第23話

「お疲れだったな」

「本当だよ」


 魔術学院が関わったこともあり、報告書の作成に随分と時間がかかってしまった。上長への報告を終えた薬草部の大部屋に残っているのは、いつかのようにエミールだけで。アルドリックは隠さない溜息を吐いた。


「これも青田買いというのかな。彼女、卒業後に宮廷に入ることを条件に、お咎めなしになったそうだよ」

「なかなかの魔力の保有量だったらしいからな。うちの上層部ならそう判断するだろう。処分するにはもったいない、それならば、恩を売って利用する」


 学院も宮廷もさして変わらん、と。エミールはけだるく呟いた。にじんだなげやりさに、不躾を承知で問いかける。


「ねぇ、エミール。きみも学院はつらかった?」

「まったくつらくなかったと言えば、嘘になる。だが、良い思い出もある。たいていはそんなものじゃないか」

「……まぁ、そうだよね」

「おまえだって、そうじゃないのか? 高等学院の思い出がすべて良いわけではないだろう」

「いや、……」


 僕は、あまり嫌な思い出はなくて、という事実を呑み、「その」と、この数日を邂逅する。


「なんというか、魔術学院は、……もちろん、『赤ずきん』の一件でピリピリとしていたこともあったんだろうけど、想像とかなり違ったから」

「ああ、向こうの担当がシュミット女史と言っていたな。あの人は、なかなか癖の強い部類なんだ。苦労したろう」

「あ、そうなんだ。じゃあ、もう少し柔らかい人もいるんだね」


 ほっと安堵したアルドリックを見つめ、エミールは小さく笑った。いろんな人間がいるさ、とごく当然とした調子で応じる。


「まぁ、面倒な人間のほうが多いことは否定しないが」

「そっかぁ」

「氷のご麗人の学院生時代のことは、俺は噂でしか知らないが。年次が被ってないんだ。俺が卒業した直後に入って、そのあとで飛び級をしているだろう。だから」


 この話が聞きたかったんだろうとばかりのそれを、アルドリックは一拍置いて認めた。うん、と頷く。

 自分の知らない彼のことを、積極的に知ろうとしなかった。だが、今は知りたいと思っている。いまさらでも、それでも。


「だが、秀才どもの集まりに、人付き合いの下手な天才が現れたらどうなるかという想像は簡単だ。一学年下と二学年下の顔ぶれは知っているが、おそらく、歓迎されなかっただろうな」

「……そっか」

「ただでさえ、競争の激しい場所だ。もしかすると、より人付き合いが嫌になったのかも」


 それも、想像のできない話ではない、とエミールは語った。たしかに、幼かったころの彼は、もう少し人付き合いがあったかもしれない。


「上昇志向がなかったとすれば、宮廷を選ぶ理由はなかったのかもしれないな。宮廷には、学院時代とさして変わらない顔ぶれが揃っている」

「そうか」


 三度、アルドリックは繰り返した。


「僕は、余計なことをしたのかもしれないな」


 塔に引き籠り、最低限の仕事しかこなさないと評判の彼と宮廷を繋ぐことは、彼のためにも悪いことではないと判じていた。

 いつか、彼にやりたいことができたとき。宮廷との繋ぎがあることは、彼の助けになると、そう。苦笑をこぼしてこげ茶の髪を引っ張る。


「一概に余計なこととは、俺は思わんが」


 慰めようとしてくれていると思い、そうかなぁ、と言葉を濁す。だが、続いた台詞は、慰めとはほど遠いものだった。


「タイミングを見計らう必要はあるだろうが、籠り続けているわけにもいかないだろう。うちの上長からすると、おまえとの関係を知ったことがタイミングだったのだろうが」

「え?」


 意味がわからず、丸い瞳を揺らす。


「どういうこと?」

「おまえが魔術師殿の手綱を握ることを期待したわけではなく、魔術師殿のお気に入りが宮廷にいる事実を見せびらかしたかったのだろう」


 自分がここにいるという事実。宮廷の下っ端の下っ端で、必死に勤めているけれど。上からのなにかで簡単に飛ばされる存在。じわりと理解した頭に、驚くほどの怒りが湧いた。


「なんだよ、それ」


 こぼれた声の低さをいなし、エミールは笑った。なんでもないように。


「だが、一級魔術師殿は知っていたと思うぞ」

「え……」


 その台詞に、今度こそアルドリックは絶句した。


「そうなることを承知していなければ、おまえの名前を出さないだろう。それとも、一級魔術師殿は考えなしなのか? あの警戒心の強そうな、宮廷嫌いが」

「……そんなことはない、と思う」


 なんで、僕の名前なんて出すかな、きみは。呆れたように思ったことを思い出し、吐息まじりに認める。

 春のはじめに彼と再会して、もうそろそろ四月。たしかに、彼は対人関係に難がある。思ったことははっきりと言うし、忖度をしない。だが、鈍感なわけではないし、ましてや、考えが浅いわけではない。そのことを、アルドリックは知っている。

 ぐしゃりと前髪を掻き混ぜ、アルドリックは下を向いた。


「まぁ、本当のところは、聞いてみないことにはわからないがな。俺はそう思うという話だ」


 気になるなら聞いてみたらいい、とエミールが肩を叩く。顔を上げたアルドリックに、彼はまたなんでもないことのように言った。


「おまえたちは、これからも一緒に仕事をするのだろう?」

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