第14話

 この国で一番多いというこげ茶の髪を引っ張り、アルドリックは目を伏せた。


「やっぱり、きみはすごいね。僕はきみにはなれないや」

「なにを言う。俺もおまえにはなれない。あたりまえのことだ」

「え……」


 至極当然という返事に、エリアスを凝視する。予想もしない返しだったからだ。


「今回の件にしてもそうだ。解毒薬を早期に作ることが叶ったのは、おまえが話を聞き出したからだろう」

「いや、でも、それは」


 きみがとんでもない雑なかまをかけた結果というか、なんというか。言葉を詰まらせたアルドリックに、エリアスは淡々と言葉を重ねた。


「おまえが本心で気にかけているとわかったから、素直に打ち明けたんだろう。俺には到底真似することはできない」

「えっと……」

「なんだ?」


 中途半端な呼びかけに、不思議そうに瞳が傾く。子どものように澄んだ、青い瞳。その色から逃れるように、アルドリックは視線を落とした。


 存在を知っていた、という意味であれば、生まれる前から彼のことは知っていた。

 祖母から聞いた話によれば、誕生を心待ちにしていたというし、生まれた彼を見て「弟ができた」といたく喜んだらしい。大きくなるにつれ気難しい部分は増えたけれど、それでも、アルドリックはかわいがっていたつもりだ。自分に魔術師になる器量がなく、この子にはあると知るまでは。


 ひとりが好きな子どもなのだと思っていた。自立心が強く、少しばかり変わっていて、けれど、特別な才を持つ子ども。自分が必要以上に構う必要はないと思い決めて、距離を取った。自分を守るために。それなのに。


 ――そんなふうに、思ってたんだなぁ。

 

 うれしいやら、みっともないやらで、言葉はなにも出なかった。懐かしい声が頭の内側に響く。声変わりをする前のエリアスの声だ。


 ――おまえが俺になれるわけがないだろう。


 魔術師になる才能がないとわかったとき、心配する祖母にも、友人にも、自分は弱音を吐くことができなかった。

 大丈夫、と。半ばわかっていたことだから、と。平気な顔で笑った。そのくせ、その日の夜。自分の部屋を訪れたエリアスに泣き言を漏らしたのだ。慰めてくれることを期待して。でも、やっぱり気恥ずかしくて、誤魔化すように笑った。


 ――エリはすごいよ。きっとすごい魔術師になれる。僕はエリになれないや。


 そう強がった直後の返答だった。ストレートな言葉に、アルドリックは傷ついた。

 検査がまだでも彼に才があることは明らかで、その彼に「自分のようになれない」と断言されたことが悔しくて、悲しかった。

 けれど、自分が卑下た受け取り方をしただけだったのかもしれない。


「アルドリック?」


 窺う呼びかけに、アルドリックはゆっくり顔を上げた。大人になった幼馴染みを見上げ、笑いかける。


「ねぇ、魔術師殿。きみはまだ甘いものが好き?」


 今度目を丸くしたのは、エリアスのほうだった。わずかな間を挟んで、銀色の髪が揺れる。


「甘いものが好きと言ったことがあったか?」

「言わなかったけど、わかるよ。きみ、いつも、おばあちゃんのビスケットをうれしそうに食べていたじゃないか」


 実家にあった古びた温かなテーブル。自分の隣に座って、大事にビスケットをかじっていたまろい頬を思い出す。表情の出ない子どもだったけれど、そのくらいのことはわかる距離にいた。

 妬ましくもかわいい、アルドリックの小さな幼馴染み。今なら、それだけではない関係を築くことが叶うのだろうか。仕事仲間として、対等な友人として。――彼のいう「好き」とやらは、よくわからないけれど。


「よかったら、食べにいかないかな。その、もし、よかったらなんだけど。せっかくこれから一緒に仕事をすることになるんだし」


 ノイマン家の一件は試金石だったのだ。変わり者と評判の若き一級魔術師が、宮廷の依頼を正しく処理するか、どうか。

 無事に任務完了の報告が叶いそうで、アルドリックはほっとしている。大きなお世話と承知していても、聞き及ぶ噂で不器用を案じていたからだ。

 罪悪感と劣等感で貧乏くじを引いたと感じたし、どうして自分の名前を出したのだと呆れもした。そのすべてが本当だ。だが、昔馴染みとして力になりたいと思ったことも本当なのだ。

 まったく、どうして、この子に対する思いは相反するのだろう。


「改めて、これからよろしく。魔術師殿」


 差し出した右手に、エリアスが手を重ねる。イメージと異なる体温の高さが懐かしく、アルドリックはほほえんだ。

 エリアスと触れ合うのは、たぶん、六年ぶりだ。ひとりになった自分を不器用ながら慰めてくれた、あの夜以来。

 青い瞳を見つめ、自身に言い聞かせるようにアルドリックは言った。


「たぶんだけど、きみにまた会えてよかったんだと思う」

「なんだ、その、たぶん、だとか、思う、だとか。ぼんやりとした言葉は」


 情緒もへったくれもない素直な感想に、はは、と苦笑をこぼす。そういうところが、好きで嫌いだった。

 でも、もう一度会わなかったら、好きだったことを忘れていたかもしれない。苦手という一面だけが記憶に残ったままになったかもしれない。だから。


「そういうことだよ」


 不満そうなエリアスから手を離し、「どこか行きたい店はある?」と問いかける。彼と再会してから一番心が平らかな、春の夕暮れのことだった。

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