第19話
「シュミット先生!」
エリアスに続いて演習場に踏み込んだアルドリックは、血の匂いに息を詰めた。血の匂いのもとは、うずくまる赤い髪の女生徒――レオニーだ。
血の気の引いた顔で座り込む彼女の右腕を、先んじて駆けつけたらしい教諭が抑えている。ワンピースの袖は破れ、露出した白いシャツが赤く染まっているものの、食い千切られるという最悪な事態は免れたようだった。
厳しい表情で立ち尽くしていたシュミット女史の視線が動く。彼女はひとつ頷くと、少し待つよう示した。
あの少女のことだ。格下と判じる自分が案じれば屈辱と捉えかねない。おとなしく待つことを選び、代わりにエリアスを窺う。ちらりとこちらを見下ろした彼は一言、当たりだ、と言った。
レオニーの怪我を見ていた教諭が彼女を連れて医務室に向かうと、シュミット女史は防音の術式を張り、ひとつ息を吐いた。
「大きな怪我ではありませんでしたから、アナウンスは行いません。このまま通常通り、講義を行います。寮の部屋に籠っていても、完全に安全というわけではないでしょうから。余計な不安を煽るより、知らぬままのほうがよいでしょう」
「シュミットさんは……」
「心配には及びません。私がいながら生徒に傷を負わせたことは遺憾でありますが、おかげで『黒狼』の正体がわかりました」
淡々と言葉を継ぎ、彼女はまっすぐにエリアスを射貫いた。
「あなたの言うとおりでした」
「たしかに。どうもそのようだ」
「ええ、あれは思念です。本人に認識をさせない限り、消えることはないでしょう。襲ってきたものは消滅させましたが、またすぐに現れます」
そういうものなのだろうか。エリアスに視線を向けると、彼は説明を足した。
「感情だからな。目的を達さない限り、『憎い』と思う気持ちは消えないだろう。またすぐに湧いて出る」
「ああ、……そうか」
感情なんだものね、とひとりごちる。頭に浮かんだのは「そういう人たちなんです」と叫んだ少女の悲痛な声だった。怖かっただろう。なんで自分が、と恨んだだろう。
眉間にしわを刻んだ女史が、またひとつ溜息をこぼす。
「犯人がはっきりとわかるまで、よりいっそう慎重に動かなくては。下手な手を打てば、暴走が生じます」
「シュミットさん」
込み上げる感情に蓋をし、アルドリックは呼びかけた。
「心当たりがあります」
「本当ですか」
「ただ、証拠はありません。その生徒と話をさせていただけないでしょうか。それで、話をしている時間帯は、心当たりが本当だった場合に標的にされかねない生徒の保護をお願いしたいんです」
もし、万が一。心当たりが本当で、自分が対応を間違えた場合、なにかが起こる可能性がある。その事態は、なんとしても避けたかった。標的になる可能性のある生徒たちのためにも、心当たりの彼女のためにも。
息を吸い、アルドリックははっきりと心当たりの名前を口にした。
「ゾフィア・ポール。標的になる可能性があるのは、彼女に理不尽に当たった覚えのある教員、生徒すべてです」
「ゾフィアが……」
「とは言え、あからさまに警護を増やすと、疑いが向いていることに彼女が気づく可能性がある。そうなれば、あなたの言うところの暴走が生じかねない」
「彼女と折り合いが悪かった者は、魔術兵団を目指す生徒だったはずです。今日の放課後、特別講習というかたちで、演習場に集めましょう。レオニーは医務室で療養を。教師も滞在させましょう」
シュミット女史の提案に、アルドリックはエリアスを伺った。自分に判断のできることではない。
「どうだろう? 魔術師殿」
「警護と教師の腕を信用すれば、問題はないだろう」
「そっか。じゃあ、そういうことでよろしくお願いします。彼女でなかった場合は、改めて対策を。ただひとつだけ」
「なにか?」
「折り合いが悪かったわけではないと思いますよ。数日ここに滞在しただけですが、私は間違いなくいじめがあったと感じました」
絶句したシュミット女史の瞳を正面から見つめ、失礼します、と頭を下げる。なんだか、もう、どうしようもなくやるせなかった。
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