第3話

「なんというか、……厳しそうな人だったね」


 シュミット女史の部屋の二つ隣り。エリアスに割り当てられた部屋の扉を閉めたアルドリックは、ゆるゆると息を吐いた。防音の術式を張っているという話だったので、少しくらいの弱音は許されるだろう。

 こちらを一瞥し、事務机の椅子を引いたエリアスはうんざりと銀糸を掻きやった。見た目の雰囲気だけで言えば、役割どおりの臨時講師というふうである。


「もっとはっきりと言えばどうだ」

「状況が状況だからピリピリとしているのはしかたがないと思うけど、全体的に嫌味じゃないかな」


 作り付けの大きな本棚と事務机に、予備の椅子が二脚ほど。当座の拠点となる狭い室内を見渡し、アルドリックも椅子に腰を下ろした。ついでに、はぁ、と溜息ももうひとつ。


「ゾフィアさんもだけど、被害に遭った子たちが本当にかわいそうだよ」

「あの女傑は、いっそ清々しいほどの実技重視主義でな。筆記の成績がどれほど良かろうと、才があろうと、実技の出来が悪いとまず優秀と認めない。魔術兵団を希望する学生の面倒は親身に見ると聞くが」

「なるほど」


 弱弱しいゾフィアの声を思い出して、気鬱に頷く。エリアスは雑に言い足した。


「あの言いようから察するに、被害に遭った学生は気に入りだったんだろう」

「あと、きみにも嫌味だった。きみなら実技は優秀だったろうに」

「おまえにも嫌味だったろう」

「……どうせ童顔だよ、僕は。というか、僕だって、この年で魔術学院の制服を着る羽目になるとは思わなかったよ」


 もろもろの屈託をひとまとめにした声で呟き、座ったまま腕を伸ばす。女子生徒は紺色のワンピースで、男子生徒は紺色のジャケットに、同色のスラックス。幼少のころに夢見た制服ではあるけれど、この年で身につけたかったわけではない。ジャケットの裾から覗く手首には、銀色の組紐。

 クレイに失恋したと言って――彼女がバナードに告白し、バナードが受け入れたという噂は電光石火の勢いで宮廷内を駆け巡った――、肩を落とした同期に付き合い二日酔いになった朝が懐かしい。思案に耽る気難しい顔を見やり、アルドリックはまたひとつ息を吐いた。

 なぜ、自分と彼が編入生と臨時講師として魔術学院に潜入したのかというと、話は二日前に遡る。


「魔術学院に潜入、ですか」


 休日の午前九時。急遽呼び出された薬草部で告げられた内容に、アルドリックはぎょっと目を見開いた。

 二日酔いの頭痛も吹き飛び、神妙な顔の上長から、隣に座するエリアスに視線を移す。だが、彼に驚いている様子はない。


「ええと……」


 戸惑った視線を向け直すと、上長はゆっくりと説明を開始した。


「魔術学院側からの依頼でね。この二週間で、構内で第二学年の女生徒がふたり大怪我を負っているんだ。犯人とうは一切不明。当初は学内で犯人を探す予定だったそうだが、今月末には学期が終わるだろう?」


 ほとんどの教育機関は、七月の下旬が学期末となる。つまるところ、あと十日。寮が閉鎖になる前に、学内で犯人を見つけたいということであった。


「それは、その、……犯人は内部にいるということでよいのでしょうか」

「あそこは、なんというか、閉鎖的な場所でね、宮廷並みの外壁が張り巡らされているんだ。外部から侵入があった可能性は考えていないのだろう」

「本来だったら、こちらに依頼などしたくなかっただろうからな」

「いや、本当に。そうなんだよ。事実、こちらに一報が入ったのも、ふたり目の被害者が出てからだったからね」


 エリアスの揶揄に苦笑まじりに同意して、彼は続けた。


「困ったことではあるけれど、これ以上の被害を許すわけにはいかない。コードネームを『赤ずきん』と言っただろう。あれは、発見された被害者の上半身が赤ずきんを被ったように血まみれだったからだ。黒狼のようなものに襲われたという証言のせいもあるだろうが、学内ではそう呼称されているらしい」

「失礼かもしれませんが、学内で防げていないのであれば、魔術兵団の魔術師に警備の強化を依頼するほうがよいのでは」

「もちろん、多少の増員はしている。その上で、きみたちに内部からの調査を頼みたいという話なんだ。生徒たちの中に入って情報を収集してほしい。犯人は生徒の中にいる可能性がある」

「なるほど」

「ヴォルフくんは臨時講師として、きみは編入生として」

「……なるほど?」


 童顔の自覚はある。あるが、さすがに十も鯖を読むことは無理がなかろうか。十五、六の少年と比べたら顔つきもだが体格だって違うだろう。それに、なによりも。


「あの、ご存じと思いますが、私、魔術の才能はまったくありませんで」


 編入生という設定は、そういう意味でも無理があるのではないか。訴えたアルドリックに太鼓判を押したのは、なぜかエリアスのほうだった。


「安心しろ、すべて俺が面倒を見てやる」


 無言のまま上長を窺えば、「なにより、なにより」と言わんばかりの笑顔。その表情に、アルドリックは固辞することは不可能と悟ったのだった。


 ――それは、まぁ、未来のある女の子がふたりも大怪我を負ってるんだ。僕で力になれるならなりたいけど。


 だが、適役はほかにいただろう、と。疑っていることも事実である。銀色の組紐を指先でいじりながら、アルドリックは回想を終えた。


 ――この組紐もすごいとは思うけど。


 思うけどさぁ、との悶々にもそっと蓋をする。編入日を迎えてしまった以上、やりきるしかないのだ。

 薬草部を出たあと。エリアスが渡した組紐は、彼の髪を織り込んだもので、補助具のようなものなのだという。簡単な魔術であれば発動可能という性能に驚いたものの、これひとつで「魔術学院の編入生」として相応しい立ち居振る舞いができるかと問われると、まったくもって自信はない。

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