第3話

「え、クレイさん。もう帰ったんだ。なんですれ違わなかったんだろう」


 文書課に戻るなら、来る道ですれ違っただろうに。頭を捻ったアルドリックに、庶務課の同期が事務処理の手を止めた。


「次は総務と言っていたから、そっちに向かったんじゃないかな?」

「なるほど。じゃあ、そっちに行ってみようかな」

「またすれ違わないといいけど。あの子、パタパタとよく働くから」

「そうなんだよね。早く行ってみるよ、ありがとう」


 よその課でもさすがの好感度だなぁと感心しつつ、踵を返そうとしたのだが。興味津々と引き留められてしまった。


「どうかした?」

「いや、あれって、例の氷のご麗人だよね?」

「きみまでその呼び方なの」


 庶務課の入り口を塞ぐ位置で堂々と腕を組むエリアスを見やり、弱った笑みを浮かべる。ついてくると言い張ったわりに、課内に入ることは拒んだ結果である。


「エリアス・ヴォルフ一級魔術師殿だよ。今ちょうど一緒に仕事をしていて」

「仕事を?」


 おまえと? と言わんばかりの空気に、アルドリックはもう一度眉を下げた。

 それは、まぁ、稀代の天才魔術師と自分が仕事と聞けば、そんな顔にもなるだろう。だが、しかし。


「まぁ、また、今度、話せる範囲で話すよ。申し訳ないけど、魔術師殿も待たせているから」


 早くしないと、エリアスの不機嫌が爆発しそうなのだ。入り口付近から放たれる視線の圧が空恐ろしいレベルになっている。


「あ、ああ。そうだね」


 もしかすると、彼も圧を感じたのかもしれない。引き留めてごめん、と苦笑した彼の顔はわずかながら引きつっていた。

 まったく本当にあいかわらずだなぁ、と。エリアスに笑顔を向ける。


「ごめん、お待たせ。クレイさん、総務に行ったらしいんだよ。そっちも確認していいかな。すぐそこだから」

「構わないが」


 戻ったアルドリックを一瞥し、エリアスは小さく息を吐いた。


「あいかわらずだな、おまえは」

「あいかわらず?」

「あいかわらず、誰とでもどこでも愛想が良い」

「ええと」


 覚えのある言い方に、ぽりと頬を掻く。

 遠い昔、彼が子どもらしい独占欲を発揮していた時期のこと。エリアスは、アルドリックの友人を「仲が良い」相手ではなく、アルドリックが「愛想良く」している相手と表現することがあった。

 ほほえましいやら呆れるやらで、当たり障りのない理由を返す。


「きみの通っていた魔術学院も全寮制だっただろう? 僕が通った高等学院も全寮制だったんだよ。だから、気心の知れた人が多いんだ。彼もそう」


 高等学院時代からの同期なんだよ、と説明をする。高等学院を卒業し宮廷に勤める人間は多いのだ。


「全寮制だからと言って、気心が知れる理由はよくわからないが」

「ええ、……あぁ、まぁ、魔術学院とはいろいろと違うのかもしれないな」


 なにせ、選ばれし魔力持ちだけが入学を許可される特別な学院である。ロマンがあるなぁと呑気な空想を巡らせつつ、総務の部屋の前でアルドリックは立ち止まった。


「じゃあ、ごめん。確認してくるから、ちょっと待っていてくれるかな。――すみません、クレイさん来てませんか?」


 開いていたドアから一歩入り声をかけると、近くに座っていた同期の顔が上がった。彼女なら少し前に出て行ったと教えられ、遅かったかぁと苦笑いになる。


「そうなんだ、ありがとう」

「彼女、どうかしたのか?」

「ううん、落とし物を渡したかっただけ。文書課に戻ってみるよ」

「そうか。おまえ、クレイちゃんと同じ課なんだよな」

「そうだけど……」


 クレイちゃんとは、妙に親しげな呼称である。首を傾げたアルドリックを手招くと、彼は声を潜めて問いかけた。


「クレイちゃん、付き合ってる相手はいないって話だったよな?」

「さぁ、どうだろう。あんまり聞いたことはないけど」


 内ポケットに入った惚れ薬を意識したせいで、上ずった声になってしまった。誤魔化すように笑ったアルドリックに、そわそわと相手は問い重ねる。


「じゃあさ、クレイちゃんの好きなタイプって知らないか?」

「ええ。どうかなぁ。彼女、誰にでも親切だから」

「ああ、あのバナードさんにも親切というものな」


 さすがクレイちゃんとばかりの態度で、うんうんと彼が頷く。

 バナードというのは、よく言えば有能でクール。悪く言えば自他ともに厳しすぎるきらいがある、アルドリックと同じ課の先輩のことだ。飲み会にも顔を出さないので、若い女の子に遠巻きにされがちなのである。

 アルドリック個人の認識で言えば、良い人だと思うのだけれど。


 ――さすがと言えばそれまでだけど、たしかにクレイさん、バナードさんにもよく話しかけているものな。


 とは言え、緊張はするのか、どぎまぎとしている場面を見た覚えがある。そうだね、と無難な相槌を打ったアルドリックに、彼は恋の吐息を吐いた。

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