と呟いた。エリアスは、それ以上は語らなかった。頬をなぶる風は、ほんの少し冷たさを帯びている。
夏の終わりだった。
――なんというか、そんな子どもみたいなことを言われると思わなかったな。
不適格な理由と言っていたから、彼にも多少の自覚はあったのだろうけれど。予想していたどの理由よりも、心の柔いところにぶすりと刺さった感覚があった。
苦手なのだ。彼の泣き顔もだけれど、今となっては、たぶん、それ以上に。不思議なほどに澄んだ、子どものようなきらめきを見せることのある瞳が。
残業を終え、宮廷の暗い廊下を歩いていたアルドリックは、「ひさしぶりだな」という声に、はっとして笑顔をつくった。
「エミール」
「今日も残業か? というか、おまえ、最近、付き合い悪いって評判だぞ。彼女でもできたのか?」
「違うよ」
そう言われると、何回か連続で休日の誘いを断ったような。苦笑を浮かべ、アルドリックは頬を掻いた。
「最近、ちょっとね。休みの日は魔術師殿に付き合ってるんだ」
「仕事……じゃないよな」
「うん。学院の一件が潜入で時間もかかったから、特別チームはまだ少し休憩って言ってもらえてるんだ。今、付き合ってるのは、彼の個人的な仕事。まぁ、半分は押しかけなんだけど」
正直に事情を打ち明けてから、彼を見上げる。「聞いてみたらいい」と言われたあとのことを、話していなかったと気づいたからだ。いな。もう少し正直に言えば、少し誰かに聞いてほしかった。
「でも、今日の夜は空いてるよ。ひさしぶりにこのあとどう?」
「お、いいな。いつもの店にするか」
唐突な誘いに笑って乗ってくれる友人の気の良さに、ありがとう、とアルドリックは眉を下げた。
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