第2話
「あれ?」
じゃあ、行こうか、と声をかけようとしたところで、アルドリックは足元の小瓶に気がついた。靴の先に当たって止まったらしいそれを、ひょいと拾い上げる。薄桃色の液体が入った、人差し指ほどの長さの小さなボトル。
「香水? クレイさんのかな」
アルドリックの呟きに、エリアスが手元を覗き込んだ。視界に細い銀色が過る。
「それだ」
「え?」
「おまえの言う『王都で流行っているもの』かどうかは知らんが、それは惚れ薬だぞ」
「ええ!?」
取り落としそうになってしまい、アルドリックは慌てて掴み直した。あのクレイさんが。みんなの憧れの、自分の癒しの、かわいくて優しい働き者のクレイさんが。
「誰に使うつもりだったんだろ……」
小瓶を見つめたまま呆然とひとりごちれば、エリアスが柳眉を上げた。
「使われたかったのか?」
「ええ、いや、そういうわけじゃないけど。そもそも、相手の同意なしに使用することは褒められた行為では……」
それを、あのクレイさんがなぁ、と思っただけで。もごもごと言い訳を転がしたものの、好奇心に負けてアルドリックは問いかけた。
「惚れ薬って本当に効果があるものなの?」
「あると言えばある」
「あ、そうなんだ。本当に」
へぇ、と再び瓶を眺める。
――そう聞くと、途端にこのピンクが怪しく見えてくるなぁ。
拾ったときは、彼女に似合いのかわいい香水瓶と思ったというのに。人間の思考とは、かくも単純なものである。
「惚れ薬と総称されるものの効能は詳細に分かれていて、ほとんど思い込みだろうと眉を顰めたくなるものも多いわけだが」
「思い込み?」
「身体的な反応を引き出して、恋心と誤認させているということだ」
「というと」
原理がわからず、アルドリックは問い重ねた。魔術書に触れる機会など滅多とない身なので、単純に興味がある。
考えるような間を挟み、エリアスは説明を始めた。
「たとえば、そうだな。惚れ薬を飲んだ直後に目の合った人間を好きになるという話は、効能として有名だろう」
「たしかに、惚れ薬のイメージってそれだよね。聞いたことがあるよ」
「薬効によって心拍数が上昇し、思考がぼんやりし始めたところに、ここぞと手でも握ってほほえまれてみろ。好みの顔でなくとも、身体反応を恋と認識する人間はいるだろう」
「ええ、そんな」
夢もへったくれもないと顔を引きつらせる。惚れ薬で相手の心を変えようと画策した時点で、夢もへったくれもないのかもしれないが。
「どちらにしろ、露店で売られているようなものはほとんどが粗悪品だろう」
「そっかぁ」
そうだよね、と相槌を打って、アルドリックは肩を落とした。
ノイマン家の件で釘を刺されたとおりで、魔術のことを「なんでも都合良く願いを叶えてくれるもの」と思っているわけではない。だが、どうしてもロマンを感じてしまうのだ。幼いころに、魔術師が活躍する物語を読みすぎたせいかもしれない。
落胆した態度が気に障ったのか、エリアスが意地の悪い笑みを見せた。
「より質の悪いものもあるぞ」
「質の悪いもの?」
「心拍数の上昇などより、もっと手っ取り早く相手を好きと誤認させる器官があるだろう」
「え?」
「生殖器だ」
「ごめん。……うん、よくわかった。もういいよ」
「気をつけたほうがいい。粗悪品であればあるほど、予想外の効果が生じる可能性があるからな」
正しい忠告に溜息を呑み、拾った小瓶を胸ポケットにしまい込む。クレイのものでない可能性もあるが、確認したほうがいいだろう。
「きみと話していると、魔術師に対して抱いていた夢が溶けていく気がするよ」
「それはなによりだ。ろくなものじゃない」
それもまた、意地の悪い笑い方だった。まったく、なにがそこまで気に入らないのだか。ほんの少し内心で呆れつつ、アルドリックは笑いかけた。
「とにかく、クレイさんに返しに行かないと。きみはどうする? なんだったら、やっぱり、どこかで待っていてくれても――」
「ついていく」
「え?」
「おまえが言ったんだろう。宮廷に顔を出せば、このあいだ言っていた店に連れていってやると」
「ははは、ああ、言ったねぇ」
きみが辞令を受け取りに宮廷に行くことを嫌がったから、小さい子どもを甘味で釣って病院に連れていく心地だったんだけどね、との本心も当然呑み込む。
それにしても、と。改めて庶務に向かいながら、アルドリックはエリアスの横顔を窺った。なんというか、ここまで来ると、大変な潔さである。子ども扱いとは露とも思っていないのかもしれない。
それでおとなしくしてくれるのであれば、構わないのだけれど。
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